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ニュースパーク(日本新聞博物館)の企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を取材してコラムを書く 水曜3限2023年前期末に

「ジャーナリストの技術」、この授業では「関内の街全体がキャンパス」と考え、関内の街をフィールドとしました。授業で訪問した「放送ライブラリー」と同じ建物にある「ニュースパーク(日本新聞博物館)に行って、今開かれている企画展『多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの』を取材して、コラムを書いてください。https://newspark.jp/exhibition/
※ 2限の「マス・コミュニケーション」の授業の課題と同じですので、重複して履修している人は、企画展だけではなく「ニュースパーク」全体の展示や企画について取材して、こちらのコラムは「ニュースパークの役割を考える」をテーマに取材して書いてください。
自由な視点で、書き方も自由ですので、工夫してみてください。文字数は800字程度。(誤字などを含め、そのまま転載)

メディアの鏡:男女平等の歩みと課題
 メディアは時代の鏡として、社会の変化を反映し、時には社会をリードする力を持っています。ニュースパーク(日本新聞博物館)の企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」では、明治から昭和時期にかけての女性たちの教育、労働、生活ぶりが新聞を通じてどのように変わっていったかが描かれています。「日本婦人論」や工女虐待事件、婦人に参政権力付与の動き、そして現代にも続く課題としてのジェンダーバイアスを持つ報道を通じて、メディアによる男女平等の改善の歩みと課題を考えてみたいと思います。
変わる女性像:明治から昭和へ
 明治時代から昭和時代にかけて、女性たちの社会的な地位や役割は大きく変化しました。新聞はその変化を反映し、時には推進する役割を果たしました。特に「日本婦人論」は、女性の権利向上や教育の重要性を訴える先駆的な雑誌でした。
 新聞の報道によって、女性たちの学ぶ機会が増え、職業の選択肢が広がっていきました。女性が社会に参加し、多様な分野で活躍する姿が次第に広がっていったのです。
工女虐待事件:メディアの力と社会への訴え
 一方で、新聞は社会の闇も露わにします。工女虐待事件は、少女たちが工場での過酷な労働条件に苦しんでいた事件でした。新聞がこれを報じることで、社会の問題として取り上げられ、改善への動きが生まれました。
 このような事件を通じて、メディアは社会に対して訴えかける力を持っていることを示しました。報道が社会の意識を変えることで、男女平等の実現に向けた取り組みが進むきっかけとなったのです。
現代にも続くジェンダーバイアス
 一方で、現代においてもメディアの報道にはジェンダーバイアスが根強く残っています。例えば、2018年医科大学における女子受験者の一律減点問題は、男女平等を脅かす深刻な課題の一つとして取り上げられました。その報道により、2019年では医学部の合格率の男女差が縮まることがわかりました。
 メディアは公正な報道を心掛ける一方で、ジェンダーバイアスを持つ報道に対しては厳しい検証が求められます。女性の権利と平等を尊重する報道を通じて、社会全体がより公正で包括的なものになるよう努めることが重要です。
共に築く男女平等の未来
 「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」の企画展は、メディアが男女平等の推進にどのように貢献してきたかを伝えています。明治から昭和時代の変化を振り返りつつ、現代にも続く課題としてのジェンダーバイアスに向き合うことが重要です。
 メディアは社会の鏡であり、変革を促進する力を持っています。報道の質を高め、ジェンダーバイアスを排除し、多様な価値観を尊重する文化を醸成することで、男女平等の実現を後押しすることができます。
 共に築く未来に向けて、メディアと私たち一人ひとりが手を取り合い、男女平等を築くための努力を続けることが、より公正で包括的な社会を実現する鍵となるのです。

