見出し画像

イヤホンを外すと(4月エッセイ③)

 外を出歩いている時、大体イヤホンをしながら行動している。街の音に耳を傾けながら、エッセイや小説に書くネタを集め、見たもののイメージを文章で表現することには憧れがある。だけど、外に出ている時は無性に人の目が気になってしまうから、下を向き、ノイズキャンセリングで音楽を聴き、外気に晒されながらも自分だけの空間を無理矢理作り出す。音楽は場所を選ばずに楽しめるから、いい暇つぶしになる。
 ただし、仕事中や順番待ちをしている時など、イヤホンしていたら困る場面もある。特に病院は、診察室越しの先生の呼びかけがただでさえ声が聞こえにくいのに、耳を塞いでいたら一貫の終わりという感じがする。

 最近眼科に行った。イヤホンせずに待機していると、小学校低学年くらいの男の子が眼圧検査を行っていた。少し怖がっている男の子に対して、先生が「お風が出て、お目め涼しくするだけだよ!」と言って、検査を難なく完了させていた。「痛くなかったでしょ?」と先生が聞くと、「結構強かったよ!」と即言い返していた。
 こうやって優しく言ってくれたら、自己主張しやすいなと感じた。子どもに対する優しさあるユーモアを自分も常に携帯しておきたいと思いながら、小学生の時の出来事が思い返された。

 小学3年生の時、クラスが変わって間もない頃、給食の時間だった。担任の先生は新学期最初の行事について説明をしていた。僕は飲み終わった牛乳の紙パックを捨てに行くところだった。
 僕の学校では、黒板の前に置いてある牛乳を運んできたカゴにパックを捨てる。自分の班で最初に飲み終わった人が開けた紙パックに、後の人たちが小さくたたんで入れて最後にまとめて捨てる。クラスの中で1番最初に飲み終わった人は、カゴにストロー入れとして開けたパックを置いておくというのがルールだった。
 その日は自分が最初に飲み終わって、席を離れて、空になったパックを置きに行った。カゴの手前にたどり着いた時、先ほどまで何かの説明をしていた先生が黙っていることに気がついた。顔を上げて、先生の方を向くと、ものすごい形相で僕を睨みつけていた。訳が分からず、恐怖で立ちすくんでいると、いきなり怒鳴られた。なぜ席を立っているのか、給食中に自由に歩いていいのかなどと責められた。僕が紙パックを捨てに来ただけだということを伝えても、教室中を巻き込んで、『みんな今までそんな教えでやってきたのか』というような内容を言われた。どうやら自分がルールだと思っていたものは、教師によって違うということが同級生の雰囲気からも分かった。去年の同じクラスだった子たちも、大人の剣幕に対しては流石に反応しなかったし、教師に同調し、僕を叱責するような声がちらほら聞こえた。僕はほとんど泣きそうになりながら、席に戻った。
 その担任が嫌いなまま1年過ごした。理不尽な出来事はそれなりのトラウマになった。小学5年生になって、印刷室で他の教師としゃべっている時に、その教師が会話に割り込んできた。あの時に初めて自分の顔がこわばっている感覚を覚えたんじゃないかと思う。

 特に大人に対して、反抗的な態度を取るタイプの子どもではなかったけれど、自分に気に障った行動に対してはこっちの意見に関係なくぶち切れるのが大人たちのやり方だということが心に刻まれた。
 小5の11月に剣道の道場に通い始めて、初めて教師以外の大人と定常的に接する機会ができた。同時に学校以外の小学生と知り合いになった。僕には全てが新鮮に感じられた。稽古中は怒られるし、剣道でボコボコにされる(体罰ではない)こともあったけど、楽しかった。指導内容からは、自分の癖や弱点をよく見ていることが感じられた。自分の話もよく聞いてくれた。先生は、厳格な人だったけど、周りの人から信頼されていることがよく分かった。先生の知り合いの大人や大学生になった生徒たちがよく稽古に来ていた。大人や学校以外の同級生たちと話すのはそれが初めてだった。毎日学校に通って、色んな人と接しているように見えて、実は毎日同じ人と同じ空間で過ごしていただけだったのかもしれないなと感じ、目から鱗が落ちたようだった。

 稽古が終わった後、その先生がよく「目で見て、耳で聞いて試す、その繰り返しなんだ。」とよく言っていた。最初はよく意味が分かっていなかった。
やっていくうちに、自分よりうまい人の真似をして、先生の教えを守って、自分で試行錯誤を繰り返して、上達させていくことの大切さが分かってきた。別に剣道に限るわけじゃない。実際に目の前のことを注意深く観察して、次をどうするかを常に考える。あの担任のことは今でもムカつくけど、そういう人間だとして、次どうして行くかを考えるべきだったと少し考える。苦手な人間とは極力関わりたくないし、関わる必要もないと普段から思っている。しかしながら、自分を評価する立場の心証は良くしておくのが吉であることは最近分かってきた。文章を書く時にも、たくさん本を読んで、人と話して、ああでもないこうでもないと書いていく。下を向いて、イヤホンで耳を塞いでいるだけじゃダメだと言われているような気がする。
 大学に受かって先生に報告しに行った時の笑顔と「すごいな」と声をかけてくれたことは、照れ臭かったが、何より嬉しかったことを覚えている。その1年後、先生は亡くなってしまい、コロナ禍で大した別れもできなかったけれど、その人の考え方と思い出は自分の中でピンピンしている。

ここから先は

0字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?