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クック船長とハワイ①1778年1月カウアイ島、2月ニイハウ島

キャプテン・クックは、太平洋探検の第3回航海で、1778年1月にカウアイ島、2月にニイハウ島、1779年1月にハワイイ島へ上陸。2月4日にハワイ島を出帆するが、突風で破損したマストを修理するためハワイ島に戻ったところ、島民とトラブルになり、殺されてしまう。

ジェームズ・クックは1728年、英国の農夫の次男として誕生。海にあこがれて18歳で石炭輸送船に乗り込み、航海術を学ぶ。27歳で王室海軍に志願。カナダでのフランス海軍との戦闘ではセント・ロレンス川の測量と海図制作で注目を集め、ニューファウンドランドでは日蝕を観測し、観測地の経度を定めた。

ジェームズ・クック船長のポートレート(1775年、サー・ナサニエル・ダンス・ホランド画)

王立協会は、1769年の金星の太陽面通過時に南太平洋で太陽・地球間の距離測定を行うことを決め、指揮官に40歳のクックを抜擢。船は1768年8月に出航。ホーン岬を回り、タヒチ島で金星観測に成功。南方大陸の探求を目的にニュージーランド、オーストラリア東海岸、ニューギニアを調査し、1771年7月に帰港。

クック船長は第1回航海でタヒチへ行き、1769年6月3日に金星観測を行う

南太平洋の動植物標本や画家が描いた絵画は注目を集め、南方大陸の探求を目的に1772年7月に2隻の船で第2回航海へ。喜望峰を回り、ニュージーランドやタヒチを拠点に、夏は可能な限り南極に迫る探検を続け、冬は南太平洋の島々を調査。南極大陸は発見できず、ホーン岬、喜望峰を経て1775年7月に帰港。

クック船長は第2回航海で南方大陸を探求するが発見できず

第3回航海は、太平洋から北米大陸の北を大西洋に至る北西航路か、太平洋から北極海を経て北海に至る北東航路の探索が目的。1776年7月にレゾリューション号は出航。喜望峰でディスカバリー号と合流し、南インド洋、タスマニア、ニュージーランド、クック諸島、トンガ諸島、タヒチを経て、北へ向かう。

レゾリューション号(ジョン・ウェバー画)

1778年1月カウアイ島
数隻のカヌーが漕ぎ出てきたので、船の行き脚を止めた。その人たちがオタヒエテ(タヒチ)や我々が最近訪れた他の島々の住民と同じ民族であるのを発見して、驚くと同時に喜んだ。カヌーの中の魚を、我々が差し出す釘や鉄と交換した。唯一の武器はカヌーに積んだ数個の石だった。

翌朝、数隻のカヌーに出会った。ある者は勇気を出し、船に上がってきた。私は、あんなにも驚きをあらわにするインディアンを見たことがない。彼らの目は物から物へと移り、形相や行動の荒々しさが新しいものへの驚異と驚嘆を示していた。最初の男は、彼がぶつかった側鉛と小索を手放そうとしなかった。

三隻のボートとともに岸へ向かった。数百人の群衆が村の前の砂浜に集まった。岸に飛び降りた瞬間、彼ら全員が平伏し、立ち上がるよう合図するまで、そのへりくだった姿勢でいた。それから彼らは、たくさんの小さな豚を持ってきて、バナナの木とともに私に進呈した。私は、所持していたものを贈呈した。

カウアイ島(ジョン・ウェバー画)

1778年1月21日カウアイ島
我々は川の近くタロイモ耕作地を歩いた。船で海岸に沿って進んだとき、すべての村にピラミッドのような高いものを観察したので、見に行きたいと思った。そのひとつに案内してくれた。それは、オタヘイテ(タヒチ)のものに似たモライ(ヘイアウ)の中にあることがわかった。

ピラミッドは端に建てられており、基底部が4ft四方、高さは20ft。側面は小さな棒と枝で開かれた形につくられており、その一部は薄い淡灰色の布で覆われていた。脇に立てられた彫刻をほどこした粗い板はタヒチと同じ。それらの下には四角い場所があり、地面の高さより少し低く、石で囲まれていた。

カウアイ島のヘイアウ(ジョン・ウェバー画)

中央の四角い3つの場所には首長が埋葬され、それらの前の長方形の場所には首長の埋葬に際して犠牲がひとりずつの埋められたとのこと。もう一方の端に建てられた狭苦しい小屋の中には、彫刻した木片を立てた祭壇があり、両脇には木に彫られた女神像があった。彫刻の前には捧げられた植物の山があった。

カウアイ島のヘイアウの祭壇(ジョン・ウェバー画)

モライ(ヘイアウ)を見てから、ちがう道を通って海岸に戻った。タロイモの農園のほかに、バナナ、サトウキビ、中国紙をつくる桑の木、布の木などの農園にもいくつか出会った。低いココヤシの木も見たが、パンの木は1本しか見ず、その他の木はほとんどなかった。

海岸の裏手の大きな池は、水汲みに来るのに便利な場所にあった。水汲みの作業中、我々はなんの妨害にも遭わず、むしろ現地人たちは、池までの行き帰りに樽を転がす我々を助けてくれた。
浜辺では、大群衆が集まって、豚、鶏、根菜などの取引が活発に行われていたが、秩序整然としていた。

