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羊毛から食肉へ。ジンギスカンはどこから来たのか?

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戦後の日本を支えた羊。過去最大の飼育数を記録

 軍備のための「緬羊百万頭計画」はうまくいかなかったものの、戦後の食料難と衣類不足により羊の国内飼育熱が高まり、状況は一変します。
毛肉兼用種であるコリデール種を中心に頭数を増やし続け、1957年(昭和32年)に農林水産省調べで94万頭、実数では100万頭を超える数まで増えたといわれています。
地域ごとの内訳は、北海道25万7千頭、東北29万4千頭、関東19万頭、北陸3万5千頭、 東海1万6千頭、 近畿1万5千頭、中四国8万頭、九州沖縄5万4千頭。飼養戸数が64万件との記録がありますから1戸あたり1.4頭となり、大規模飼育というよりは、日本全国いたるところで小さく飼育を行っていたのがわかります。主に、農家で飼われていた羊は毛を衣類に(羊毛を持っていくと毛糸と交換してくれる工場などがあったそうです。)、肉は食用とされていたようです。
大正7年に始まった「緬羊百万頭計画」は戦後の日本を支えるという意外な形で達成されました。

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輸入自由化と化学繊維の登場、激減する羊飼育頭数

しかし、その後日本の羊は急転直下減少します。
100万頭を突破した2年後の1959年(昭和34年)に羊肉の輸入が自由化! 昭和37年には羊毛も輸入自由化となり、日本の羊飼育に大打撃を与えます。また、化学繊維などの発展などもあり日本での羊飼育は一気に減速しました。
昭和30年代後半は国民の肉の消費量の高まりとともに、羊は加工肉用にどんどん屠畜されていきました。このあたりで「羊=羊毛」から「羊=食肉」と傾向が変わってきたのではと考えています。世界的な流れも、化学繊維などの発展で羊毛需要はどんどん減っていき、羊毛から肉へとシフトが始まっています。「儲からない家畜」となってしまった羊の飼育数はどんどん減り、昭和51年には全国で1万190頭まで激減してしまっています。
この急激な減少は輸入自由化だけが理由ではなく、構造的な物も原因となっています。緬羊の飼育形態が小規模で産業適基盤が確立されておらず競争力がなかったこと。高度成長期に入り、農村部の人口が減少し副業的に行っていた飼育に人手が割けなくなってきたことなど、輸入自由化が原因!というよりは、ビジネスとして成立していなかった事がすべての原因ではなかろうかと思われます。儲かる業種でしたら、しっかりと今でも羊の飼育がビジネスとして残っているはずです。
その後、これらの流れを受けて日本での緬羊飼育は完全に「食肉」への流れに変わりました。畜種もサフォーク種が中心に変わりある程度増加に転じるも平成末で1万8千頭前後の頭数となっています。その後も大きな増減はなく1万8千頭前後で推移しています。この増減は令和に入ってもそこまで変わっておりません。


平成末以降にうまれた、新しい羊需要

最近の新しい流れとして注目すべきは、羊の飼育が地域振興や中山間部の新しい畜種として注目されはじめていることです。もともと牛など他の畜種を飼っていたけれど老齢化や過疎化で手が回らなくなり、設備と牧畜の経験はあるので比較的取り回しの楽な(羊は大体40kgぐらい)羊を飼うパターンが出てきました。見た目が愛らしく肉も国産は希少なので観光コンテンツになるのでは?と飼育に力を入れる市町村が増えてきています。
羊は、肉だけではなく破棄されている毛や皮そして見た目など、羊のすべてを商品やコンテンツにしようとする動きへと変わってきています。新たに羊を飼い始めようとする方たちも多く、国策からはじまった羊の飼育でしたが、いまでは地域や個人の想いからの飼育へと大きく変化してきています。また、頭数が多い牧場(日本としては)も増えてきており、
国や政治の意図から離れた羊はやっと自分たちの意思での飼育の時代に入ったと言えます。

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