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待つことの尊さと難しさを教えてくれる映画。「1%の風景」を見て。

「命を産み、育てるあなたのそばに、信頼できる誰かがいますように」

そんな言葉が添えられたポスター。その中心には、産まれてきた赤ちゃんとその小さな命を愛でる優しい人たちの顔がある。

このドキュメンタリーは「出産」に関わる人たちに焦点をあてた映画だ。出産は、命ある者、この地球に生きている人なら、誰もが必ず体験してきている。そして多くの女性は命を生み出す経験をしている。にもかかわらず、その体験・経験は人それぞれで唯一無二。同じ出産をした人はいない。だから「出産」というと、自分の経験の範囲内の言葉でしか語れない。

だけどこの「1%の風景」を見た後で、改めて「自分の出産」を振り返ってみると、「もっとこうしたかったな」「それを早く知っていればな」と感じる人が増えるのではないかと、思った。それは知ることによって「選択の幅」が広がるからだ。

99%のお産が病院やクリニックといった
医療施設で行われている日本で
助産所や自宅での出産という
「1%の選択」をした4人の女性と
彼女たちをサポートする助産師の
日々を見つめたドキュメンタリー

助産所や自宅出産を選ぶ人は、たったの「1%」という事実に、驚きを隠せなかった。というのも、私は2人の子どもを助産院で産んだから。少ないとは思っていたけど、そんなにも少ない人しか経験していないとは。

助産院での出産に、私はすごくすごく満足しているし、今でも心から感謝している。出産がきっかけで、助産院でのご飯作りの手伝いをしたこともあるし、今でも助産師さんとは連絡を取り合っている。だから助産院での出産経験は、自分の中で大きな財産となっている。

助産院での出産が実現したのは、ひとえにその選択肢があることを教えてくれた人がいたからだ。知っていたから選ぶことができた。だからおせっかいは承知で、助産院での出産という選択肢を知ってほしいと思って今、文章を書いている。

このnoteを読んでくれた人が、「1%の風景」を観て、「助産院での出産という選択肢もあるんだな」と知って、自分自身や近しい誰かが「出産」という人生最大級の経験をしようとするときに、「そういえば」と思い出してくれたら。そんな小さな小さなきっかけになってくれたらと思っている。

出産という、命を産み出す尊い経験を「辛かった、しんどかった」という思い出にしないためにも、「こんな風にしたかったな」と後悔しないためにも、予告編だけでもいいので、ぜひ見てほしい。


助産師は「絶滅危惧種」

「ちょっとしたことでも、ここなら来やすそう」

保育士を目指す学生たちが、助産所での研修で言った言葉だ。畳に布団が敷かれた部屋は、普通の自宅の一室だ。医療機関の雰囲気は全く感じられない。

どんな風に出産が進むのかを手取り足取り、時々笑い声も混じりながら、和気あいあいと教えてもらっている様子に、観ているこちらも頬が緩む。

自らの仕事を「絶滅危惧種」に例えた「つむぎ助産所」を営む助産師の渡辺さん。年間20人、1ヶ月に1.6人ほどの自然分娩の妊婦の助産を行っている。産後は24時間体制で母子をケア。その人のためだけに作られた滋味深いごはんは、どんな高級レストランのフルコースよりも産後の妊婦にはありがたいに違いない。産後の私がそうだったから。


思わず唾を飲み込んだおいしそうなご飯

出産のシーンはリアルだ。産みの痛みと闘う女性たちの声は、野生だった。歯を食いしばり、うめき、喉の奥から搾り出すように出てくる声は、どれも気持ちをざわつかせる。だけど、その後に待っていたのは歓喜の声と赤ちゃんの泣き声。

観る側にも出産の緊張は伝わるのか、会場の空気も、お産に合わせて不規則に変わっていた気がした。この先行上映会の会場にいた人たちはそれぞれ、自分のお産を思い出していたんだと思う。

そして、助産院で産むことを、「出産」ではなく、「お産」と言いたくなるのはなんでだろう。私の左隣で、生後6ヶ月の赤ちゃんが「ぎーぎー」と楽しそうな声をあげてお母さんに抱っこされているのを見て、そんなことを思った。

渡辺さん

待つ時間がなくなっちゃったのかねぇ


あと3人。

45年の助産院の歴史に近々ピリオドを打つという「みづき助産院」の神谷さん。あと3人の女性をサポートしたら、自然分娩の助産を終わりにするという。

「ここの産後のごはんが食べれるのが嬉しくて」

そう言って、美しく並んだごはんを前に写真をとる産後の女性。その様子はまるで、古民家カフェでランチを楽しんでいるようだった。

助産所での分娩が年々減少しているのは、高齢出産や計画分娩が進んだことが要因だそうだ。それでも、助産院でのお産を希望する人はいる。

「分娩台がしっくりこなくて、どこにどう力をいれていいのかわからないまま、出産が終わってしまった」と話す女性は、第3子を助産院で産むことにした。

お産中、もうすぐ出てくる我が子の頭を触って「頭って柔らかいんですね」と、言っていた。大人の手にすっぽりと収まってしまうほどの小ささの頭は、実は頭蓋骨のてっぺんがまだ開いているから柔らかいことを、私も息子のお産中に知った。

「助産師の仕事は、励まし役。産むのはお母さん」だと語る神谷さん。

そんな神谷さんがしみじみ語った言葉が胸に刺さった。

「待つ時間がなくなっちゃったのかねぇ」

待つ時間がない。それは日常生活でも言えることかもしれない。今の私たちは、待たなくていいように、すぐに自分のしたいこと、欲しいことを満たせるような生活スタイルを営んでいる。欲しい情報はスマホをスクロールすれば見つかるし、欲しいものはスマホですぐに買える。暇な時間があれば、スマホを見ていれば時間が空き時間は埋まる。

「待つこと=無駄なこと」という、感覚に陥っている気がした。

だけど助産所でのお産は、とにかく待つ。助産師さんは待っていてくれる。待つのが仕事ともいえる。赤ちゃんが出てきてくれるように、腰をさすり、お灸をし、足湯をして、出てきたい状態を作る。

私もたくさん待ってもらった。

今でも覚えているのは、上の子の出産の際に、助産師さんが会陰が切れないようにと、温かいタオルを膣に当ててくれたこと。陣痛の痛みで頭が朦朧としながらも、あの温かさでフッと緊張がほぐれた。

そうやって、その場にいた誰もが、ひたすらずっと待ってくれていた。

「待てる助産師が増えてくれると、お母さんに育ってくれる女性が増えていくと思う」

と語った神谷さん。

助産師さんだけじゃない。子を育てる私も、学校も、会社も、社会も、待てるようにならないと、助産師という仕事はいつまでも絶滅危惧種のままだし、1%の選択肢は2%にはならない気がしている。

神谷さん

私は助産院での出産という1%の経験をしたけれど、決して「待てるお母さん」ではない。

つい「早くしてよ」「まだ?」と子どもに言ってしまう。時計を見てイライラすることもしょっちゅうだ。だけど、この映画を見て、待つことの尊さを改めて感じた。と同時に、難しさも。

「待つことが好きなの。待った結果、命が産まれる。いい仕事でしょ」と語るつむぎ助産所の渡辺さんの笑顔が眩しい。

「いつも」は待てないけれど、「できるだけ」は待てるようになりたいなと思っている。だって、「待つとは、信じることなんだ」とこの映画を観て気づいたから。

もうすぐお母さん10年目。もっと、待てるお母さんになろう。そんな決意をさせてくれる映画だった。

石川県金沢市にあるシネモンドでは1月27日から公開。


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