映画「20センチュリー・ウーマン」と、世代をこえ価値観でゆるやかにつながる共同体のこと。

公開から1ヶ月ほど経ってしまったが、やっとマイク・ミルズ監督の「20センチュリー・ウーマン」を丸の内ピカデリーで観た。

この映画の予告編を今年の春先に初めて観たときの自分はすごくいろいろなことを考えていた。35歳の半分が過ぎたなあという時点ということで、この先自分はどうやって生きていくのがよいのかなあと。たとえば自分が子どもを持てたとして、その子はこの先の社会でどうやって育っていくのかなあ、とか。頭でっかち、考えすぎ、と言われればそれまでだが、そういうことって考えませんか?まあ世の中にはそういうタイプの人間もいるわけで、自分はそういう人間で、もうこればっかりは仕方ない。

で、そういうモヤモヤを一掃してくれるような何かが、この映画の予告編にあった。「ああ、もしかしたら、このような自分でも子どもを持ってもよいんじゃないか。もしかしたら子どもを持ち、周りの人とともに育てることもできるんじゃないか」と直感的に思えたのだ。じつは人生で初めて素直に「ああ、子どもを育てたい」と思えた瞬間だったので、それまでそういうことはずっと考えていたけれど、たった1分ほどの予告を観ただけですべてが繋がったような、背中を押されたような気持ちになったことは、自分としてもとても不思議な体験だった。

この映画の舞台は1979年のカリフォルニア、サンタバーバラ。

作品中でアネット・ベニングが演じる母・ドロシアは40歳で息子ジェイミーと暮らし、今彼は15歳になろうとしている。

ドロシアは離婚を経験している。そしてジェイミーの成長過程を見守るなか、自分の周りにいるふたりの、自分とは年代の異なる女性にジェイミーの力になってやってほしいと依頼をする。

画一的ではない家族や周りの人とのあり方。必ずしも血縁に依拠しているわけではない「共同体」としての家族(そもそも「家族」という言い方が正しいのかがわからない)。ドラマ「カルテット」で私たちが惹かれたものに近いかもしれない。あたらしい共同体の形。

でもその形って実はとりたてて新しいものではないだろう。この映画のなかでは”大恐慌時代の人たちは皆助け合っていた”というような言及がなされるし“コミュニティ”というような言葉でわざわざ説明しなくても近所の助け合いで共同体が生まれていくのって、かつての日本においても普通のことだった。

私自身、自分が30代半ばになってくると10以上年齢の離れた若い友人という存在も出てきている。しかし、自分に兄妹がいなかったことも影響してか、また単なる体育会的な「先輩・後輩」関係の違和感に中高時代に敏感になってしまったからか、どういった関係を築けるのがお互いにとってもよいのだろうなあなんて考える機会も増えていたところだった。が、ちょうど先月「ああ。“近くに住む、頼れて優しくてイケてる兄ちゃん”みたいな存在でありたいなあ」とふと思うようになっていた。この映画に登場するグレタ・ガーウィグが演じたパンキッシュな赤い髪の女性・アビーは、たぶんそんな存在だったし、なんだか肯定されたようで嬉しくもなった。(あと彼女はこの映画の中でバンドTシャツを着用していることが多くてそれがまたなんだか嬉しい。)

自分の周りにいてくれるバックグラウンドや年代が多様な、かつとても親しみを感じられる友人や知人たち。この環境さえあれば、自分にもし子どもがいたとしても、その子を自分だけの存在としてではなく自分たちの次の未来を担う存在として一緒に育てていけるのかも、と予告の時点でこの作品は思わせてくれていたのだが、作品を観て、もうそういうことにすら肩肘張らなくてよいなあと思ったりもした。

1979年。私が生まれる2年前、IBMは伸び盛り。インターネットも携帯電話もまだない。アメリカ西海岸で生き方を模索する女性たち、音楽(バンドTシャツ)、フェミニズム、台所でもベッドでも紫煙をくゆらす人々。

この時代背景や、女性論については私自身まったくの不勉強なのでここで論じることはできないけれど、マイク・ミルズによる切り取り方、絵づくり、音楽の使い方、作品の端々にいたるまで浸透した視座にしびれてしまった。(なんてったって、やはり90年代後半に10代を過ごしてしまった自分は彼が映画監督になるより前の影響を受けすぎているので。)

とはいえ、こんなに愛おしき作品が封切りから1ヶ月と経たずに終わっていくのだから劇場へはすぐに行かねばだし、自分の価値観を共有できる範囲はとても僅かなのだよなとか、映画終演後にまた思ってしまった。

どうしても観たいと思っている作品は、やっぱり可能な限り、劇場で観たい。だから自分は東京にいるっていうのも、あるだろうなと思ったりする。

少しばかり生きにくさを感じる人たちが、価値観を認め合える場所、ということをぼんやりと考える。ふと、今年の初めに読んだ望月優大さんによるこの記事のことを思い出したりもした。

■私たちが生きていくために必要な関係性にはまだ名前がない――家族と社会の新しいあり方について - はたらく女性の深呼吸マガジン「りっすん」

http://www.e-aidem.com/ch/listen/entry/2017/01/11/110000


「20センチュリー・ウーマン」これから劇場で公開になるところも多いはず。長く、多くの人に愛されたらいいなあという作品でした。エル・ファニングたんが魅力的すぎて大変です。

予告編はこちらから。

https://youtu.be/yTBG6TXBAr0



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「サーフと文学」。 鈴木の脳内にあることをつらつらと書きます。The note written by Emiri Suzuki. twitter @emr_81
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