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Xって三毒そのものじゃねえか(9月エッセイ②)

勘違いや認識不足で好き勝手なことを言っている人を見ると、恥ずかしいという気持ちになる。自分の見方だけで物事を判断しようとする人が苦手だ。そのくせ、新人の子からしたら、時代はこうだから、わたしたちみんなとか大きな主語を使う。私だったからいいけど、と自分の手は汚さないし、自分の発言に責任を持たない。ただの個人攻撃をあくまで大義を背負っているような言い方をする。視野を広く持てているように見えるけれど、視野が本当に広いのだとしたら、色んな価値観でがんじがらめになっているはずだと思う。
冗談だったら相手を否定してもいいと思っている人もいる。何かの失敗を笑い話にするしかないからと言いつつ、原因は本人にもあるのに、いかに誰々の何々がひどかったかを熱く語る。
結局は他人が間違っていると指摘できる自分は正しくて洞察力があると、周りの人に認めてもらいたいだけなのではないかと思う。

Netflix「LIGHT HOUSE」のOPの歌詞が公開された。星野源さんの歌唱からは分からなかった単語が明らかになって、ワクワクした。その中で、歌詞を読んでも分からない言葉があった。「三毒」とは一体なんだろうか。
調べてみると仏教用語に「三毒」という言葉が見つかった。
末法の凡夫がもつ、貪欲・瞋恚・愚痴という三つの毒、根本の煩悩のこと。
貪欲は欲を貪り求める心のこと。瞋恚は自身の意に逆らうものにたいする怒り、怨みの心のこと。愚痴は物事の因果の道理を弁えない愚かさを指すらしい。

欲を貪ることが煩悩なことは何となく分かる。
自分の意に反するものへの怒りとか、因果の道理を弁えないことって、煩悩なんだ、という発見があった。好き勝手なことを言う人たちってもしかして、煩悩のかたまりなんじゃないかと思った。

自分なりに解釈していくと
貪欲→自分の気持ちをみんなに知って欲しいという承認欲求
瞋恚→自分が絶対的に正しいという感覚による自分の気持ちにそぐわないものへの怒り
愚痴→自分の思う通りにならないのはおかしいと、周りを悪く言うこと
なんじゃないかと思う。

X(旧Twitter)を見ると、三毒に当てはまる人ばかりだと感じる。
否定的な考えを述べる人、誰かを叩く人、お気持ちを表明する人。きっと全員がそうではないのかもしれないけれど、その意見が正しいと心の底から思えるものはほんの一握りだろうと思う。
話は逸れるが、たまに"傍観していた奴も同罪だ"と第三者が言うことがある。誹謗中傷を書き込む人が悪いのは当たり前なのだか、炎上している投稿のコメントを見ると、人の悪意がとめどなく溢れている。次から次へと流れる憎悪には、誰か数人の力で止めることはできないようなパワーを感じる。これらを一体どう止めればいいのか、本当に教えてほしい。

エッセイで自分の考えを述べる。過去の自分で書いたものを見ると、表現や考えがまだまだだと思う。あの時は客観的に書けていると思っても、後から見返したら主観の一本槍で書かれていることもある。投稿前に推敲・編集してくれる人が欲しい。

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