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踊る仕方関係なく-スパンコールグッドタイムズ「Funky Magic」-歌詞考察vol.5

ライブで音に乗って自由に踊ると、全てが無になって、今この瞬間のために生きているんだということを痛感させられる。誰しも毎日何かしらの不安と戦っていて、日々の隙間にため息をつきたくなる時がある。それでも、好きな歌に救われる瞬間は何度もある。
今回はスパンコールグッドタイムズの「Funky Magic」を考察する。

まだ冬の寒さと春の暖かさの狭間の季節であるが、夏曲を紹介させていただく。名曲に季節は関係ないというのが僕の持論だ。
聴いているだけでも浮かび上がってくる情景の美しさに加えて、社会人をやりながら、夢を追いかける自分にとって刺さる歌詞は、聞けば聞くほど味わいが深くなってくる。
ヲタクの妄想解釈に最後までお付き合いいただければと思う。

 ■歌詞全文

「Funky Magic」作詞・作曲メルクマール祐

砂浜踊る浮かれた人形 冷めた目線で
ソーシャルディスタンス
でも本当は私も言いたい、そう
Shall We dance We dance We dance

ほら束の間 夏に双子座
瞬いた歌でも救われたりする

だから Funky Magic
操って 真夏のマリオネット
臆病の風が吹いて
糸が絡まらない様に 

きっと Funky Magic
誰もみな夢見るマリオネット
願いを込めながら揺れてる
寄せては返すように踊るメロディ 

Flower 落とす疲れた人魚 カメラ目線で
フォーカス イズ チャンス!
勇気出して私が言いたいそう
Shall We dance We dance We dance

ほら束の間 そよがすアロハ
また聴いた歌でも 勇気づけられたりして

だから Funky Magic
操って 真夏のマリオネット
現実の風が吹いて 糸が絡まらない様に 

きっと Funky Magic
誰もみな 夢見るマリオネット
PINK&PURPLEの海が見えた時には
ねぇどうしたらいい?

私達は踊る そして辺りは闇に包まれる
踊り続ける今、夜空に花火が打ち上がる
Funky Magic for you…
Funky Magic for you…
この花火が終わる頃には魔法も解ける

だから Funky Magic
操って 真夏のマリオネット
臆病の風が吹いて
糸が絡まらない様に 

きっと Funky Magic
誰もみな夢見るマリオネット
願いを込めながら揺れてる
寄せては返すように踊るメロディ

 ■歌詞考察

砂浜踊る浮かれた人形 冷めた目線で
ソーシャルディスタンス
でも本当は私も言いたい、そう
Shall We dance We dance We dance

 考察を勧めていくにあたって、登場人物を紹介する。この歌詞には登場人物が2人、正確に言うと、視点が2つ出てくる。
“「人形」”と“「冷めた目線」を送る「私」”だ。
まず、「人形」(以下、「A」とする)である。歌詞の全体像を踏まえると、「砂浜(≒ステージ)」で「踊る浮かれた」人(≒「人形」)は“今まさに夢を追いかけている若者”のことを歌っているように見える。
役者、ダンサー、はたまたアイドル自身であるかもしれない。

次に、「私」(以下、「B」とする)は、Aに対して「冷めた目線」を送っているため、おそらく夢を諦めかけている人なのだろう。一生懸命頑張ったけれど、それだけじゃ食っていけない現実に直面し、悩みを抱えながら海辺にやってくる。そこで必死に踊りの練習をしているAが目に入る。そんな若者の姿を見て、“どうせお前も無理だよ”と壁(≒「ソーシャルディスタンス」)を作りながらも、心の底では自分もあんな風に踊りたい、活躍したいと思っている(≒「Shall We dance」)。
1番はAの心情、2番はBの心情に重きを置いて描かれているように思える。それぞれの気持ちを描くことで多様な解釈ができ、時間の流れを感じさせる歌詞作りには感嘆する。
このBと周りの人の関係性は、スパンコールグッドタイムズのメンバーとプロデューサーであり作詞も担当しているメルクマール祐さんとの関係性とも捉えられると感じた。こちらについては後述する。

