努力インフルエンサー

私事ですが、色々落ち着きました。今は、クールダウン期の終わりかけて、エンジンを吹かしているところです。(9月頭時点)

正直、ここまでくるのだいぶキツかったなぁ。
迷いに迷って、光が見えたのは締切の4日前くらい。これが、いわゆる考えて考えて考えた上の、つまり「思考の疲弊」ってやつ。

「夏は、受験の天王山」
今年の夏は、私もこれを登り切るやる気で燃えていた。
しかし、研究や探究やらのことでそうはいかなかった事実。
完璧主義な特性上、上手くいかないと自分を追い込む癖がありまして。なんでこんなできてないんだろう。みんな頑張ってるのにとか。
決めつけではなく、Eしか並ばない成績表を頭に浮かべるとゾッとする。あぁ、またこんな感じなのねって。
やっと、軌道修正して浪人生らしい生活を取り戻した。今は、まだ「このままではダメだ」という気持ちと「なんとかなる」という少し余裕のある気持ち(舐めてはない)が混沌している。

上記のことはとにかく自分を追い込むこととして、この1ヶ月は本当に多くの人に話を聞いたなぁと。似たような界隈の人から、普段堅苦しい話なんてしない人にも。初めて、こんなに手を貸して欲しいって言ったかも。

一番興味深かった話を紹介しようと思う。
改めて、今までの自分って自分が頑張ってきたのはもちろんやけど、いろんな人から影響受けて「自分」が形成されたわけであって、じゃあ自分には今まで他人に対して何をすることできたんだろうと思った。この回答って自己肯定感が低いから難しいのではなくて、この問いが事実すぎて「何もできてない」しか答えが出なかった。自分では、なかなかわからないから友人に聞き回ることにした。
共通したのは「頑張ってる姿に影響を受ける」こと。
言い換えれば、頑張ってる姿を他者に見せるのが上手いらしい。
よく長所として「影響力」という言葉が上がるが、その影響力の中身を初めて自覚した。今まで、自分が努力するのは自分のためであり、単なる過程でしかなかったし、自分が頑張ってるアピール?をするのはあんまり好まなかった。だから、正直自ら目立ちたいわけでもないし、好きなことをただやっていると自然に目立ってしまっただけ。でも、周りからただ「すごい奴」で完結してしまうのではなくて、「刺激になるから自分も頑張ろうと思う」とか「何かあったら力になりたい」と思わせられる影響力を自分が与えていること、思ってくれていることが少し衝撃だった。先程も言ったように、自分の努力は自分のためにしているのであって、自分を助けてくれたり、協力してくれるのは、単にその人が人情味?思いやりがある、端的にまとめると「いい人」であるからだと思ってた。もちろん、その人がいい人であることは変わりないし、いい人であることは前提なんだけれども。

いい人になりたいからいい事をするんじゃなくて、それを無意識にするって当たり前なんだけど、人情味のある人の一要素かな。だから、困っている人がいたら助けなさいとか他者を思いやりなさいとかが人情味を意味するとは言えないんだよね。

自分なりに人情味を定義を2つ考えた。
1つは、自分が自分らしく、イキイキと生きること。それは社会が求めてる、例えば自分らしく面接に挑むとか営業しましょうとかもてなすとかじゃなくて。ある意味それってもうマニュアルに沿ってる。でも、沿うことが暗黙的なルールになってるから難しいんだよなー。語彙力不足だけど、非常識にはならない範囲で、「この人やからいいんだよなー」とか「この人だから許せるんだよなー」ぐらいの自分らしさで生きれれば理想なんだと思う。
2つ目は、前項のことで自分を満たした上でそれが他者に派生すること。在り来りな言葉で言えば、思いやり。それが徐々に派生していけば温かい気持ちになるひとが増えて、その温かさが心に灯るようになればすてきな人が増えて、まちができて、社会になるんじゃないかなーっていう自論です。


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