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むせ返るほどの湿気

実家に帰省してきていた。

今回の帰省は、「避難・癒し」と名付けるにふさわしい。どうしようもなくなった現実に、物理的な距離をとり、頭を冷やす必要があったのだ。

あぁ、なんだかこうやって帰省したの初めてじゃないなぁと思ったけど、それは大学1年生の冬の帰省時だ。

その頃付き合ってた人が、クリスマスに違う人とデートをしているところに出くわししたのだ。もちろん、激怒!そして心臓がバクバクするほどの悲痛…そんな心の痛みを抱えながらの帰省だった。帰省し、両親・家族と過ごす日々は私の痛みを和らげ、癒した。

あれから10年以上も経って、私は同じことを繰り返している。親元で、自分に向き合い、エネルギーをチャージしている。

この歳で、こんな事になろうとは、正直想像していなかった。

正確には、全く同じではない。この10年間で、私は様々な経験をし、生き抜いてきたじゃないか。それだって今思えば、「偉かったね、自分」!

でも今は、また違うレベルにいるのだと感じている。

「魂レベル」での成長を遂げる時なのだと感じている。

訳もわからず他人にひたすら甘える、そんな自分の甘さを見ないフリをする自分とは、もう決別しなければ。


起こった全てを自分の責任として、自分の足で立って歩いて行く。

もう、前に進もう。


アラサーの娘に、泣きつく袂を快く差し出してくれる両親が今も健在な事。それってどんなに幸せな事だろうか。

彼らは言う。「いくつになっても、自分の子供は可愛いし、いつまでも「子供」なのよ」と。

嗚呼、神様ありがとうございます。

そして、もうこんな事で両親を心配させない!と言う気持ちでいっぱいになる。いい歳して泣いてる娘を見るより、笑顔の娘を見たいに決まってる。いつでも甘やかしてくれる両親にできる親孝行。ねぇ、実現するよ。

あなた達の子供に生まれて、本当に良かった。心底信頼し、愛してる。

そして、あなた達は私の永遠の憧れのカップル。いつか私もこんな風になるからね。


私は色々な役柄を持っていて、妻であり、会社員であり、娘であるけれど、そこにもうすぐ「親」も加わる。というより、気持ちとしてはすでに加わっている。

お腹の子を迎えるにあたり、自分が見本にならなければとか、立派になろう、ということではない。

ただ、「自分」を自分らしく、生きている姿を見せたい。そして、子供には何を気にするでもなく、自分のハートの赴くままに生きて欲しい。


田舎道をカメラを持って一人歩き、小さい頃から知っている、このむせ返るほどの湿気を吸いながら思う。

世界はいつだって平等に私たちを受け入れてくれている。私には最初から何も必要なかった。私は、最初から愛されていたのだ。


だから大丈夫、私も愛を与えられる。くれた人に、愛を返していける。






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