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#10 サンクスギビングで義理の家族について思う

七面鳥のディナーが終わり、みんな大好きデザートタイム。

義理の両親がこの日のために買って来てくれたアイスケーキが大きくて、すごいのが出てきたとカメラを構えていたらおじちゃんがいきなりケーキカット。

数字に切れ込みが入ってなんだか怖い写真(タイトル上)になってしまった。

初夏の頃
義両親の家より

1.ブラックシープな夫

家族親戚がご馳走と共に一同に会すこの祝日に、私はここ何年か参加していなかった。

行こうと努力をすれば行けないことはなかったが宿の営業でどうしても一人は家に残ることになり、夫は毎年友達との恒例行事で朝から娘と出掛け、大抵そのまま家族の晩餐に直行する為、自然と私が家に残るという慣例ができあがっていた。


サンクスギビングが七面鳥にとって悪夢の日であるように、自分の家族の集まり全般に対して極力避けるように努める夫。

それでも毎年なんとか押し出すことに成功していたが、今年はなんとなく自分が行くことにした。

大した理由もないけれど、うちがやると言ってくれた妹からの招待に夫はいつもながら行かない宣言をしていることと、今年は特に参加人数が少ないとのことで、喋り相手がいないのを理由に乗り気でない娘を説得して二人で行くことにした。

クリスマスも大きな行事には違いないが、どちらかといえば一年の終わりに近づいたサンクスギビングの日に、家族が集まり何かしらに感謝するというのは他の祝日より重要性があるように思う。

というわけで誰かは参加しなければと義理の妹家族の住む隣町まで出掛けた。

義理の両親は私達と同じ町に住んでいて、誰も長時間運転するでもなしみんな近くにいるのに、家族全員がすんなり揃うことはまずない。

集まりに対して大いに抵抗する筆頭が長男の夫で、どちらかというと遠い所に住んでいる次男の方が積極的なのは離れているからだろうか。

そんな兄二人と両親の間でここぞという時ちゃんとやってくれる妹の役割は大きいが、きょうだいがいない私には当事者それぞれが持つ本当の苦労はわからないのだろう。

昔夫に「きょうだいって飛行機で隣に座った人みたいな感じ?」と聞いたら、「飛行機だったら降りれるけど...。」と言った。

その続きは「○ぬまで一緒」だったのだろうか。

雨上がりの夕方

2.やたら多いお誕生会

季節ごとの祝日を家族単位でお祝いをして、その機会に全世代が顔を合わせるのはとてもいいことである。

ただそれぞれの祝日の間にお誕生会もあるとさすがにちょっと厳しい。

最初誕生会は子供だけのものだと思っていたらこちらの家族、大人の誕生会が子供と等しく大切だった。

考えてみれば年に関係なくお祝いするのは当然といえば当然なのだけど、複数の家族が近くに住んでいると次から次からへと誰かの誕生日がやって来る。

特に三月末は、お誕生日大好き義母とその他何人かの合同誕生会があり、うっかり忘れたという言い訳ができないのは幸か不幸かその3月末グループにうちの夫も含まれているから。

自分の誕生日にさえ全く興味がない彼も毎年強制的にお誕生席に座らされたうえでみんなにハッピバースデートゥーユーを歌われた挙句、お母さんと一緒にローソクの火を消すところまでやらされているのが微笑ましいというか笑える。

私も夫と一緒で自分の誕生会はいらない派なのだけど、このやると言ったらやる義家族の意気込みは結構好きである。

忘れたけど
何かの家族パーティーの日

3.サファリパークな一族

義祖父母が亡くなったり、遠くに行ったメンバーもあって当初より人数が少なくなったが、義母サイドも義父サイドどちらもとにかく強い。

黙って意見を聞いているだけのような人がおらず、家族の集まりはサファリパークのわいわい肉食獣ゾーンといった雰囲気。

なので当然普段からよくぶつかっているけど、誰か一人が我慢をすることで事態を収集するということがなく、そこでみんなが費やすエネルギーを考えてみると、やや他人事な私には生命力に溢れた人たちに映ったりもする。

そんなだから夫はいつも距離を置いているのだろうけど、猛獣の中で育った彼もたまにみんながドン引きするくらいの猛獣ぶりを発揮したりする。

4.バースデーパーティーに想う


家族とは常に煩わしくもあり、ありがたいものである。

いつも言い出しっぺの義母にまたかと思いつつ、彼女がお誕生会をしなくなる時ってどういう状況かを考えると、結局やろうって意欲のあるうち、そして声を掛けてもらえるうち、集まるメンバーのいるうちが人生の華。

自分もアラフィフ、みんなとお誕生会をやってることが生きてる証というか、元気だから集まれるし生きてるから祝えるという年代まで来てしまった。


来月にはトドメのクリスマスがあり、それでホッとできると思いきや年が明ければ一月二月の誕生日がずらり。

という面倒くさく果てしない祝日&バースデーの波乗りをしているうちに、日本にいた時よりも誰かのお誕生日を大切に思うようになっていたのは悪いことではない。


とは言いつつ夫も私も自分達のはここぞとばかり何もしない。


  ただ毎年ケーキだけは作る


年越しそばのようにそれを作って食べて一つ歳を取る私達の通過儀礼。


夏はチーズケーキ、春はチョコレートケーキを何回食べただろう。


娘のケーキは冬、これは食べた回数がわかっているけど後何回この家で一緒にお祝いできるのか、大学に行くまでなら残りの回数も決まっている。


オムツを履いて走り回してたのに...と感傷的になってるうちに、気がついたら自分が履いてるかもしれない恐怖未来。

春から秋は白鳥が飛来し
冬には凍った湖面を鹿が歩く


5.若かった義母


夫は義母が18歳の時に生まれており、私が初めて会ったのはまだ45歳の時だった。

なんと若いお義母さんとびっくりしてから20年以上が過ぎ、お義父さんとの金婚式も済ませた彼女のお誕生日好きは、早くに巣立っていった子供達とその子供達、年老いていく祖父母の間にいる自分の存在とそれぞれの家族をお誕生会で繋ぎ止めたい思いもあったのだろう。

そして毎回言われた通りにハイハイと付き合って、買出だしに行ったり必要な時は遠くても送り迎えをしているお義父さん。

二人の結婚は危うい局面もちょくちょくあるが、それでもまたなんとか今年もみんなでサンクスギビングをお祝いできるのは嬉しかった。

せっかちなお義父さんは、まだカチカチに凍っているアイスケーキを切ろうとして包丁が挟まっているし、帰省している娘のいとこ達の大学や職場の話、テーブルの周りをウロウロしている犬達、大人達の取り止めのない会話、久しぶりぶりだったけど相変わらずの景色。

そしていつか私達世代の子供達がまたそれぞれに家庭を持ったら、その時はこのメンバーで集まることも無くなるのかと、美味しいものを食べ過ぎてぼんやりした頭で思った2023年のサンクスギビングだった。


 最後まで読んでくださり
    ありがとうございました

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