ほら束の間 そよがすアロハ
また聴いた歌でも 勇気づけられたりして

「双子座」は冬の大三角形の真上に位置する星座で、冬の終わりから春の始めに見られる。つまり、「夏に双子座」は季節外れな歌詞となっている。Bは、Aを見て自分が夢を追いかけていた頃のことを振り返りつつ、今の自分を比べる。
夢を追いかける時期、青春が終わっても、あの頃の出来事は夜空に輝く星のように美しく光を放っている。夏なのに冬の星座が輝いているのは、つまり、“夢見る時期を過ぎた後”という時間の経過と夢破れた後もあの時の思い出は光り輝いているということが描かれているように思う。
「瞬いた歌」は、TVやラジオから突然流れだした歌のことではないかと想像した。そういった曲に励まされることってよくある。僕自身、高校受験の前日にサンボマスターの「できっこないをやらなくちゃ」をYouTubeでたまたま聴いて、奮い立たされた記憶がある。
少し踏み込んで解釈してみると、「瞬いた歌」とは、Aが夢を追うきっかけになった曲なんじゃないかと考える。ある日、突然この曲と出会って抱いた初期衝動を思い出せば、辛い時でも「救われた」ような気持ちになるのではいかと思った。
Aの視点に立ってみると、大学進学や就職という人生の岐路に立ち、周りと自分を比べて、不安と戦っているのではないかと想像する。夢を目指すというワクワクと同時に将来への漠然とした不安を感じながらも、ひたむきに努力を続けている様子が目に浮かぶ。

だから Funky Magic
操って 真夏のマリオネット
臆病の風が吹いて
糸が絡まらない様に 
きっと Funky Magic
誰もみな夢見るマリオネット
願いを込めながら揺れてる
寄せては返すように踊るメロディ
 

 夢を追いかけている最中のAの視点に立つと、同世代が大学生になって“青春”を謳歌し、または社会人になって“安定”を手に入れていく中で、芽が出なければ当然焦る。このままでいいのかと「臆病の風」が吹いても、自分という「マリオネット」を操って、目標に向けて進み続けなくてはいけない。「マリオネット」という歌詞には、自分自身の表現、やりたいことに向かって突き進むための武器というような意味合いが込められていると感じる。「誰もみな夢見るマリオネット」は、AもBも今これを読んでいるあなたも含まれている。
ここは、色々なものを犠牲にしながら、夢に踊らされている人(=「マリオネット」)とも取れるし、夢を追いかけたいけれど、現実には敵わず、社会や世間の目に踊らされているとも取れる。
それでも今この瞬間だけは一緒に踊ろうというメッセージを僕は受け取った。
「願いを込めながら揺れてる 寄せては返すように踊るメロディ」
この曲にはそんなメッセージ(≒「願い」)が込められ、楽しげなメロディが鳴り響いているように思う。誰もがしがらみを忘れて踊るために作られたのがこの「Funky Magic」という曲なのではないかと考える。(ちなみに、このサビのフリでは、みんなで手を上げて左右に振る)
音は“波形”で表されるので、「寄せては返す」メロディという表現が夏の砂浜をイメージできる歌詞の中にあって、情景が浮かび上がりながらも、言葉の遊び心もあるものになっている。

 Flower 落とす疲れた人魚 カメラ目線で
フォーカス イズ チャンス!
勇気出して私が言いたいそう
Shall We dance We dance We dance

表舞台に出る人間は見る人の注目を集めた瞬間こそ、自分のすごさを人に知らしめる「チャンス」がある。「Flower 落とす疲れた人魚」のように、歌い踊り、輝いている姿だけじゃなく、哀愁、憂いを帯びた姿にも、見る人の注目を集める一種の“輝き”が宿るように思う。
人魚といえば、「リトル・マーメイド」に登場する歌姫・アリエル。ここでいう人魚は歌手を目指してきた女性を想像する。この人もまた夢破れて、砂浜で打ちひしがれている。
落ち込んでいるあなたとも一緒に踊りたいという作詞家の思いを感じる。
考察の冒頭でも触れたが、BはAに対して、昔の自分を投影しているように思う。Aは夢を追う若者であり、過去の自分だ。本当は今でもそっち側に行きたいし、一緒に踊りたいと願っている、そんな風に思える。
メタ的に見ると、「私」(≒B)はスパンコールグッドタイムズのプロデューサー、メルクマール祐さんで「人魚」はそのメンバー自身ではないかと考える。もともと別の事務所で活動していたメンバーが、メルクマール祐さんが代表を務める事務所に移籍したという経緯や彼自身元々バンドマンとして、表舞台に立っていた経験がある。これは想像に過ぎないけれど、もっと大きく輝けるステージへ連れていくという祐さんから彼女たちへ宛てたメッセージのようにも感じる。

