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映画②ファーストマン〜偉業を成し遂げるということ〜

テーマに「偉業」なんて言葉を並べておいて、
とっても小さくて恥ずかしい話だけど、
ちょっと自分の話を。

先日、友達とディズニーランドに行って、
「自分の稼いだお金でブルーバイユーレストランに行く」
という大人になる過程で達したい小目標みたいなことを叶えてきた。

幼い頃、
カリブの海賊という乗り物に乗って、
その船から見るレストランが
本当にロマンチックに見えた。
昼なのに夜みたいな暗がりで、
美味しそうなご飯を食べる人たち......
あの乗り物に乗るたびに、
社会人になって自立できるくらいのお金を稼いだら必ず自分のお金であの場所に行こう、
と決心していた。

そして、
なんとか社会に出て経済的に自立した上に
たまたま友達が予約を取れるよ〜と
言ってくれたので、
その幼い頃から
憧れていたあの場所にたどり着いたわけだ。

......結論から言うと盛り上がりに欠けた。
川側のいい席だったけど、
レストラン側から見るライドが流れる川はチープだし、その場で周りの人を見渡すと、
ああ。そうだよね、ここは遊園地だしね。
みたいな冷静な気持ちが湧いてきた。
ちなみにメインディッシュのお肉はとってもおいしかった。(私がねじれているんです。とってもいいレストランです!)

その時、
「必ずしも行きたい場所に辿り着いたら、
 感動したり報われるわけじゃない。」
ということを実感した。

乗り物からみたレストランを夢見ていて、
あーいつか行きたかったけど、
チャンスを逃しちゃったね。
ぐらいのテンションでおばあちゃんになった方が、
ずっとキラキラした思いを抱えたまま
ディズニーランドに行けたのかもしれない。

これってすごく人生だな〜なんて思った。

その「見る視点によって変わってしまう人間の内的経験に関する出来事」について考えた時、
この映画を思い出した。

ファースト・マン:あらすじ

人類の夢であり、未来を切り開いた月面着陸計画。史上最も危険なミッションを成功に導いたアポロ11号船長の視点で壮大なスケールで描くー。(filmarksより)


あの、「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督と主役のライアン・ゴスリングが再タッグを組んでいるわけだけれど、あの映画のような華々しい雰囲気は一切ない。
というかむしろ怖すぎるくらいに追い込まれる演出が休む間もなくやってきて、正直気持ちのいい映画ではないのだ。

でもこの映画の魅力はそこにある。
恐らく、「人類初の月面着陸」というテーマから
考えるとその偉業を成し遂げたヒーローたちを
ドラマチックに描く映画を誰もが想像したはずだ。

私だってそうだったんだから、
アメリカ人の方は恐らくもっとだろう。

でもこの映画は違う。
主役はニール・アームストロング(実際にアポロ11号の船長を務めた)という"月に初めて足をつけた英雄"ではなく、"仕事に邁進する一人の男であり、一家の父親であり、ただの人間"の内面を綴った物語。

この映画が胸に刺さる理由はズバリ、
「偉業を成し遂げることの孤独さが、
 痛いほどに伝わってくる」
という点だ。

以下ネタバレ。

宇宙飛行士の物理的な現実描写

この物語はアメリカNASAの宇宙開発のうち、
ジェミニ計画とアポロ計画に携わる宇宙飛行士の奮闘が描かれる。

もんんんんのすごく簡単にまとめると、

ジェミニ計画→月面着陸実現に向けた技術を切り開く計画

アポロ計画→人類初の月への有人飛行計画

ニールはジェミニ計画で初めて宇宙に飛び、その後アポロ計画でアポロ11号に乗船し、月面に最初に足をつけたわけだ。

そもそも、この計画に携わるまで、
そして月に降り立つまでの物理的な苦労は凄まじい。

映画で描かれただけで、
・計画メンバー選出面接の時点で氷水につかる
・訓練でグルグル回る機械に乗せられゲロまみれ
・途方もないほど厚い資料と長い講義
・着陸訓練のために不安定な機械に乗り、シュミレーションする(ニールはこれでケガをする)

恐らく実際にはもっと過酷な訓練があるだろう。
特にどう考えても耐えられない、グルグルの機械(大気圏再突入の際のGに耐えるための訓練装置)に乗せられて、失神してから汚いトイレに駆け込むシーンは目も当てられない。
機械はコレ。
(https://www.redbull.com/jp-ja/do-you-have-what-it-takes-to-be-an-astronautより)

