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大規模飼育再び。緬羊百万頭計画!



その後、日本が改めて「羊だ!」
と重い腰を上げたのが日露戦争後です。零下30度に迫る極寒の中でロシアと戦った日露戦争の経験が元になっているようです。
なんせその時の防寒着と言ったら粗末なものしかなく、
山羊の毛皮でチョッキを作ったり、カーキ色の布をマントのように巻きつけたりと苦労したそうです。
それで骨身にしみたのか明治41年に北海道の月寒に公営の種畜牧場を設立し、国が羊の飼育に改めて本腰を入れはじめました。

そして大正3年になり、第一次世界大戦が始まります。
明治の初期に「海外からの羊毛が止まったら軍服作れない!寒冷地で戦えない!」との恐怖からはじまった羊の飼育ですが、その不安が的中します。
イギリスが軍事物資である羊毛の輸出を止めてしまい、
イギリス連邦であるオセアニアから日本への輸入も停止、
羊毛製品が作れなくなってしまったのです。


それを受けて政府は

大正7年「緬羊百万頭計画」

を立て、
国内での羊飼育数を100万頭にすることを25年で目指そうとします。
政府はこの施策に対し、種緬羊の無償貸付けや払い下げを行うほか技術者の養成や各種の奨励金・補助金の交付などを行うなど積極的に力を入れます。

しかし、第二次世界大戦勃発で種緬羊の輸入が止まったことや労働者不足などを受け、終戦の昭和20年に至っても育頭数は18万頭、戦争需要に合わせた飼育数の拡大は結果的に失敗に終わります。







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