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友人と思っていた話

帰りの電車で、友人を作るために奮闘しているという話を聞いていた。


社会人になってしまうと友人を作るハードルが途端に高くなる。これはコミュニケーション能力の問題じゃない。

むしろコミュ力の高まりとともに、会話の反射速度も上がる。

面の皮ばかりが厚くなって、話せない内容が増えていく。

会ったばかりの人と話せる内容なんて、
趣味の上澄みか、世間話、休日の過ごし方くらいである。

年齢や居住地のなどの個人情報はアウトだし、何がハラスメントになるか分からないし。


上澄みの話を徐々に重ねてゆき、氷が溶け、晴れて個人情報を聞き出せるのである。



「四暗刻さん、友達になろうよ」



「えっ いいけど… 」



友達宣告をされることが10数年ぶりで動揺した。

休日に2回以上会ったことある人、みんな友達だと思ってたよ。



「いいけど、友達ってどういう意味で言ってる?」

「相手の時間や好みを考えず、好みに偏りのありそうな催しに誘う」

気を遣わないってことなのだろうか

今まで一緒に過ごした休日は、本当の意味でのお遊びだったということか…

このように友達の境界は曖昧で、ぼやけている。


友人だと思っていても、同僚と思われている。


友人だと思っていても、恋人になりたいと思われている。





先日、12年越しの想いを伝えられた。

実はずいぶん前に人づてに宣告されて知っていたけれど、さすがに時効だと思っていた。

どうにかなりたいというよりは過去の精算と決別のニュアンスで、
それ以上は聞けなかった。

気持ちの動きを全て説明して、お得意の合理の壁を高く建てた。動揺を隠すために偉そうに振る舞う。

自分、メチャクチャキモいけど仕方なかった。

この先気を遣わないなんて建前だし、以前の関係には戻る気もないから言ったのであって…

そんな人に返す言葉などないのだ。


いつだか後輩に言われた
「友達はずっと一緒にはいられないじゃないですか」
という言葉は本当だったんだなぁ

一緒にいられるタイプだと思ったんだけど、私もあの人も、普通の人間でした。



おわり

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