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解ける

はじめに。決して気持ちがいいお話ではないことを先に申し伝えておきます。余裕のある方のみ読んでいただけたら。これを書かないと進めないと思ったので書いています。
 
 

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年始にとあるセッションを受けた。私は2024年の漢字として「解」を挙げており、自分についてもっと解きたい・解放したいという気持ちはあるものの、「何を」解きたいのか「何を」解放したいのかは、ぼんやりしていた。そのヒントになるかと思ったのだ。結論から言うと、ヒントは得られた。特大の私の心をえぐるようなやつ。
 

セッション中、答えにつまったり答えられなかったりして、私は何をするにも「『他人に否定されない』ことが最前提」で「yes/noで答えられるような簡単な『自分の考え』さえ言えず」「話をはぐらかす傾向にある」と言われた。しかし、今回ははぐらかせなかった。どうにかこうにか蓋をして治ったと思い込んでいた傷を見事なまでに開かれ、全然まだどろどろに膿んでいる様をまざまざと見せつけられた。私はどうやら「アダルト・チルドレン(AC)」らしい。「母親の影響を受けすぎです」。
 

あらゆることを制限する口うるさい親だとは思っていたが、物理的な暴力をふるわれたことがなかったため、自分がACだとは思っていなかった。そんな中、JJGのnoteで知った本を読み、自分にあてはまりすぎて衝撃を受けた。


以前もnoteに書いたことがあるが、洋服・髪型・持ち物・エンタメ・友達・生活スタイル…私のそれらを決めるのはすべて母だった。私の好みは一切聞き入れられないので、いつしか母の好むモノ・コトを選ぶようになっていた。そうしないと家庭がうまく回らないのだ。それはつまり諦めでもある。「お姉ちゃんなんだから」で全て片付けられた。イジメにあったとき「不登校は恥ずかしい」と言う母に相談できず、毎日何ともないふりをして通った。日記が読まれていると気付いたとき、私は日記を書くのを止めた。
そうやって、どうにかこうにか一つ屋根の下で18年近く生きてきたのだ。とにかく否定されない、正解を選ぶことが正解、となるのも無理はない(と思う)。

他にも、私は「評価されない(認められない)と価値がない」と思っていることもわかった。「他人に認めてもらわないと自信が持てない」とも。すると、「自信の意味をはき違えている」「自信とは、自分のことを信じること。何があっても言われても大丈夫だと思えること。自己肯定感が低い以前に、最初から諦めの境地で卑屈」と容赦なく指摘された。「そんな人生楽しいです?変えようと思わないんですか」という問いにも、結局うまく答えられなかった。

私は長生き志向が全くないのだけど、それも諦めているからかもしれない。妄想大好きだから、やりたい・行きたいは、あるにはあるけどスケールが小さい。そういえば、JJF講座や教室での『お金も才能もあったら…?』という問いにサクッと答えられなかった。うまく頭が回らないのだ。”どうせ否定される” ”否定されたくない”というアプリがずっと後ろで作動していて、空き容量がほとんどない感じ。「アプリをさっさとアンインストールすればいいのに」と言われても、何十年と常に動いていたアプリはなかなか消去できない。(これもまた諦めている、のだろう)
 

ダメ押しの「このままだとアナタも同じような母親になります」という言葉は、私を心底震え上がらせた。その後数日の記憶が本当にない。でも胸はずーっと痛い。怖い。とにかく家事と育児で時間を埋めた(そうすれば評価されるし)。眠れなくなり深夜に暴食が止まらず4kg太った。
いつも通り、子どもに小言を言っているとき、このままじゃダメだと思った。母を恨んでも私の人生は変わらない。もう自分で自分の人生を決めるしかない。前述の本の他にもAC関連の本を読み、自助グループにも参加することにした。カウンセリングは10ヶ月待ちだったが予約した。
 
考える中で、JJF教室での『お金も才能もあったら…』で唐突に出てきた「お金持ちの猫になりたい!」は、私の本音だと思う。もうこれ以上(評価されるために)頑張りたくない。本当は好きなときに好きなように好きなことをやりたい。そんな私でも居ていいんだと言って欲しい、思いたい。
 
私の「何か」を解き「何か」を解放するために、とにかくマイノートに何でも書きなぐった。ぼーっと何もしない時間を少しでも持つようにした。自分のために有休をとった。THENNさんで調香してもらったり、スギサキさんのおかわりレッスンに行ったりした。昨年あすみさんに見て頂いたのが楽しくてホロスコープの無料講座を受けた。ストレッチと腹筋を始めた。


ずっと自分を優先すること、自分のためだけに時間を使うことに酷く罪悪感を持っていたけれど、もう止めたい。やっぱり私は今は猫になりたいから。家事は嫌いだし育児も迷ってばかりだけど8年ちょっとやってきた。子どもたちはこれでも「おかーさん、だいすき」と言ってくれる。自信を持っていいのかもしれない。

役割を持っていなくてもいい。自分の気持ちを大切にしてもいい。少しずつ私を解いていけますように。

いい風がふきますように✤