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恐怖の様式美

最近、ホラーゲームの実況動画を見るのにハマっている。

映画でもゲームでも、ホラーというジャンルは昔から好きなのだけれど、
ゲームに関しては自分でプレイする環境も勇気もないので、
いろんな実況者が実況する様を見て恐怖エッセンスの上澄みだけをありがたく摂取させてもらっているのだ。


数多くのホラーゲームの実況を見てきたが、
そこに出てくる恐怖の対象はなんだかんだどれも似通っている。

ジャパニーズホラーならおなじみ、白い着物に黒い長髪の女性、
四つん這いで這い出てくる魔物。
突如画面いっぱいに現れる大きな顔…。
そのどれもが皮膚は爛れ、澱んだ目は落ち窪んでいる。

海外ゲームに関しても、ゾンビや吸血鬼、悪魔など。
総じて顔色は悪く、長く伸びた爪で攻撃してくる。

その他にモンスター(クリーチャー)や殺人テディベアなど、人の形をしていないものはあれど、
大体「これぞホラーキャラだよね」という、"あるある"の姿形をしていることが多い。


それはそうだろう。
ホラーゲームにおいて、敵キャラ(モブを含む)の見た目をプレイヤーが怖いと認識しないとそれは成り立たないのだ。


ある時ふと、「ホラー作品の中で、この"恐怖という様式美"を律儀に守って出てくるキャラは親切だ」と思った。

それがどれだけ主人公に危害を加える恐ろしい存在であろうとも、"しっかり怖い見た目をしてくれている"ということが、様式美を守っているのだ。

たとえ美しい少女の姿をしていても、結局本性を現した途端に目が赤くなりけたたましい叫び声を上げるパターンに落ち着いたりする。

愛らしい着ぐるみでも同じことで、片手に風船を持ったままもう片方の手に包丁を握り、下半身が誰かの返り血によって真っ赤になっていれば様式美を満たしていることになるのだ。

そもそも、最後まで見た目に全くおどろおどろしさのない敵キャラなら、もはや一般的なホラーではないだろう。
(まぁ、「気付くと近くにあって知らぬ間に殺してくる白い立方体」みたいな無機質的なホラーもあるだろうが)


恐怖とは、敵キャラそれ自体ではなくそれを見たものが抱く、ある種客観的にしか発生しない感情である。

本人(人外も含め)は哀しい過去だったり恨み憎しみを抱えていたとしても、観察者がいなければ「こいつは怖い」ということにならない。

よって恐怖は、与える側と受け取る側の共同作業によって初めて成立する様式美と言わざるを得ない。


自分は今日も、この様式美を守ってくれる真面目な幽霊どもに感謝をしながら、真夜中に動画を見て恐怖の絶叫を上げるのである。

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