【ハンセン病を知ろう――その扱いと社会問題の関連性について】
 ハンセン病とは、かつては「癩病」と呼ばれていた病気のことです。この病気にかかると、手足や顔、耳などにしびれやかぶれが現れ、やがては皮膚や筋肉が壊死してしまいます。さらに、感染が進行すると鼻や喉などの粘膜にも障害が起こり、声や呼吸にも影響が出てきます。
 ハンセン病は、ほとんどがレプロマット菌という細菌によって引き起こされます。レプロマット菌は、長期にわたる感染によって神経や皮膚などを破壊し、症状を引き起こします。この病気にかかる人は、主に熱帯や亜熱帯地域に住んでいることが多く、貧困や不衛生な生活環境、栄養不良などが原因となることが多いとされています。
 しかし、現在ではハンセン病は治療が可能であり、早期発見・治療すれば奇形や後遺症を防ぐことができます。また、患者を社会から排除する「隔離政策」も廃止され、人権尊重を基本とした取り組みが行われています。
 ですが、現在でもハンセン病にかかった人々がいることに対して、社会的な偏見がまだまだ残っています。徐々にその状況は改善されてきていますが、患者やその家族に対して、適切な情報提供や精神的なサポートを行うことが大切です。
 ハンセン病は、昔は非常に恐れられていた病気でしたが、現在では適切な治療があるため、完治することができます。しかし、誤った情報や偏見によって、患者やその家族が苦しむことがあるため、正しい知識や理解を深めることが必要です。また、感染の予防には、適切な衛生管理や免疫力の強化が大切です。
 ハンセン病は、その患者たちに対する問題が残っています。しかし、その歴史を学び、現在の取り組みを知ることで、私たちはハンセン病について適切な理解を持ち、共生する社会を築くことが出来るでしょう。

◆ニュースパークの企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」に足を運び、実際に取材をして、女性の社会進出に関する世の中の考え方がメディアを通して変わっていることを感じました。1番古い展示品である1872年の教育法制「学制」の発布に際し作成された太政官布告、学制発行ノ儀伺から、男女の性別関係なく教育を受けることが推奨されていることが分かりました。その後1902年に発行された新聞、萬朝報は記者であった幸徳秋水が工場における女工の悲惨な待遇についても触れたり、進歩する社会は女性の地位向上を求めつつあること、人は皆平等であり女性も平等であることなどを説いたもので、幸徳本人は社会主義の立場から、女性の権利拡張や女性解放論についてを論じました。1900年代には新聞で女性の地位向上などを論じる記者がいることから、女性の人権が世の中で確立されはじめていることが分かります。1929年には東京朝日新聞の一部記事であった『婦人運動は何から始める』に女性解放運動家の平塚らいてうが女性の政治的進出の必要性を説いた論説を書きました。平塚らいてうは有産階級と無産階級の女性が協力して婦人の参政権を獲得するべきであると論じていた。その主張のおかげか、第二次世界大戦後の1945年、幣原内閣で婦人参政権に関する閣議決定がなされ、20歳以上の男女に選挙権が付与されることとなりました。翌年には衆議院議員総選挙が行われ、約1380万人の女性が投票、39人の女性国会議員が誕生しました。1985年には男女雇用機会均等法が成立、翌年の4月に執行され、新聞社にはその頃女性社員が増え始めました。現在では各種メディアにおける女性の割合が年々増加しています。新聞社・通信社の記者に占める女性の割合は2014年まで緩やかだったのに対し、その後、年1%の割合で増加しています。日本放送協会、新聞社・通信社、民間放送各社における管理職に占める女性の割合も年々増加傾向にあります。企画展で展示されていたグラフによると、新聞社・通信社より放送各社の管理職に占める女性割合の方が高いことが分かりました。このことから、新聞のようなメディアを通じて女性の地位向上、権利、社会進出などを求めることで社会に女性の活動を大きく広げることができました。反対に女性の地位を確立できたからこそ、今まで男性が担うことが多かった管理職も女性の割合が増えてきています。つまり、メディアを通じたことで世の中の女性に対する考え方が変わったのです。

◆ ニュースパークに行き、一番印象に残ったことは昔の新聞の見出しの記事についてです。新聞にはテーマが記載されていて左から右に読むのが主流だと思っていました。しかし、戦争前や戦争中の新聞を見てみると右から左に読まないといけない仕様になっていました。おそらくそのようにしたのは敵に読まれても大丈夫なようにされていたと思われます。色々な新聞が展示されていましたが、戦争についての新聞はかなり心にくるものがありました。また、震災の新聞も目にしました。こうしたものを記録として残しているのはかなり貴重なものだと思っていて100年後には重宝されるもので実際に目にしたのはいい経験になったと思いました。ジェンダー問題など昔から解決ができていない問題が未だにあるということはかなり深刻で戦争がない平和である今だからこそなくしていかないといけないのではないかと感じました。
 ニュースパークに行き、課題だと感じたことは今の時代は新聞を読むことが非常に少なくなっているということです。今の時代では情報をどこから得るのかというとネットやテレビです。AIが取り組まれようとしている中で新聞は最も遠い情報手段といえます。10年前はまだ新聞を手に取る人はいたかもしれませんが、よっぽどの号外がないと手に取るということはないと思います。新聞は歴史あるものですがそれもなくなりつつあります。ペーパーレス化が進んでいる中、私たちが新聞から遠下がってしまうのは仕方のないことなのでしょうか。
 この課題の解決方法としては新聞の記事や見出しを工夫することだと考えます。新聞を見ると文字ばかりで関心が薄れてしまう人がいると思います。なので、色合いを出して目につくようなデザインにすれば新聞に手を取るということが起こりうるのではないかと思いました。私自身も本を読む習慣があまりないのですが、最近になって読むようになりました。それは興味をひく内容だからです。つまり、興味が湧くような言葉選びや文字の配列の工夫などを新聞に取り込んでいくことで新聞を読まなくなるという課題は解決されるのではないかと思いました。

