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西田俊英 「三穂野杉」 日曜美術館より

 私は絵を眺めるのが好きだ。それでそれで時々NHKの『日曜美術館』を見る。そうすると初めて知る画家の作品に触れることができる。先日も偶然西田俊英さんの絵に巡り会った。彼は日本画家である。昔は空想で描いていたそうだが、30代に初めて院展に落ちたことをきっかけにして、悩みながら外国をさまよわれた。そして、インドのガンジス川での死者の弔いを見て、真実の姿を描きたいという思いをもったそうだ。

 西田さんが屋久島で見届けたいもの。それは原生の自然であり、威厳のある怪物のような巨樹の姿。そのためそれを見つめ、向かい合っておられた。

 西田さんの原点は、初めて習った先生の教えにあるという。「絵描きは技術だけではなく、内面を磨け」その教えに従って、先生から手渡されたクラシックのLPを聴いたそうである。ただ、絵描きとして表現力を高めるだけでなく、感じる心を大切にと言う教えである。

 実際の制作場面が番組の中で詳しく取材されていた。まず大樹の昼の姿をスケッチしていた。その時の西田さんの手は、私から見ると何かに突き動かされるように勝手に動いているように感じた。
 
 西田さん曰く、『初めの1本目の線に自分が出てしまう。木に向かい合っていると、自分の弱さを感じる。私はその巨樹の本当の姿を描きたい』と。西田さんがあらんかぎりの力で対象に対峙されてる様子がわかった。
 
 私は歌うとき先生から歌い出しを注意されることがある。自意識過剰だと力が入り、後もそれに引きずられてしまう。言葉を深く読み込み,作曲者に敬意を払うように歌わないと自然な響きは生まれない。表現するものは異なるが、その真髄には共通点もあると感じた。


 夜になって真っ黒な闇の中で、スケッチが始まった。明るさと言えば、月明かりとヘッドライトのみだ。私から見ると、暗くて何も見えないが、西田さんは昼間見た、三穂野杉の様子を思い浮かべながら、【黒】だけが支配する世界の美しさを感じてデッサンをしていた。聞くところによると、1年間屋久島で暮らされたそうである。番組の中で、西田さんは昼間はものが見えすぎると言われていた。私は、情報が多いと感じ取るものが感じ取れなくなるのではないかと思った。
 
 番組のタイトルは「”描く”という祈り」と出ていたが、ステッチを終えた西田さんが巨樹にお礼を言って手を合わせる場面があった。何千年生きているのかわからない樹に向かって、その尊さに敬意を払っているように私は感じた。
 
 出来上がった西田さんの日本画は、写真ではわからないが、色に深みがあって見てるだけで時間の流れを感じる。うまく言えないのだが、時が止まっているのではなく、森全体が生きていて、目の前で確かに時が流れている。何とも不思議であるが、そんな感じが絵から伝わってくるのだ。

 また、『闇の世界のはずなのに、なぜ豊かな色を感じるのだろう』と言う疑問が湧いてきたが、それは制作の場面でわかった。漆黒の闇で感じたかすかな光を表すために西田さんは、何回も色を塗り重ね、その後真っ黒で塗り、後から乾いた布で擦ると言う手法をされていた。だから、真っ黒に見える中にいろんな光が感じられたわけだ。私は西田さんの作品を本当に美しく、見ている人の気持ちを穏やかにさせる作品だと思った。
 
 世の中には、もっとたくさんの素晴らしい作品があるだろう。これからも美術館を訪れ、情報も得ながら、自分のまだ知らない作品に触れていきたいと思った。


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