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整理・整頓(4月エッセイ①)

 部屋の掃除をし終わってから、いつも目に見える範囲だけを綺麗にして満足している自分がいることに気づいた。いつからか、テーブルの上のものが減らなくなった。ただの物置きとなってからどれくらい経ってしまっただろうか。
 少し前までやっていたポケモンカード、溜まったCD、いつもらったか忘れた薬の処方箋。あげればキリがないが、今も学習机の上になんとかスペースを作り出し、パソコンに向かってこの文章を書いている。

 原因は明らかである。この部屋の引き出しという引き出しがモノで埋まっているからだ。入りきらなくなった洋服は押入れの前に畳まれた状態で積み上げられている。ベッド下の収納スペースには学生時代に買ったフィギュアやゲーム機が押し込まれ、無料でもらった加熱式たばこの本体やモデルガンがぐちゃぐちゃに収められている。
 もういい加減ぱんぱんの押入れを片付けないと、目に見えているものすら片付かなくなっていく。どんなことだって、目に見えないところに問題の本質が隠れている。そういった格言めいたことを言って、少し現実逃避をしてみたって、手を伸ばして引き出しを開ければ即座に“本質”と対峙できる。

 この部屋に本棚が来た時、『たくさん本を読んで早く全部埋めてやるぞ』と息巻いていた。いざ埋まると、CDが綺麗に並んでいるその上にCDを平積みして置いていて、とても見栄えが悪い。お気に入りの本だけ残して何とかやりくりして、それでもいよいよ入りきらなくなってきた。Kindleは持っているけど、紙で読みたいという自分の価値観がまだまだ揺るがない。
 本棚のスペースに適当に置かれた小物たちによって、ところどころ何の本が入っているのか分からない。自分らしさがよく表れていると形容するには、ただとっ散らかっているだけだし、大事にしているモノが多いのだ、と開き直りたいところだけど、このずさんな管理方法では目も当てられない。

 「片づけをしているだけ偉いよ」と折り合いをつけようとしても、『目に見える範囲のことだけを何とかしてもいつか痛い目を見るんですよ…。』と何かを悟ったようなフリをした自分が顔を出してくる。痛い目の“い”の字も想像できていないのに、謙虚か賢しく見られたいかよくわからない自問自答を繰り返し、片付けが上手くいかなくなった時の謎の保険をかける。
 まず今視線を落とした先に転がっているペットボトル2つを片そう。もう取り終わった資格の教材も捨てよう。未来(スペース)を切り開くために、過去(もう必要ないモノ)を精算(処分)しよう。部屋の掃除に前向きに取り組むために、カッコづけてみようとしたけど、全然カッコよくないし、ただただ無心でモノをゴミ袋に入れるべきなんだと思う。

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