◆先日ニュースパーク(日本新聞博物館)の企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を取材してきました。
その企画展は多様性について取り扱い、特に女性差別に関する展示が多く見受けられました。その展示を見て、昔の女性差別がいかに酷かったがよく分かりました。私が特に酷いと思ったのは漫画家・北澤楽天による1923年3月25日の時事漫画「婦人参政権論者」です。北澤楽天は女性の社会進出に批判的で、その時事漫画の表紙には妻が婦人賛成運動にかまけて育児をせず、夫に家事を任せきりにしている様子が描かれていました。このイラストから、「女性は家庭に籠り、家事育児だけをしろ」という言説を感じ、不快な気持ちになりました。
その他にも、女工の悲惨な労働環境、女性は高等教育を受けられないなど女性にとって辛い時代であったことが分かりました。女工の悲惨な労働環境は、1912年6月9日の萬朝報の紡績工女虐待に事実が認められています。当時は大量生産への過度な要求から、18時間にも及ぶ長時間労働や雇用主からの虐待が常態化していました。そんな中女工の悲惨な労働環境を伝える新聞もありました。執筆者は女工への虐待を強く批判し、労働環境の改善に努めました。そして労働環境以外にも女性の参政権・教育・職業・結婚・家族関係などに関する様々な婦人解放運動がさかんに行われてきました。そのおかげで女性差別は減り、昭和21年4月10日には女性が初めて投票する衆議院議員総選挙が行われました。また、明治中期には大阪毎日新聞などで女性向けのコーナーが創設され、女性記者も登場しました。1913年8月16日には東京朝日新聞にて3人の女性が東北帝国大学に入学したことが報じられました。
このように、女性はかつて酷い差別を受けながらも抵抗運動を続け、当然の権利を獲得しました。今でも差別が少しもないと言えば嘘になりますが、時代は当時に比べてかなり良い方向に向かっていると言えるでしょう。これからも差別に意義を唱え続け、誰もが安心して生きられる世界になってほしいと思いました。

◆世界では、人種差別などの人が人を差別し、心無い言葉を言ったり、あたかも人間ではないように扱ったりするような差別問題が根深い。しかし近年では、インターネットの普及やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の登場などにより、今までなかった世界中の人々が自由に発信できる場所が作られている。これにより、今まで差別を受けてきた人たちが、悲劇を生まないため、また、世界に関する批判、意見に提言などを、人々が差別を受けることなく発信できるようになった。
先ほどは主に人種差別について述べたが、私たち日本人からすればあまり身近なものではないかもしれない。しかし、「性差別」に関してはかなり理解しておくべきだろう、昔の日本では「母は家にいて、父は仕事に出る」のような固定観念がはびこっており、女性が社会進するだけでこのようなことを言われ続け、女性の社会参画に支障があった。今でこそそこに対する差別は少ないかもしれないが、このようなことがあったことはしっかりと記憶すべきだろう。
筆者はこれに関して当時のことを知るために、横浜市中区にある「ニュースパーク」を取材した。平塚らいてうが男女の平等を叫ぶ当時の新聞コラムなどがあったが、私は昭和後期に赤ちゃんを無認可の保健所に預ける「ベビーホテル」という問題についてのテレビの放映だった。そこでは「堂本記者」という記者がおり、その記者が所在に奮闘する様子が書かれていた。しかし、女性であるということが何故か強く示されており、私は何か違和感を覚えた。おそらく当時は女性の記者が珍しかったのだろうが、今では普通のことのため、そこに関して当時の時代を感じられた。
私は、そのような差別に関して全く知らないわけではなかったが、当時に驚いた。しかし昨今、いきすぎたフェミニズム思想がネットで多数あり、「男は強くあるべき」のような論調は特に批判されない。そもそも現代「女性が」という主語を用いるのは遅れた考え方であり、性自認などに関するLGBTの理解も広まってきている。今重要なことは、誰が弱い、強いではなく、相手を人間として尊重し、相手の考えを理解すべきであり、「同調しないことがおかしい」という考えはなくすべきだと私は思う。