そして、この映画で賞賛すべきポイントとして挙げたいところが、
辛い訓練に耐え抜いた後に乗り込む
宇宙船の描写だ。

宇宙という、もう何かあったら
助かる見込みは確実に低い危険な場所に向かうのに、
宇宙船は私たちが思っているよりも、
特別でもなんでもない。
"ただの金属の塊だ"という描写が多い。

特にジェミニ計画で初の宇宙飛行になるニールが
ジェミニ8号に乗り込むシーンはすごい。
まず、信じられないほど狭い座席。
ほとんど外部の状況がわからない窓。
打ち付けられた金属の板と板を繋ぐネジ。
これらがねっとりと映し出され、
ニールが感じる緊張感をこちらにも与えてくる。
しかも発射した後も、
金属が衝撃に必死に耐えている唸るような音が、
非常に生々しく、不快。

この描写は珍しいと思う。
ここは監督に思わず拍手したくなる。

ちなみにニールはこの明らかに不安な
宇宙初飛行の宇宙船で、
「回転が止まらなくなる」というトラブルに遭う。
そのシーンは阿鼻叫喚だ。
映画館で呼吸が止まりそうになったのを覚えている。

また精神的にも辛い出来事が続く。
苦労を共に乗り越えてきた仲間たちが
訓練中の事故であまりにも簡単に突然亡くなる。
特に、彼が家族ぐるみで共に過ごしていた、
ガスがアポロ計画の火災事故で亡くなるシーンは
あまりにもショックだ。

アポロ11号が月に飛行する過程は
割とスムーズに描かれるのだが、
ここまでの宇宙と対峙することの恐怖、葛藤の
現実はあまりにも受け入れ難かった。
偉業に向けた輝きを放つ経験などほとんどない。
泥臭くて、悲しくて、痛い。

ニールと家族

そしてこの映画でかなり重要な役割をする、
妻のジャネット。(クレア・フォイさんが演じているのだが、この方の演技は本当に素晴らしい。他の作品でもそうだが、こちらに緊張感を最大限に与えてくれる人だ。「ザ ・クラウン」での彼女も是非みて欲しい)

もちろん、彼が仕事に邁進するために、
支えたのは彼女だ。
でも上記で伝えた通り、
宇宙に飛行するということ自体が恐怖であるのとはまた別で、
これを地球で待つ身の恐怖も深い。

ジェミニ計画での回転事故のトラブルの時は
ジャネットはラジオでその状況下の交信を聴き、
居ても立っても居られず、会社まで状況を聴きに行くシーンはすごく印象的だし、
なにより、家族ぐるみで励まし合い、
絆を深めた夫の同僚が亡くなるたび、
"明日は夫の番かもしれない"という現実と
戦わなければならない。

先程言及したアポロの火災事故で亡くなった、
ガスの奥さんと絆が深かったジャネットは、
夫を亡くした彼女に寄り添う。
そのシーンはある意味宇宙の描写より
心が冷え込んだ。

もちろん、そんな恐怖と戦いながらジャネットは
あまり心の内を明かさないニールと
月面着陸計画の出発直前に大げんかする。
その時に放った、
「息子たちに帰れなかったときの心構えをさせて。」というセリフは震えた。
家族に対してそんなことを言わなければならない、
そんな恐怖は想像し難い。

そして、幾多の困難を経て月面着陸を成功させたニールとそれを支えたジャネット。
この映画のラストは、
月から帰ってきたニールとジャネットが再会し、
言葉を交わさずに愛を伝えるシーンで終わる。

現実のニールとジャネットは、
月面着陸の偉業から26年後に離婚している。
私たちは観客として、この偉業を影で支えた奥様と添い遂げて.....と勝手に想像してしまう。
もちろん映画では描かれていないが、
理由がわからなくても、
彼らのとても人間らしいエピソードの一つだ。
映画を見る限りなんとも彼ららしい選択に思えるから。

娘の死とニール

この映画を見たことのある人は、
ここまでの文章で、このエピソードに触れないことをナンセンスに感じたと思う。
この物語の中でニールの感情の根幹に常に存在していたのは娘のカレンだからだ。

カレンはガンで2歳で亡くなっている。
映画の冒頭、小さな体で一生懸命に闘病しているが亡くなってしまうシーンが描かれる。
そのお葬式でニールが啜り泣くシーンは、
あまり感情を表に出さないニールにとって
ものすごく珍しい瞬間になる。

