夢と現実

夢と現実のバランス

これが一番難しい。

夢を現実にしていくとき、立ちはだかる壁。

夢としてイメージする世界、自分は現状から離れている。
当たり前だ。だからこそ、夢を抱く。

夢を抱く人、それは現状に不満がある人と言っても良い。
現状に不満を抱きやすい人、それはやっぱり子供の頃に育った環境、抱いた気持ちによると思う。
子どもの頃に自由な発想、行動を規制されれば、それに反発するように理想を持つ。
それが夢という形で浮かび上がる。

夢を裏返すと、現実への失望感や諦めが出てくる。
これを何とかしようと奮闘する。

夢を持つ人もゴールの形が違う。
例えばオリンピック金メダリストになりたい。「私」が主語。
私がこの世界でこうなる。という夢。
もうひとつ、例えば世界から貧困をなくしたい。「世界」が主語。
世界がこうなるように私が動く。

変わらない世界の中で私の立ち位置が変わる。
と、変わりゆく世界に影響を与えている、私。

私が変わるか世界が変わるか。この違いは大変大きい。

僕は元々夢見がちな人間だった。
僕の場合どっちだったかと言うと、完全に前者。
私が主語。私がこういう状態になりたい。という夢の持ち方だった。
ミュージシャン、シンガーソングライターになりたい。この職業に就きたい。
という、単純な理由。
思えば、ただの憧れだった。
曲を作ること、歌うこと、ステージをすること、一つ一つの行動を考えるより、ただただ「かっこいい」というイメージ。単純だ。
恋に落ちたようなものだ。

しかし、現実はまた別。ここのところの落差に戸惑う、混乱する。
ここを埋められず自己嫌悪。落ち込む、また何かの刺激で頑張る。
その繰り返し。このサイクルをグルグル回っていた。
そして、グルグル回っているので、現実には何も進んでいない。
現実は変わらない。
やはり、恋しているだけではだめなのだ。
告白してから、その恋が現実のもとのなる。永遠の片思いはただただ、自分の中の世界。

行動に移すと、数限りない問題点が・・・。
そうすると、夢を疑う自分が出てくる。そもそもそんなに好きじゃなかったのかな・・・?
モチベーションも低下。それを何とか上げるべく、刺激を求め彷徨う。
モチベーションを上げることが、目的みたいになってくる。迷走だ。

僕は二十代、三十代でこのようなスパイラルに嵌まり込んだ。
大変辛かったし、何をしているのか分からなかった。

その時の反省点はこれだ。
「現状を把握できていない」「自分の立ち位置が見えていない」
何でこんなことになるのか。理由は簡単。

そこを見ないが為に始めたことだから。

ここが夢と現実の難しさ。
ここを明らかにして、現実に落とし込む。
この過程でぶつかるのは夢のうら返し。
なぜ、そのような夢を持つに至ったか?
何かが欠乏したから、その夢へのパワーが出てきたはず。
その欠乏に目をやること。

そこで生い立ちを考えることが必要になる。
生い立ちは自分では選べない世界。気づいたらあった世界だ。
ここは無意識に沈んでいることが多い。
ここの掘り起こしは必須。
ここで役に立つのは「心理学」
僕もフロイトやユングの心理学、そして新たな形で体系化された心理学を色々学んできた。
その中ですごく役にたったのが、「才能心理学」という分野。
心理学はどちらかと言えば、心の病や心理のマイナス面の改善に使われることが多いが、「才能心理学」はそれぞれの人が才能を発揮するために、使う心理学。
僕はこの心理学と出会ったとき、こういう心理学が欲しかったとワクワクした。
「才能心理学」では自分が生まれてきた環境に何があったか?何がなかったか?
をまず、自分が明らかにする。ここは主観で構わない。
ここで、2パターンに分けられる。
無かったと感じる人はこの欠乏感を埋めようとする。
対して、あったと感じる人は合ったものを広げようとする。

ここだ!

僕が迷ってたのは!

私が主語になるか、世の中が主語になるか。

この違いが才能心理学から明らかになった。

そもそも、2つのタイプがいるのだ。
僕は無かった、タイプだ。だから、無いものを作り出そうとする。クリエイティブなことが好きなのだ。

そして、才能心理学で大切にしている欠乏感、自分の欠乏感を自分で見つける、それを認める作業、ここがやっぱり辛い。無かったことを思い出すのは、楽しいことではない。だから、そこから逃げようとする。
夢を叶える為に一番大切な作業から逃げてしまう。だから夢も逃げるのだ。

そういうことだった。
その事に気づいてから、自分の欠乏感に注目した。いわゆるコンプレックス。

その中で自分が最も抱えていたものは「人とうまく話せない」ということだった。
何だか周りの人は何の違和感も無く、自然に話しているのに、自分にとっては高いハードルのように思えた。
若い頃はここを何とか克服しようと、サービス業や販売、営業、人と関わる仕事に就いた。その当時はそれが好きだと思い込んでいたし、周りにもそう表現していた。本当の自分は隠し持っていた。
そうした仕事に就くと、元々得意で自然に接客出来る人を目の当たりにする。そうしてまた自信を無くす。そんな繰り返しだった。
そして気付く。
コンプレックスは解消する為のものでは無く、自分を知る為のものだと。
そしてコンプレックスの下に潜在的な力が隠されていることを。

そこから、苦手克服的な考えをやめた。
出来ないことをあぶり出し、認め始めた。

人とうまく話すのか苦手…その事を認めると、何も残らない気がしていた。
でも、それを手放し、諦めて生きてみた。
結果、何も変わらない…どころか、軽やかで普通に話せるようになっている!
不思議な体験だった。苦手だから頑張ると、その苦手にフォーカスが当たる。
そこを手放すと、見える世界が違ってくる。不思議だ。

話を戻して、夢と現実。
これは2つの方向から見る世界の見方として捉えると良い。対立させてはいけない。
現実が辛いから、夢で補填する。
現実を覆い隠す為のものにならないように。

不足を感じる確かな現実は夢を叶える大きなヒントだ。
砂時計をひっくり返すように、溜まりに溜まった欠乏感は夢を叶える力となって降り注ぐ。

夢を持つことは大事。
そして、それに打ちのめされることも大事。

現実が見れるから。
夢を持ち、現実を思い知る。

まず、才能心理学の解釈を用いて自分が元々、持っていた人か、持って無かった人かを知る。
持っていなかったら、それを持っている自分になりたいと動き出す。
それで持っている人になれたら、そのままそれを広げていけば良い。
なれなかったら、その欠乏感を力にしよう。
欠乏感を感じるに至れたことに大きな意味がある。その夢の着地点が欠乏感を感じるに至った場合、それは夢が叶うプロセス。夢のパワーが溜まった証拠。
何を世の中に生み出したいのか、自覚出来る。
その中で夢を抱き、思い知った現実、感じた想い、気付き、何がどう変化したか、ひとつひとつのプロセス、これらひとつひとつが夢のかけら。それをつなぎ合わせるのだ。
そう夢の叶え方もある。
そういう人は、ここを世の中に伝えていけば良い。今は簡単に自分のことを発信出来る。

夢と現実のバランス。バランスをうまく取るというより、夢と現実を循環させると考えた方が良い。夢も現実も生きる上では欠かせない。
小さなサイクルでの循環、大きなサイクルでの循環を考えて、計画的に過ごして行こう。

きっと、その先には夢と現実が混ざり合った場所しかないはずだから。