#5 図書館というところ(1)小学ニ年の衝撃編
学生の頃まで、本は読まなくていいなら読みたくなかった。
図書館に行っても何を借りていいのか分からなかったし、友達が読んで良かったと言ったものを辛うじて眺めた記憶しかない。
夏休みに読書感想文の提出を求められた高校時代、担任の先生が毎年替わるのをいいことに1年生の時に読んだ本の感想を3年間書いていた。
今とは違う感性で子供時代に本を読んでおけば良かったと悔やむより、来世に望みを託す方が早いアラフィフ。
1.小学二年の衝撃
大人になりやっと教科書というものから解放されると、不思議なものでちょっと本屋さんに行ったりするようになった。
まだ見ぬ海外のことで頭がいっぱいだった20代前半は、誰かの旅行記を探してよく読んだ。
そして読書をしてこなかったそれまでと帳尻合わせをするように、だんだん読みたい本が多くなり図書館に通うようになった。
いい大人になってやっとこさ図書館に行く楽しみを覚えた私だったが、図書館といえば忘れられない思い出がある。
それは小学2年生の時だった。
クラスで校内の図書館へ行く時間があり、みんなが好きな本を見て過ごすという授業だったように思う。
私はもちろん読書に興味がなかったので、なんとなく本棚の間をウロウロしていたらF君が横にいて棚の本を見つめていた。
学級長のF君だ。何を見てるのかなと視線の先に目をやると何やら難しい漢字のタイトルばかり。
すると彼はおもむろに一冊の本を指差して、
「〇〇さん、この本はいい本だから読んだ方がいいよ。」と私に言った。
分厚い本で、40年以上経った今でも忘れられないその衝撃のタイトルは「硫黄島の戦い」だった。
そして間抜けにも私はF君にそれ読んだの?と聞いた。読んだから言ってるのだ。
そもそも本を借りて読んだこともない相手に喋っているとは知らず、優しいF君は「その本とても良かったよ。」と言った。
私は同級生でこんな本を読んでいる人がいることにショックを受けたまま、彼が立ち去った後その本のタイトルを見返した。
そしてこれはきっと高学年用だから、勧めてくれたけど読まなくても大丈夫と思うことにした。
2.四半世紀後の同窓会
まだ絵本を読んでいても許される小学二年生で「硫黄島の戦い」を読んでいるというレベルの違いに愕然として、私の頭から図書館での衝撃がしばらく離れなかった。
その本のことがずっと気になってしまい、子供心にも自分にはきっと読めないと思いつつある日「硫黄島の戦い」を借りて家に帰って開いてみた。
結果文字だらけで1ページも読まずタイトルから話の内容を想像するのが関の山、改めて彼はすごいということがわかっただけだった。
月日は流れ中学卒業25年目の同窓会があった時、F君はその後大学教授になったと聞いた。
さもありなん
2年生で硫黄島の戦いだから...
と一人心の中でつぶやいた。
3.振り出しに戻る
アメリカに来る前のしばらくは図書館愛が炸裂し始めた頃だったので、本が容易に手に入らない環境への移動は少々辛かった。
今やいにしえ
Kindle、スマホ以前の世界
それでも当時は都会に住んでいたので最寄りの図書館に行くと辛うじて棚2つ分くらいは日本語の書籍があった。
在住していた誰かが帰国の際に置いていったか、もう読まないから寄贈したと思われるとても個人的な趣味の本ばかり。
その棚の本をそこそこ読んでしまうと後は英語のものしかないのだけど、英語力は前の記事で書いたレベルだったので、ページを眺めるしかできない自分にまた逆戻り。
都会の図書館でこんなに沢山本があっても読めないとは...
硫黄島の戦いというタイトルを見ただけで「参りました」の無力感再び。
それからしばらくして、半年間の都会生活から今住んでいる田舎に引っ越すことになった。
続く
今回も最後まで読んでくださり
ありがとうございました
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