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彼の生きる人生


結婚してからも、相変わらず彼は尊いし、格好良いし、優しいし大好きである。

好きなバンドの歌詞を借りると、益々その愛は深まるばかりだ、という状態である。


寝食を共にし、どこかへ出かけても帰る場所は同じという安心感。

一人で過ごす時間が長くとも、必ず帰ってきてくれるという余裕。


精神疾患を患っても、優しく受け止め今まで以上に甘やかしてくれる漢気。

そう、今年の頭に職場で過呼吸になり、手足が痺れ眩暈がし、そのまま帰ることになった日から、

心療内科に通うことになった。

基本的な性格として私という人間は明るく元気に振る舞うのだが、

二面性が強く、根は暗くネガティブで人との接触を避けることで自分を保っていた。

仕事では尚のこと明るく元気でいることに努めた。

それが出来なくなり、世界一大好きな彼といても、笑うことができなくなった。

これは非常事態であり、

比喩でもなく、表情筋が固まり、動こうとすらしなかった。

こころの中ではたくさんの言葉が浮かんできて、それを彼に伝えたいのに、

声を発するのはとんでもなくエネルギーが必要で、喋ることも辛くなった。

ただ、その時の彼の悲しい顔は今も脳裏に焼き付いていて、

もう二度とあんな顔はさせたくないと強く思う。


あの時、もしかして結婚生活も駄目になってしまうんじゃないかと思った。

彼と過ごせた一年を大切な思い出として蓄えられたことが幸福だったと思うほかないとさえ。

私のネガティブな面が外面の性格を消してもなお、彼は私を愛してくれた。

明るくて元気な私じゃなくても、大好きだと、私という存在が大切なんだ、

と何度も伝えてくれた。

私がずっと眠っていても、家事ができなくても、お風呂に入らなくても、

少しだけ起きて、本を読んだということを褒めてくれた。

ちょっと頑張って掃除をしたことを大袈裟なほど感謝してくれた。

(2022年10月の下書き)


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今(2023年11月)この文章を読むとなおのこと、彼の尊い人格が私を生かしてくれたと実感する。

中途半端な文章で終わっているのがまた、当時の状態を物語っているようで、
回復した今でも少し喉が苦しくなる。

その後のことを補足しておくと、心療内科の通院は半年ほどで終了したが、その職場に復帰することはできなかった。

そのため収入のほとんどを無くし、彼により一層の経済的負担をかけてしまう。
一年ほどかけて少しずつ仕事を増やし、最近ようやく彼にかける負担を減らせたように思う。

今では、頑張りすぎることを自覚して、スケジュールをゆとりありすぎるんじゃないかと思うくらいに空けておくことで元気に生きていけることを知った。

一度心が折れてしまうと、元には戻らないということを身をもって学んだ。
そして、彼は今でも私に無理をさせないようにと、家事をかなり担ってくれている。
あれからほぼ毎日、お昼寝をしないと持たなくなってしまったので、
彼が帰ってくるとお昼寝の有無を確認してくれるようになった。笑
二人の休日の際に、お昼寝ができないスケジュールだとかなり心配をしてくれるし、
車での移動中に寝るように勧めてくる。

やはり以前とは違った生活になったが、
今の方が心が穏やかで、自分という人間を自覚・認知しながら生きている感覚がある。
先のスケジュールに心を病んだり、緊張感を感じることも激減した。

これも全て、彼の尊い人格のなせる技であり、
私という人間の存在意義を「存在する」という究極体へ昇華させてくれた彼そのもののお陰なのである。

こうして今日も寒くなった空気の中でも、彼という太陽のような温かい存在が私を生かしてくれていることは、誰がなんと言おうと世界一幸せ者の証である。


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