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   川端康成  「死のパンセ」

 小坪湾 (神奈川県・逗子市)から内陸に向かって急峻な坂道が続いている。
 友人の家は、その坂道を登った丘の頂上にあった。
 登り切れば平坦な土地が広がっているだろうと誰もが思う。
 ところが団地の裏手はスパッと切り落とした様な崖になっていた。

 それでも、切り立つ山肌に沿って幅の狭い階段がへばりつく様に作られていていた。
 最寄り駅からはこの階段を利用するのが近道らしく、まだ五歳の娘を連れ、迎えに出てくれた友人の後についてこの階段を登った。
 この時初めて小坪の「裏事情」を知ったのである。

 目の前が開けると同時に眼下に広がったのは、小坪湾を片隅に追いやったように立ち並ぶマンション群だった。

 一息ついてコーヒーを戴きながら、すっかり変わってしまった景色をため息混じりに眺めていた。
「ここ何年かで一大リゾート地になっちゃって。休日は車と人で溢れてる」 友人はそう言って笑った。
 西の方角に目を転じると、潮風で煙る様な湘南の海が、緩やな曲線を描きながら続いている。
 片瀬海岸の少し沖合い——白昼の眩い光彩の中に緑に覆われた江ノ島が浮かび、その背景を飾るように壮麗な裾野をひく富士が聳える。
 この場所から見える構図は、あけゆく朝の光のなかで——暮れかかる残照のなかで——或いは明るい星月夜のなかでさえ、幾つもの美しい景色を描き出す。

 この絶景を、リゾート会社が放って置く訳がない。
 いつの事だったろうか、小坪湾の岩礁の埋め立てが決まり、瞬く間に造成地が出来上がった。

 1971年5月、現在は本館と呼ばれる最初の一棟、逗子マリーナ・リゾートマンションがこの土地に出現した。
 白い壁に、赤い波形の屋根や庇をあしらった地中海様式の瀟酒な建物。椰子の木が植栽されたプロムナード——南国のリゾート地そのままの雰囲気だった。
 マリーナの他にボーリング場やプール、レストランもあり、それらの設備はマリーナを除いて外部の者でも自由に利用できた。
 当時、鎌倉や湘南を根城にしていた私の、新しい遊び場になったのは言うまでもない。

 それからほぼ一年経った1972年4月16日—— 

 マリーナを訪れてボーリングを楽しんだ後、友人達と駐車場に向かっていた。
 初夏を思わせる少し汗ばむ様な陽気の中、全身黒尽くめの男性がマンションのポーチを出て、私たちの方へ歩いて来た。
「ちょっと見て。あの人冬の格好してる」
 いち早く気がついた1人が声を潜めて言った。

 すれ違いざま、笑顔でこちらを一瞥した男性は60代半ばと思われる老翁であった。

 黒い和服に黒のトンビコート。僧の様な剃髪に黒いベレー帽をかぶっていて、足元も黒足袋に黒いはな緒の草履を履いていた。
 ただ眼鏡のフレームだけはべっ甲色だった。
 不思議な印象を残して彼はマリーナのある海辺の方へ歩いて行った。

 翌朝、川端康成の訃報が報じられ、同時に逗子マリーナのマンションの一室が彼の創作場所であったことを知った。
 驚いたのは言うまでもないが、私は咄嗟に、昨日出会った黒いトンビコート姿の老翁を重ね合わせていた。
 あれはもしかして、川端が死の間際、戸外の散策を楽しんでいたのかと。
 いや、違う。川端はすらりとした痩身で、奥目がちな大きな眼をしている。
 ふさふさの白髪に帽子、それもベレー帽を被ることはなかった筈である。

 では一体昨日出会った不思議な人は?
 私は川端の死とどうしても関連付けたい衝動に駆られていた。
 疑問符が付いたままの老翁との出会いは、蟠りとなって心に残り、川端の命日が訪れるたび回想する事になってしまった。


 ところが今から五年ほど前、もしかしてと言う推測を超える様な事実と出会う事になった。
 其れは川端康成が日本画家の東山魁夷と懇意であったと言う事実だった。
川端は魁夷の作品集に序文を寄せたり、魁夷は川端の出版作品の装丁をしたりと、表現者同士の深い交流があったと聞いた。

 私の疑問は点から線へ繋がる様に紐解かれていった。
 剃髪にベレー帽。艶やかな卵形の面差し。べっ甲の眼鏡。ふっくらとした体つき。あの人が東山魁夷でなくて誰だと言うのだ。

 川端が仕事場を構えた本館は、マリーナを見下ろす海寄りの一等地にある。
 彼の部屋が何階であったかは知らないが、湘南の遥か向こうに「伊豆」の海を見ることが出来ただろう。
 光る海の向こうにどんな思いを馳せていたのか。人生の来し方を想い、深い瞑想の日々だったに違いない。
 其処は単に仕事場ではなく、思い入れのある特別の場所だった。


 あの日魁夷は川端の意思によって招かれたのではないか。衣装も黒のトンビコートを指定されて……。
 川端は心の内ひとつ見せず、今際の時を前に盟友と語り尽くして逝きたかったのかもしれない。
 深い共感で繋がった二人であったから、或いは魁夷も彼の心の内を見抜いていたのかもしれない。
 だとしたら私たちが出会ったあの時の一瞬の外出に秘密の全てがある筈だ。

 二人の芸術家の繋がりを知った時から「疑問」は、かもしれないと言う「推測」に変わっただけで、何の解決にも至っていない。
 一緒にいた友人に話しても「サスペンス仕立てだ」と一笑する。
「芸術家の高い精神性を知らないから」と反論するが、どう証明すればいいのだろう。

 あれからマリーナリゾートは進化に進化を重ねその周辺も大きく変わった。
 小坪の友人は平坦な土地に居を移し、転勤族の私もあちこちと移り住んだ。
 今、終の住処は懐かしい場所からほど遠い。
 気軽に訪ねるには、いささか年を重ねてしまった様だ。

 あの時のこと、あの二人の芸術家のこと、誰か知らない?と尋ねあるきたい。
 そんな私の思いをよそに再び4月16日が巡って来る。
 そしてまた回想で終わってしまうのか………。


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