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ニュースパーク(日本新聞博物館)の企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を取材してコラムを書く 水曜2限の2023年前期末に

 この授業では「関内の街全体がキャンパス」と考え、関内の街をフィールドとしました。授業で訪問した「放送ライブラリー」と同じ建物にある「ニュースパーク(日本新聞博物館)」https://newspark.jp/ に行って、今開かれている企画展『多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの』を取材して、コラムを書いてください。 https://newspark.jp/exhibition/
自由な視点で、書き方も自由ですので、工夫してみてください。文字数は800字程度。(明らかな誤字や事実誤認、留学生らの日本語表現も含め、そのまま転載)

◆ 『多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの』では、第一章から第五章の展示を通して、報道を通じて、時代によって変化する差別などの社会問題を訴え続けてきた新聞や放送の当時取り組みをふりかえることができる。時代によって報じる社会問題が変化し続けてきた一方で、メディアの中の多様性はなかなか進んでいないと指摘されている。メディアと人々の新しい関係を探りながら、未来の議論につなげていくのがこの企画展である。
 第一章から第五章までの展示を見て、興味を持った部分を少しずつ紹介したいと思う。第一章『近代日本と女性』では、女性記者の登場が取り上げられていた。明治20~30年代、新聞社で女性が記者として活動するようになり、新聞の「家庭欄」編集担当として女性が採用されるなど、女性の社会進出が見られたようだ。第二章『近代日本と格差、人権』では、民族や障害、病気を理由にした差別などの状況を新聞がどう伝えたかを紹介していた。中でも、「語り継ぐハンセン病」という記事が気になった。差別などを繰り返さないためにも、問題を見て見ぬ振りせず、後の世代にも語り継ぐこともメディアの1つの役割なのではないだろうかと考えさせられた。第三章『メディアの多様性は』では、多様性と報道の扱いが取り上げられていた。多様化が進む中、プライバシーへの配慮や幅広い層を意識した報道など、伝える側の制限について興味を持った。第四章『いま、メディアが伝える「多様性」』では、いくつもの「マイノリティー」が重なることで、より状況がひどくなっているという意見に興味を持った。第五章『次世代の「メディアと」多様性』では、「メディアを変えたもの、変えていくもの」の中には、若い人の新しい知識や価値観もあるということを知り、自分もその一部なのだという意識が生まれた。
 今回の取材を通して、メディアがどのように変化してきて、さらにこれからどのように変化していくのか考えることができた。また、自分もメディアを変化させていく要因の一つであるという意識を持つことができた。この感覚を忘れることなく、日々変化し続けるメディアの変化に目を向けて、現代人としてともに生活していきたいと思う。(1年)

◆今日はニュースパークの企画展「多様性 メディア変えたもの」を取材しました。 初めてこの博物館を知って来ました。展示では、明治から昭和までの新聞紙面を中心にいろんな 内容を書いてあります。日本の近代化とともに発展してきた新聞には社会に出す記事から、今の 社会のメディアの多様性を読んで、現在社会ではメディア変えたものが多いです。昔の社会に女 性と男性の権利や人々の教育と貧困の格差があります。しかし、現代社会で、ジェンダー平等に なり、メディア「男性中心」解体にしました。ただ男性記者からの記事だけじゃなくて、女性記 者の視点から社会の記事を出して、社会が変えました。令和4年まで、各種メディアにおける女 性の記者の人数は大幅に増えてきました。もしずっと男性の視点から見ると、その視野は単一で す。男性と女性の視点が結びついて、記事は豊富になると思ってています。また、さまざまな地 方の新聞も置いてあります。地方の新聞を読み、各地方からのことと視点を詳しくてわかりまし た。 現代社会では、インターネットは流行っています。それもメディアの多様性の中のひとつです。 これまでの情報化の進展と現代の私たちが情報と関わるさまざまな場面を見てきました。情報量 多くに増え、コミュニケーションの手段も多様化しています。それをもたらしたインターネット の広がり、デジタル技術の発展です。生活に中で、さまざまなことにインターネットを利用して います。自分で調べなくても興味のある情報が出ました。ですから、幅広い情報を接したいの に、気がつくとかたよった情報にしか接していないということも起こりえます。また、企業の広 告はさまざまなメディアを通して発信します。時代は変わり、インターネット広告の比率も増え ています。 ニュースパークを回り、いろんなメディアの変化を知りました。普段で見えないメディアの多様 性を展示し、いろんなメディアを変えたものを知りました。これからのメディア時代はもっと広 くなると思っています。(1年)

