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#消すことのできない写真展

こんばんは、なんだか、こんばんはがぴったりな気がしました。
現代は、昔に比べ写真という物が、すごく身近な気がします。
手元にある、iPhoneでは数秒で起動し、手軽に写真が撮れます。
簡単故に形として残らないし、お別れも指を動かすだけでできます。
だけど消すことのできない写真が、大体の人が持っていると思います。その、事象がわたしは美しいと思い、「#消すことのできない写真展」というハッシュタグを作りました。
そこに込める思いと、現代と昔の写真への向き合いかたについて、触れていきたいと思います。

ハッシュタグ 消すことのできない写真展

「消すことのできない」という表現は一概にこれと断定できないです。
なにかを定義するときに、否定文を使うのはあまり良くない気がします。絞り込むことのできない表現は、ときに、相手を困らせます。
ただ、曖昧でいい事もあると思うので、あえて「消すことのできない」と表現しました。

わたしの、消すことのできない写真は、失敗したフィルム写真でした。
これは、# をつけてsnsに投稿しましたが、SNSと写真の関わりについてたまに考えることがあります。
なぜ、人々はSNSをするのでしょうか。
SNSで心病む人もいます、だけど廃れないのは、きっと人とのつながりが、ライフラインになるからだと思います。
今の時代は、その手段がSNSなんだと思います。

わたしは、SNSに言葉と写真を投稿することは供養だと考えています。
私は写真を、沢山撮ります。ひとつきで1.000枚は撮影します。
その写真たちは、印刷される写真と、印刷されずカメラロールに眠る写真もあります。
わたしは、なんだか人の目に触れられないまま、忘れられ、そのときが来たら、持ち主に消される写真がどうも、かわいそうだと、思ってしまいます。

生まれた物を殺すのか、と思う自分がいます。

過去大切にしていた写真、愛おしく何度か見直した写真、もう見ることのない写真、触れたくない思い出を写した写真、その写真たちが悲しげな思いをしていないかと考えてしまうんです。

SNSで写真を自分以外の人に見てもらえたら、すこしは報われるかと思い何気ない意味もない写真も、SNSに投稿するようになりました。

そんなに、写真一枚に感情を込めているわたしはおかしなひとですね。
自分でも、文にしていて可笑しくなってきました。

私の消せない写真

やっぱり、失敗しがちなフィルムが多いのですが、失敗しても私が撮った写真のなかの1枚です。

ふわっとした写真の向き合い方ですが、一枚一枚思い出を閉じ込めた、ちいさなタイムカプセルなので、簡単に指の動き一つで消したくないんです。

そんな写真たちの行き場、良ければ使ってみてください。
それではまた。

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