◆近年、さまざまな分野で、ジェンダー、マイノリティーなどの多様性、公平性を受け入れることが重視されてきている。最近は、女性でも制服のズボンを履ける、新入社員の半数以上が女性、など時代の変化を感じられる。
だが、在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチや一部の外国人に対し保護をしないという差別が続いている現実もある。そして、インターネットの普及やグローバル化によりSNSメディアやメディアの多様性も増加し、差別、批判しやすい環境ができてしまっている。なぜこのような差別は続くのか。それは、過去の歴史的な出来事や偏見に囚われていることが多い。実際にフェイクニュースや偏見を信じ、被害者の家を放火。生活保護が無い外国人が苦しい生活を送り自殺。SNSメディアによる誹謗中傷が原因で自殺。などの事件が起きてしまっている。メディアが発達した今、多様性が重視される反面、多様性を尊重したことで差別や差別が起きることも忘れてはならない。
今後もこう言った問題が上がり続けるだろう。大切なのはジェンダー、障害、LGBTQ、病気、国籍、差別、などに当てはまらない人がどれだけ関心を持てるか、そして、この問題に取り組むことが出来るかだ。あくまでも、多様性を持つ人は少数派で、集団の中で認めてもらう、認め合うことは容易なことではない。だからこそ、当てはまらない人達がこの問題に向き合い取り組むことで、少数派の人、理論を守ることができるのだ。
今後の未来を造るのは若者が大きく関わってくる。特にSNSメディアは若者の使用率が高く、匿名性もあるので意見を述べやすく、共有されやすい。正しい使い方をすれば、差別に対する考えも和らいでくるだろう。だが残念ながら、誹謗中傷が多く存在してしまっている。若者が正しく使うことで、多様性の在り方に気づくことができるだろう。多様性は今の社会における重要な価値であり、その違いを受け入れ、尊重することでより良い未来を築くことができると信じている。

◆ニュースパーク(日本新聞博物館)の企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を訪れて昔の新聞の資料を目にした。昔は新聞に名前が載るのは男性ばかりでまた記事の内容も政治についての広告についても女性関係のものはなかった。しかしだんだん年代が進むにつれて新聞に変化が現れた。女性の社会進出についての記事やコスメ用品などの広告がつき始めたのだ。それからだんだん女性のための記事や子育てをしている母親に向けた記事など女性に関するものが一気に増えていったように感じた。その余波は新聞だけでなく雑誌などにも女性専用雑誌などが続々と出版され、女性の社会進出がより社会に広がった。
私は今回取材して、メディアが社会に与える影響は計り知れないなと強く感じた。女性がメディアでよく取り立たせられるようになってから女性の立場はみるみる高くなっていき今では男性よりも高いのではないかというところまできている。ある政治家が女性に対して差別発言をしたらたちまちメディアに取り立たされ世間からバッシングされ辞任せざるおえない状況になってしまう。もちろん差別は如何なるものに対しても絶対にあってはならない。しかし、メディアが女性を取り上げる前までは、女性に対して多少の差別発言があったとしてもここまで取り立たせられることなくその言動は無かったことになっていただろう。メディアに影響され人々の考えも変わりジェンダー差別反対の思想が広まったのだ。メディアというのはその国の社会を変える力を持っていると感じた。またメディアによって多くの人に認知されたものは女性問題だけではない。多様性をメディアが押しているいまLGBTなどの性的マイノリティについても今世間で話題になっている。先日日本で初めて性的マイノリティに関する法律が成立した。メディアに影響を受けた人々が次々と声を上げついには法律を成立するまでに至った。昔と違うのは速度である。昔はメディアで取り立たされてから世間に広まるまで多少なりとも時間がかかった。しかし現代ではSNSなどの普及によりメディアと関わる機会が増え、瞬く間に情報が広まる。LGBT法案についても、話が出てから成立までとても早かったように感じた。このようにメディアの持つ力はSNSの普及などに比例して段々と強くなっていると思う。便利なSNSも使い方を間違えると途端に怪物になり変わる。今後、メディア、SNSとの関わり合いについて考えていこうと思った。