新聞の可能性
私は新聞という媒体を廃止せず、今後も情報を伝える一つの手段として残り続けてほしいと思う。理由としては、新聞で情報を得たほうが印象に残り、正しい知識が身につくと考えるからだ。今回ニュースパークで開催されている企画展を見たことで、新聞が一つのメディアとして、どのように伝え報道しているのかを知ることができる施設であった。差別や児童虐待、ジェンダー問題など、その他諸々日本を含め世界に関する問題が掲載された記事や新聞が展示されていた。メディアのデジタル化が進む現代は、気軽に情報を得られ共有でき自分の意見を述べられる機能もついているが、それが利用者にとっては正確な認知をしっかり得られているかというと、それは完璧とは言えない。最近では真実に似せた嘘の情報やAIで作成された現実では存在しない画像が出回り、それを信じこんでしまう人も少なくない。このような、インターネット上の間違った情報に振り回されないためにも、新聞や広報などの紙を用いて文章を読む方は今後も必要だと思う。新聞は基本的に取材を通して得た情報をもとに書かれているため、インターネット検索よりも正確で詳しい情報を簡単に手に入れることができる。もちろん、インターネット上に出回っている情報を信じるなというわけではない。好きな時間に気になる情報を、気軽に確認することが可能であり、読むスピードも新聞より速く読むことが可能だ。また、拡散するスピードも速いため多くの人に速く情報が届けられるメリットもある。ただ自分が見た情報が本当か嘘かを見極める能力が必要になってくると私は考える。多様性が重要視されている今、情報の難易度も少し上がり、私はメディアが伝えたい内容を理解できないことが度々ある。このような事態を防ぐために、多くのメディアを活用することが大切だと考える。情報源であるインターネットだけでなく、新聞の利用も忘れずに良い理解に繋げていきたい。
 引用 株式会社和合販売、ASA春日部東部、インターネットよりも効率的に情報収集!最強の”新聞の読み方” https://wagohanbai.com/2021/07/27/merit/  (閲覧日 2023年8月3日)

◆今回ニューススタジオを取材をして一番印象に残ったことは、新聞がなくなってしまうということだ。このことについて私は沢山考えさせられた。私の家では朝刊が毎日届くようになっている。しかし私がメディアを取り入れる方法はテレビやスマートフォンでのニュースで情報を得ている。新聞でも的確な情報を取り入れることはわかっているが、どうしてもスマホと比べると媒体自体の大きさやジャンルの多さ 色などやはり新聞となると劣るところが多くて新聞がなくなってしまうといわれるのは仕方がないのかと私は感じた。私の父親は昔から新聞を読んでいるイメージであったが、最近は新聞を読んでいるところを見ていない。身近なところで新聞離れが起きていることを感じた。
今回ニューススタジオを訪れて、新聞がどのように伝え報道されているか、私たちが知らない新聞についての秘密を知ることができた。またニューススタジオでは世界で起きている悪い出来事や日本では考えられない出来事について詳しく紹介されていた。そこで紹介されていたのはデジタル化についてだ。現在デジタル化が進んでいる。そこで戦争や世界の問題についてデジタル新聞などで報道されているが、デジタルだとコメントが書き込めることができる。そこで世界各国の読み手が色々な視点からのコメントを読み取ることできる。世界からのコメントで価値観や文化など知ることができる。新聞のデジタル化によって、意見交換も可能になるため、自分はデジタル化はとてもいいことだと思った。しかしデジタル化によって紙媒体での利用者が減ってしまうことをわたしは理解した。
また別の話題であるが、「多様性」についても思う点があった。ここ最近の話題で歌舞伎町にあるジェンダーレストイレ廃止というのが話題になった。このニューススタジオは男女雇用機会均等法の成立によるものだというのを提示していたので確かに昔ながらの考えで今大きい問題が起こってしまうということが分かった。