日没後、皆を船に戻らせた。日中9トンの水と、釘および鉄片と交換に、約80頭の豚、わずかの鶏、大量のサツマイモ、バナナとタロイモを手に入れていた。いかなる民族もこの人たちほど正直に交易できないだろう。最初は手に触れるもの全てに権利を持つと考えた者も、そうした行為はすぐしなくなった。

カウアイ島での物々交換(ジョン・ウェバー画)

1778年2月1日ニイハウ島
牡山羊1頭、牝山羊2頭、イギリス種の豚牡牝1頭ずつ、メロン・カボチャ・タマネギの種を持って行った。私が岬の西側に上陸すると、隊員たちの間に数人の現地人がいた。その中に他の者に命令を発する者がいるのに気づいたので、その男に羊、豚、種子を与えた。

私は首長を伴い、島の中を歩いた。川の反対側にいた女が首長に呼びかけると、首長は呪文を唱えはじめ、その間、豚を持った2人は私のまわりを回り続けた。この儀式が終わり、道を進むと、あらゆる地域から来た人々に出会った。首長が呼びかけると、彼らは平伏した。

昨晩の雨で生じた流れで4つの水樽を満たしてボートに積み、現地人たちからヤムイモ、塩、塩漬け魚などを手に入れると、船に戻った。彼らは塩田で作った塩を使って魚や豚を漬ける。彼らから入手した塩漬け魚は保ちがよく、大変美味しかった。我々は3週間分の食料を得て、北に向かった。

ニイハウ島の沖を行くカヌー(ジョン・ウェバー画)

1778年2月
アトゥイ(カウアイ)、エニーヒーオウ(ニイハウ)、オレホウラ(レフア)、オタウーラ(カウラ)、ウォウアホー(オアフ)の名で現地人に知られる島々を、私はサンドウィッチ伯を記念してサンドウィッチ諸島と命名した。ここの人々はオタヘイテ(タヒチ)や他の南海の人々と同じ民族だ。

この民族が、この巨大な大洋をこんなに遠くまで広がっているのをどう説明したらいいだろうか。南はニュージーランドから北はこの島々まで、そしてイースター島からヘブリディーズ諸島(バヌアツ)まで。それ以上どこまで広がっているのかは知らないが、ヘブリディーズ諸島の西に及ぶことは断言していい。

島々はアトゥイ(カウアイ)の大首長に従属しているが、エニーヒーオウ(ニイハウ)の人々は時々戦った。彼らの武器は槍で、一方の端が鉤の手になり、反対側は平らになって先が尖っていた。また長さ1ft半の短剣を紐で手に固定し、接戦で敵を刺す。彼らは、そのような武器を売るために我々に見せてくれた。

サンドウィッチ諸島の様々な品物 1) 遺体を切断するサメの歯の器具、2) #1と同じ、3) 楽器ウリウリ、4) 羽根、真珠、クルミの実で作った神像、5) 豚の牙の腕輪、6)木製の短剣パフーア   (ジョン・ウェバー画)

髪は黒だが、染めている者もいる。髪型はいろいろであり、特に女性では前に長く、後ろに短くした者がいる。ある男たちは一つ一つが指の太さで尻まで達するお下げをたくさんぶら下げたかつらを持っている。入れ墨は行われているが、たくさんは見られない。文様は直線、星形など。

カウアイ島の先住民(ジョン・ウェバー画)

男性はマロ(褌)をまとい、女性は1枚の布を腰に巻き、膝まで垂らしている。それ以外は裸身である。装身具としては、腕輪、首輪、お守りなどがあり、貝、骨、石でできている。羽毛で作った外套や帽子を大事にしている。外套は背の中ほどまで達し、帽子は頭にぴったりと付き、半円形の突起が付いている。

サンドウィッチ諸島の若い娘(ジョン・ウェバー画)

彼らは開放的で、率直で活発な人たちであり、見たこともないほど泳ぎがうまい。生まれた時から泳ぎを習う。女性たちが幼児を抱いてカヌーで船を見に来ることは普通だった。波が高くて船からカヌーに乗り移れない時には、子供を腕に抱いたまま海に飛び込み、恐ろしい波をくぐって、岸まで泳ぐのだった。

カウアイ島の首長(ジョン・ウェバー画)

カヌーは、長さ約24ftで、底は1本の木で作り、中を刳り貫いて1inの厚さにし、側面は3枚の板で作り、船頭と船尾は少し持ち上がり楔のように尖っている。幅は10~15inで単身のものには舷外浮材を付けている。カヌーは櫂で漕がれ、軽い三角帆を帆柱や帆桁に広げたものもある。

クック船長への貢ぎ物を乗せたダブルカヌーをマスクをして漕ぐハワイ島の先住民      (ジョン・ウェバー画)

彼らの家は長方形の小麦の山に似ていなくもない。大きさは様々で、壁は低く、天井は高くて、傾斜した二つの平たい屋根を持ち、藁葺き屋根のように端が棟になっている。枠は木で作り、壁や屋根は乾した草を詰める。入口は低く、這わなければ入れない。家の中に光はなく、必要な時には壁に穴をあける。

カウアイ島の先住民の住居(ジョン・ウェバー画)

床には乾草を敷き、その上に丈夫なマットを敷いて寝る。数個のヒョウタンと木の椀が家財道具の一切。布は、樹皮で作り、異なった色を付け、様々な模様をプリントしてあり、その多くは極めて美しく、見た目に楽しい。様々な厚さのものがあり、最も厚い種類の布は、小布を縫い合わせて衣料にしている。

クック船長が集めたタパ(布)のサンプル

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