ほら束の間 そよがすアロハ
また聴いた歌でも 勇気づけられたりして

1番では「瞬いた歌」だった曲がリバイバルして、自分を勇気づける。夢を諦めずに追いかけ続けている人にとっては大事な歌として自分を支え続けるだろうし、大人になった今、思い通りの生活じゃなくても、あの時がむしゃらに頑張っていた頃を思い出して今も頑張れるのではないだろうか。

だから Funky Magic
操って 真夏のマリオネット
現実の風が吹いて 糸が絡まらない様に 
きっと Funky Magic
誰もみな 夢見るマリオネット
PINK&PURPLEの海が見えた時には
ねぇどうしたらいい?

1番だと若さゆえに臆病な気持ちに負けそうになる心情が描かれたが、2番では年齢を重ねていくことでよりシビアに「現実の風」という表現がされている。
“遅咲き”としてフィーチャーされることはあっても、いつでも若く新しいものが世の中では求められ続けている。年齢制限でオーディションすら受けられない、最初は応援してくれていた人も徐々に離れていく、親や友人には心配をかけるばかりで焦る日々が続いていく。
「PINK&PURPLEの海が見えた時にはねぇどうしたらいい?」という歌詞には、芽は出ないのに、時間だけが過ぎて、どんどん焦る様子が現れているように思う。
「PINK&PURPLEの海」は、夕日が沈んでいく様子の描写である。浜辺で見る夕焼けは美しい景色だけれど、その瞬間はあっという間に過ぎ去ってしまう。目標に向かって突き進んだ日は輝いていて、だけど一瞬で、後戻りできない。その様子が切なく、そして美しく描かれている。

私達は踊る そして辺りは闇に包まれる
踊り続ける今、夜空に花火が打ち上がる
Funky Magic for you…
Funky Magic for you…
この花火が終わる頃には魔法も解ける
 

「そして辺りは闇に包まれる」とあるように、気づけば夜になって、楽しい時間もあっという間に終わってしまう。
今しかないこの瞬間を精一杯踊る。花火が打ちあがった瞬間、誰もが目を奪われる。
だけど、「この花火が終わる頃には魔法も解ける」。夢を掴めた人もそうでない人も楽しい時は、すぐに終わってしまう。
話は逸れるが、最近読んだマルクス・アウレリウスの『自省録』に「誰もがみな、いま、この現在という瞬間だけを生きている」と書いてあった。
たとえ一瞬で終わるとしても、花火のように美しく鮮やかに輝けることができたら、それでいいんじゃないかと思わせてくれる。今この瞬間に込める全力に勝る輝きはない。
最後のサビは、ライブで言うと、アンコールのように“これが終われば本当に終わり”で名残惜しいけれど、1番の盛り上がりを見せて終わる構成が素晴らしい。

■あとがき

細かい韻の踏み方や言葉遊びの効いた歌詞は聞いていてとにかく心地がいい。
今回は夢を追いかける若者とそれから少し経った大人の2つの視点で考察を進めたけれども、それだけじゃなくて色んな聞き方ができる曲になっていて、数年後また聞こえ方が変わるのかと思うとワクワクしてくる。
メルクマール祐さんの歌詞は、どれも情景が浮かぶし、愛情に溢れた楽曲ばかりで胸がいっぱいになる。スパンコールグッドタイムズと同じ事務所のカイジュ―バイミーも祐さんが作詞をしているので、そちらもおすすめしたい。

 【スパンコールグッドタイムズに関するインタビューはこちら】


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