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日常に足を踏み入れてまずしたのは、郵便局に行くこと。

やっと、やっと、「日常」が戻ってきた。そう感じたお母さんたちは多いはず。

私もその1人。

今回の能登半島地震でまだまだ大変な思いをしている人がいるのに「日常が戻った」なんていうと怒られそうだけど、物理的に大きな被害がなかった地域はできるだけ、いつも通りを心がけた方がいい気がする。

経済を回すためにも。そして子どものためにも。

ニュースの映像や新聞の写真を見て、表情が固まる子どもを見るのは心苦しいから、できるだけ目に触れないようにしている。それでも、大人同士の会話は、ほぼ地震のことが年始のあいさつがわりになっているので、否応なく情報は入ってくる。

やたら頻尿になった5歳の娘。10分間に3回はトイレに行くこともあった。布団に入ってから「おしっこ」と言われると、「さっき行ったじゃん!」と眠たい私は思わずトゲトゲしたかえしをしてしまう。

「もしや膀胱炎かも?」と朝イチで小児科医に行ったものの特に異常はなし。心理的な要因もあるのかもしれない。


長野から石川に帰る際に見た白馬の山々。


学校や保育園が始まり、非日常が少しだけ落ち着いた昨日。やっと一息ついて行ったのは、郵便局だった。

理由は、支援金を送金するため。

地震直後は情報に追いつくのが精一杯で、長野のスーパーで(義実家在住)何か支援の足しになればと、思わずレトルト食品を買い込んでしまった。

けれども、のちにそれはただの迷惑な押し付けになると知って、とりあえずは、自分の備蓄用に回すことにした。とある方が

「災害支援は、想いがあれば何をしてもいいわけではない」


というメッセージを出していて、背筋を伸ばす思いだった。こういう時こそ、冷静にならないといけないと思う。

そう思って、私にできることは何かなと考えた結果が支援金の送金だった。

今は「支援金>義援金」の状況だと知って、微々たる金額だけど送金してきた。送金先は「ふくしまっ子チャレンジスクール」。

311の東日本大震災以降、ずっと活動している団体で、今回の震災直後からすでに、金沢から能登へ物資を運んでいるとのこと。ここなら信頼してお金を任せられると思った理由は2つある。1つは、10年以上活動されているしっかりした団体であること。

もう1つは、私が個人的に信頼を寄せている人たちが呼びかけていたからだ。きちんとした情報に基づいて、自分の責任で発信をする、地に足のついた仕事をされているお母さんたちが、「ここなら!」と言っている。

私の周りで直接関わっている人も多い団体だったことも大きかった。

給食なしで学校が終わる息子の帰宅前に、郵便局に行って「少しですが役立ててください」と思いながら、ATMのボタンを押した。

どこにでも祈ってしまう。


私のやっていることや、言っていることなんて、何の足しにもならないかもしれない。だけど、私の文章を「好きだ」と思って、フォローし続けてくれている人たちになら、届くかもしれない。そう思って書きました。

ちなみに、支援金と義援金の一番大きな違いは、スピード感。

「支援金」は支援活動をする団体に直接支援をするので、被災地支援にすぐに活用されるとのこと。

一方「義援金」は、被災者に公平に分配されるものの、手元に届くまでには時間がかかる。その理由は、被災者数などの正確な情報を把握した後に分配する必要があるから。配布作業も被災自治体が行うため、負担も大きいそう。

以前の能登半島地震の際に、義援金の仕事をしていたことにある県職員の友人は

「配分までにすごく時間がかかる。今日明日の生活を支援するには、間違いなく支援金重要!」

とのこと。

もちろん、両方大切なお金。だからこそ、感情に振り回されることなく、「今は何が必要なのか?」を見極めて行きたい。

参考にしたのはこちら。


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