ニールはこの出来事を機にして(いるように見える)、
仕事での新たな挑戦としてNASAの月面着陸計画への選考に参加することになる。

カレンはその後、
たまに会話で登場するが、ニールの口から、
カレンの話は一切出ない。
でも何故か見ているこちらが、
勝手にニールの行動の裏にいるように感じてしまうのだ。

カレンの死によって生まれた心の穴。

それを埋めるように、生と死の恐怖と戦いながら、そして時に狂ったように月を目指すニールが映画の中にはいた。

月でニールが見たモノ

地球から離れたことのない、
大多数の人類は、恐らく月からみた地球は綺麗だろう、とか、自分が生きている星を外から眺めていかに神秘的だろうとか、神の存在を感じるかもしれない.........
なんて想像をする人が多いのではないか。

私もそうだった。
ではニールは何を見て、何を感じたのか。

この映画の月面着陸は、
極限まで描写を控えめにしている。
(着陸の時はとっても音楽で盛り上げるが、実際に月に出る場面では、無音の世界を再現してくれて、そのリアルさとニールの内面に集中できる作りにしている。)

あの有名なセリフを放ち、
月に踏み出したニールは、もう一人の船員が跳ねて喜びを表すような動きをする裏で、
静かに周辺の景色を見つめる。
その時ニールの頭の中を巡ったのは、

「カレンがいた頃の家族の記憶」だった。

(まさか月の上で地球上のちっぽけな家族の温かい愛の記憶が再現されるとは思っていなかったので、ここで私は号泣した。)
つまり、ニールが月で得た内的な経験は、
「辿り着きたいところに辿り着いた時、
 いつもいるけれど、今は離れている星での
 大切な記憶が頭を埋め尽くした。」
ということだった。

彼は静かに涙を流しながら、
大きなクレーターの中にカレンが亡くなるまで身につけていたブレスレットを置いていく。
※これはフィクションで伝記に基づく推察

ここに至るまで、
"人類で初めて月に行く"という
偉業をなしとげたときに
"家族を思い出す"
と予測することはできなかっただろう。

ニールはもちろん、
地球や星の美しさに感動したかもしれない。
でも、それ以上に動いた心は、
もっと身近で、小さな事で、でも心の中で大きな役割を担っている記憶だったのだ。

だから冒頭で言ったように、
この偉業自体よりも、
彼が経験した苦しみや悲しみにフォーカスが当てられていた分、偉業を達成することの孤独さが非常に際立って感じられたというわけで。
それがものすごく新鮮な映画経験だった。

実はこの映画は、実話をベースにしているだけに、
星条旗を立てるシーンがないことや、監督の発言によってアメリカでは炎上し、アメリカだけでなく全体的に評価はあまり高くない。

自国の開発に関する映画なので、
アメリカ国民の批判には、
恐らく私が共感しようと思ってもなかなか難しいところだ。
ただそこを抜きにしても、
事実に感動する人と事実から生まれる何かに感動する人がいるとして、
この映画は後者にしか響かない。
あまりにも淡々としていてるし、
いくらでも盛り上げるチャンスの箇所でも、
非常に抑えた描写をしていて現実的すぎる。
感動しないその気持ちもよくわかる。
でも後者のタイプにとっては、その淡々とした事実のなかに含まれる、
ニールを例にした人間の内的経験に迫りながら、
余白も存分に与えてこちらに考えさせるチャンスもくれる、
素晴らしい映画と感じるんだろう。
個人的にはもっと評価されてほしい作品だった。

ここで冒頭、
私が月面着陸に対して本当にちっぽけすぎて、
お話にならない自分のエピソードを載せたことが
本当に恥ずかしい。
でもうまいアイスブレイクが浮かばないので、
そのままにした。

もしも冒頭のエピソードと
この映画を無理やりつなげるとしたら、
辿り着きたい場所に辿り着いた時の
私たちの心はいつも予測できないということだ。

人類初の月面着陸を成し遂げた人間の感情と、
地球でそれに憧れる人間が想像する感情は、
全然違うだろうし、
月に行ってみないと前者の気持ちは
わからないことなのだ。
月で感じた物理的な宇宙よりも、地球上に存在する家族との絆のほうが人間の内部では大きな宇宙なのかもしれない。

見ている視点や立場によって、
人間の内部にある感情や経験は、
全く異なるのだ。
私にとっては目に見える大きな事実よりも、
その事実に触れた時に巻き起こる
私たちの心理的な面で小さな動きが、
とっても重要なんだということだ。

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