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牛と暮らした日々-そこにあった句#38 厳冬期

氷点下三十二度の人の音  鈴木牛後
(ひょうてんかさんじゅうにどのひとのおと)

北海道でも北の方にある、うちの町は日本で最も寒い地域のひとつで、真冬にマイナス30℃を下回る事がある。
これくらいの気温になると、息を吸った時に、きゅっと鼻がひっつく。歩くと、きゅっきゅっと足音も凍っている。足音、息を吸った感じ、肌を刺す痛みなんかで、「今朝はシバレたな~」と分かるようになる。
こんなに寒い所に住んでいると、体感温度がイカレてくる。マイナスひと桁だと「あったかい」10℃以下だと「ちょっと寒い」15℃以下だと「普通に寒い」20℃以下だと「すごく寒い」25℃以下だと「今朝はシバレたもね~」となる。

マイナス25℃以下になったら、牛舎のあちこちにトラブルが起きはじめる。ウォーターカップ(牛の水飲みカップ)がシバレる。バンクリーナー(電動糞尿運搬機)がシバレる。ポンプと水道がシバレる。
そして、寝ている牛の体に霜が下りて、牛舎の中なのに、霜降り牛になっている。

牛舎は断熱窓ではないので、結露が窓の縁に厚く氷となり、ガラスには美しいシバレ模様ができる。
もちろん予防のために、夜は牛舎の水道を出しっぱなしにするし、林の中にあるポンプには雪をかけて埋めるし、バンクリーナーを回す時には外に出る部分に糞が乗らないように(凍るので)見張っててスコップで取り除いたり、鉄板を開けて天井から吊るしたヒーターで一晩中暖めたり、色々対策はしている。
夜の間にこの準備をするかしないかの判断のために、冬は天気予報をとても注意して見ている。明日が晴れの予報だと放射冷却現象でシバレるので緊張するが、雪だと暖かくなるので、ちょっとほっとしたり。

「牛舎に暖房はあるんですか?」と聞かれることがあるが、暖房はない。牛の体温が暖房器具なのだ。
外がマイナス20℃でも、牛舎の中は0℃くらいで、牛が40頭以上いるとそれだけでそうとう暖かい。
それでも外気温がマイナス15℃以下になると牛舎の中といえども、やはり寒い。牛の体温とヒートテックの下着だけが頼みの綱なので、普段は怠け者の私が、早く汗をかかなくちゃと急に働き者になる。

搾乳の時だが、急に足を上げる牛にヒヤッとすることがあるが、その時一瞬で体温が上がって体がポカポカしてくる。瞬間の筋肉の緊張というのは、こんなに熱を発生させるのかと驚く。「搾乳ヒヤッと暖房」と名付けよう。

白息のこちらも向かう側も仕事 牛後
(しろいきのこちらもむこうがわもしごと)

牛群れてみな白息の向かう側 牛後
(うしむれてみなしろいきのむこうがわ)

根雪になったあとは、気温が上がって欲しくないと思うことがある。それは道路状況が悪化するからだ。北海道以外では道路のアスファルトが見えている雪国もあると聞くが、ここ道北地方ではそんなことはありえない。ずっと圧雪の道路だ。その状態が気温が上がると悪くなるのである。

圧雪道路のベストコンディションはマイナス5℃以下だろうか。それくらいだとタイヤが雪をかんで滑らないので、安心して運転できる。0℃くらいになってしまうと表面の雪が解けて滑るし、それがまた夜に氷になって滑るし、真冬に下手にプラスの気温なんかになったら、道路の雪がザクザクのシャーベット大盛サービス状態になって、車が氷の海を泳ぐ。ハンドルが取られて制御できなくなって危険なのだ。そのシャーベットが夜にまた凍ってガタガタの氷の道になるのだ。最悪だ。やはり冬はずっとマイナス5℃以下をキープして欲しい。

車といえば、道外から移住してきた人が冬に車のフロントガラスが凍ったといってお湯を掛けて溶かそうとしていたが、それは無駄だ。掛けたそばから凍っていき、ますますひどい状態になる。凍った車の窓は、プラスチック製のスノーブラシのお尻に付いているスクレイパーで、ガリガリ削って落とすべし。内側からもミニスクレイパーで削って落とすべし。ヒーターで溶けるのを待っていたら出発できない。

そんな厳冬期だが、最近では温暖化の影響か、マイナス30℃以下になることは1年に数日しかなくなり、20℃以下も年に10日あまりしかなくなった。今年は雪も少ないし寒くないし、北国に住む身としてはありがたいのだが、後で何か良からぬことが起きはしまいかと、ちょっと不安だ。

我が芯に年輪濃かれ厳冬期 牛後
(わがしんにねんりんこかれげんとうき)


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