多様性 メディアが変えたもの
ニュースパーク(新聞博物館)について

 2023年7月29日、私はニュースパーク「日本新聞博物館」を訪れた。ニューパークは、神奈川県横浜市のJR関内駅から徒歩15分ほど。横浜スタジアムがある横浜公園に咲き誇るカラフルなチューリップを眺めつつ、歴史情緒溢れる街並みを楽しんでいると、あっという間に到着。日刊新聞発祥の地である横浜で、日本新聞協会が運営する情報と新聞の博物館である。明治時代に誕生した新聞が百十数年にわたって歩んできた歴史であったり、たくさんの情報に囲まれた現代社会の中、より確かな情報を届けるための情報化の歴史であったりを、保管されている資料や、ゲーム形式などで学ぶことが出来る。
 また、メディアや情報に関する企画展も期間限定で代わる代わる開催されていて、過去の企画では、「サッカーW杯カタール大会開催・日韓大会から20年~新聞・号外が伝えた日本代表の軌跡」や「伝える、寄り添う、守る--『3.11』から10年」などの魅力的な企画展が開催されている。
企画展「多様性メディアが変えたもの メディアを変えたもの」
そんな中、私は現在開催されている「多様性メディアが変えたもの メディアを変えたもの」という企画展を訪れた。
 多様性(ダイバーシティー)を推進しようとする「DE&I」が進んでいる中で、新聞や放送、通信社は、社会の差別を問題提起し、その撤廃などを訴えてきた。メディアの多様性は進んでいないと内外から指摘されつつも、女性記者の増加や若い世代の意識の変化による新たな活動が増えてきている。そんなメディアと人々の新しい関係を探りながら、未来の議論につなげていくという内容である。その資料は約300点も展示されており、メディアの多様性についてをいくつかの構成に分けて展示している。
女性たちの生活ぶりの報道
いくつかの構成の中で今回取り上げるのは「近代日本と女性」というコーナーである。
明治から昭和初期にかけての女性たちの教育・労働・生活ぶりを新聞がどう伝えたかが紹介されている。富岡製糸場で働く工女、茨城の炭田での石炭採掘をする女性、新聞社での女性記者の登場・活動などが当時の新聞や錦絵などと共に展示されている。
 こうした女性に関する報道を発信することで女性に対する差別の撤廃を訴え、様々な分野での多様性を生み出していくのである。
参考文献
閲覧日2023年8月3日https://newspark.jp「ニュースパーク日本新聞博物館」

ニュースパークの役割を考える。
1、私がニュースパークを訪れての感想
ニュースパークを訪れた際、自分が思い描いたニュースパークとは
合うイメージと合わないイメージそれぞれに合っているテーマパークと考えた。
私が考えるニュースパークとは、体験アトラクションや展示のキャッチーな点だ。
館内を散策してみて。新聞が届くまでをコーナーにしている部分を発見した。
私が訪れた際には、子供がそのアトラクションを楽しんでいた。
展示の中には、新聞を作るための機械や昔の読売新聞の襷などの
実際にある例をイメージで、目や体験で楽しめるパーク子供向けのパークとして
私は予想していた。
実際は企画展も交えるが、新聞やニュースに対して、かなり専門的な扱いの場所も多く。
昔の新聞のメディアとしての新聞ルーツなどを交えて、災害報道についての展示を見た。東日本大震災の状況などの当時に今では、すこし前の新聞は報道を忘れないための展示がある。小さい子供が災害について知る機会として大切なものである。
情報社会の森では、今現在誰でも発信が出来ることに警鐘を鳴らし、私達はどのように情報を見極めればいいのかなど、ニュースの未来を考えた展示をしていることで、新しいニュースの価値観を考えるきっかけになった。
2、ニュースパークの役割
二つのニュースパークの側面を見て、私は家族全員で、楽しみ、考えられるパークであると感じた。
体験型や、道具や機械の展示があることは子供達の興味関心を引き出す。
しかし大人は子供を引率すること以外では訪れなくなってしまう。
真面目な展示である。新聞のコラムや、インタービューが多くなると反って
子供達の興味が薄れてしまう。
子供時代の体験があることで思い出が出来き。もう一度訪れた際、学生という立場になり。
ニュースの歴史これからを考える機会になる。
世界はインターネットを主要メディアとして活躍していてこれからの子供達はインターネットでニュースを見ることが多くなるだろう。その時に、ニュースパークが昔の展示が残っていることが。これから生きる子供達にとっての昔の新聞やニュースに触れることで、感心を生む素晴らしい刺激の場所になるだろう。

以上、10人。

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