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世界の中心に私がいるのではなく、世界そのものがわたしだった

誰だって自分が一番かわいい。

自分がどう思われているか、どういうポジションかを常に気にしている。

世界の中心に私がいるという感覚は気持ちがいいし、無理とわかってもそういう状態を求めてしまうものだ。

世界の中心に私がいる。
そう考えた時に客観的に世界を見て、更に重ねて自分をも客観的に見ている。

自分を客観的に見るというとき、熱くならずに冷静に自分のことを見るという場合もある。
感情を差し置いて、冷静になる時に使うこともあるが、ここでいう客観はそういう意味ではない。
ここでいう、自分を客観的に見るとは、見られている自分を想像して、それこそが自分だと思い込んでしまうということだ。
見られている自分というのは、他者を先手に跳ね返った自分であるはず。
他者の視線に浮かぶ自分。

この自分は今見ている目の前の世界には存在していない。見られている自分は他者が見ている世界に住んでいる。

なのに、この自分を世界の中心に置きたがる。

いない存在を中心に持ってこようとするには仮想の世界を作る他ない。
そしてそこに仮想の自己像を作る。

その世界で、中心にいたい、いや、外れている…と足元がぐらついてしまう。

本当に地に足がついて、安心するということは、元々いなかった自分に気がつくということだ。仮想の世界を作っていたということに気がつくこと。

世界の中心に行こうとするのではなく、世界そのものがわたしだったと気がつくこと。

物語の主人公であり、原作者であったと気がつき、世界を描いていくこと。

作者としての視点が加われば、どうすればこの世界が面白くなるのかという方向に意識が向く。世界に対して能動的になる。

この世界は外界でその中に自分という存在がいるという状態から、この世界が内界で、内側にある世界だったと反転をしていく。

内と外をひっくり返していく。

それがこれから始まる精神文明の時代。

だから、今までとは全く違うパラダイムで世界は回り始めている。

大きな時代変化の只中にいる今、毎日少しの時間だけでも、原作者としてのわたしを思い出す時間が必要だ。

そのためにも世界を感じること。

五感で感じること。

この色彩も音も香りも、内側から湧き立っている。

そこに安心を感じられたら、大丈夫。

目を開こう、そして心を。

わたしたちは小さな存在じゃない。

世界そのものなんだ