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「全日本吹奏楽コンクール」講評を読んでみて

先日、注文していた「バンドジャーナル」の2024年1月号が自宅に届きました。

今年は吹奏楽コンクールの全国大会に直接観に行ったこともあり、私の感想と比べて、プロの方の講評はどうなのかが楽しみでした。

各団体の講評を読んでいて、私も「なるほど、さすがプロの視点だな」と思うところが何か所もありました。

と同時に、「厳しいけど、わかるな~」という箇所もあったので、その部分を私の視点で紹介させていただきます。

【「職場・一般の部」講評の大井剛史先生の講評について】
まず全体講評が「バンドジャーナルp,43に載っておりまして…
そこを読んで教学をしました!

「コンクールで勝ちに来たのだろうと思わせるバンドがいくつかあり、そんな演奏を聴いて私の心は暗くなりました。」

えっ!Σ(´∀`;)

と思いました(笑)

さらに大井先生は
「『音楽ってそんなものか?』と。『全日本吹奏楽コンクールというのは、そういう演奏を目指す演奏愛好家を増やすために、開催され続けてきたのか?』と。」と述べられていました。

たっ、確かに(>_<)

さらにその後のページに、
「課題曲の『課題』をどう学ぶのか」
という、大井先生の論考?が載っており、

「(課題曲の)「作曲者」が与えた課題に向き合っていない団体が、たくさん全国大会に出場してきていた…」

「もし課題曲の「課題」に向き合わなくても全国大会まで来られてしまうならば、課題曲の意味って何なのでしょうね。」

厳しいなぁ~( ;∀;)

でも、とってもわかる気がしてしまいます。

私が現役のときも、楽譜にない音を足したり、表現記号を楽譜とはまったく違うように演奏したりしている団体をたくさん見てきました(事実、私の団体もそうでしたし…)。

大井先生の論評は厳しいようにも思えますが、「本当に吹奏楽を愛している」からの感想にも思えました。

私も「そうだったよな~。」「『コンクール向けの演奏=うまい』と思ってしまっていたかもな~」と思いました。

2021年元日に放送された「芸能人格付けチェック」のなかで、
プロの吹奏楽団体と、高校生の演奏を聴いて、プロの演奏を選ぶという
番組がありましたが、「うまいな」と思ったのは高校生の演奏でした。
しかしそれは、「コンクール的なうまさ」だったことを思い出しました。

一方、プロの演奏は、コンクールをまったく意識しない、純粋な表現でした。

高校生のほうの演奏を皮肉っているわけではありませんが、
「コンクールに勝つための演奏」が、=(イコール)上手い
という価値観は、本来の音楽的な考察から考えて
おかしいのかもしれないなと思いました。

大井先生の論評は、無意識に「コンクール的な耳」で演奏を聴いていた私たちにとっても、一喝となるご意見だったと思いました。

ぜひ、買って読んでみてはいかがでしょうか(^^)/


ではまた。

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