◆日本大通りにあるニュースパークにて、現在開催されている企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」の取材をした。展示構成は第5章まであった。それぞれ、第1章「近代日本と女性」、第2章「近代日本と格差、人権」、第3章「メディアの中の多様性は」、第4章「いま、メディアが伝える多様性」、第5章「次世代のメディアと多様性」である。その中で興味を持ったものを紹介する。第1章では、明治時代から昭和初期までの女性の教育、労働、生活ぶりについて当時の新聞を通して紹介していた。明治20~30年代に日本の新聞が大きな転換を迎えようとしていた。新聞社では女性が記者として活動をするようになった。その先駆けとして、国民新聞に竹越竹代という女性が入社した。明治中期になり、新聞の大衆化が進み新聞紙面の中に女性向けの生活情報が登場するようになった。このように、昭和初期に女性の議員が生まれるなど様々な事があった。
第2章では、明治時代の学齢児童の就学率やハンセン病等様々なトピックがあった。明治時代初期の時点では、男女の平均が三割程度であったが、明治40年時点では、九割まで上昇していた。ハンセン病が1907年に患者を収容することが可能になって約90年でようやく廃止されたことで、ハンセン病による隔離が違憲であることを世間に知らしめた。また、ハンセン病の患者の隔離やヒトラーの遺伝病予防法等が優生学に基づいて制定されたものであった。
第4章で興味を持ったのが、新型コロナウィルスによる感染によるネット中傷である。感染者に誹謗中傷やネット上のデマに踊らせられたことである。新型コロナウィルスの流行期にこのような悪質な書き込みが多くあった事には理由がある。それは、感染への不安やゆがんだ正義感によって増えたからである。
第4章や第5章では、多様性という言葉がメインとなっていた。その中でもジェンダーと多様性をテーマに京都の高等学校にてペアワ-クを行った。その中で育休について取り上げられていた。育休が義務化してほしいなど様々な意見があった。
このように、明治時代から令和にかけてメディアは様々な変化を遂げてきた。これからもまた時代が変わるようにメディアもまた変わっていくのだろうと実感した。

◆ニュースパーク(日本新聞博物館)の企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を取材して私は色んな新聞をみて勉強になりました、その中でも印象に残ったものがいくつかあります、約10年前に起こった関東大震災の記事です、当時の私はまだ小学校1年生で、その時は午後一時頃で学校の帰りだった覚えがあります、もの凄い地震が起こり、皆恐怖におびえていました、先生たちは非常用のご飯を持ってきてくれました。そのあと私たち家族は実家の中国に帰り、私は小学生3年生まで現地で勉強していました、ここまで鮮明に記憶に残っている記事はおそらくこの記事だけだと思うのでこのまま残してほしいです。次に記憶に残っている記事はSTAP細胞の記事です、当時まだ中学生だったのですが、野々村さんのモノマネを皆でやってた覚えがあります、今思うと凄い可哀想だなと感じます、彼が作り出した細胞は日本の医療業界にとってデメリットになるからあんなことが起こったのだと私は思います、なぜなら日本や世界でもそうだと思いますが、なんでも治せる薬を開発してしまうと利益が減ってしまうからです、副反応がでるような薬を作り、それをさらに治す薬を作れば利益がもっと増えるからです、医療業界に限った話ではないと思うのですが、ここまで凄い人をなぜ世界はつぶしてしまうのだろうと私は疑問に感じます、政治の世界でもそうです、一人突出して人が出てくると明らかにその人にとって不都合なことが起きたりします、私はこの現状を変えるような人に将来はなりたいです。最後に印象に残った記事は最近起こっているロシアの戦争です、ここまで新しい記事もありのかと私はまずそこに驚きました、実際に人生でここまで身近に戦争が起こるのかと思いましたが、本当に心苦しいです。実際にウクライナ人の人に私たち家族は援助をしたり、寄付金を渡したりとしましたがまだまだ足りないなと感じます、ですが一人でも多くの人を助けることが出来れば幸いです。

◆1. はじめに
 「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を取材してみて多様性について、社会の問題についてしっかりと考えることができた。「多様性」をキーワードとして、メディアが変えてきたもの、メディアを変えてきたものを時代の変化とともに振り返りながら見学することができた。ニュースパークの展示では明治時代から昭和初期までの新聞を中心に取り上げている。その新聞の内容は、ジェンダーや少数民族、貧困などさまざまな社会の問題が取り上げられていた。数ある新聞の中で、私はジェンダーについて述べる。
 2.ジェンダー平等について
 世界では多くの国で、男女不平等が問題となっており、男女平等の社会を目指している。しかし日本は、146ヶ国中125位と過去最低となっている。私が日常生活で感じるジェンダー問題は、「母親は家事、子供の面倒をするのが当たり前」「男性がリーダーになるべき」「トイレの赤マークは女、青マークは男」などである。また、日本の政治分野では女性議員が少なくジェンダーギャップ指数は116位とG7の中で最下位となった。ニュースパークで目にした「男性もジェンダー問題の当事者」という記事を見た。「男らしさ」による圧によって生きづらさや、自殺、居場所がないといった問題がある。普段、女性への暴力や差別についてのニュースや記事をよく目にするため、男性のジェンダー問題はあまり知らなかった。女性だけでなく、男性のジェンダー問題についても報道を増やし、世間の人に知ってもらう必要があると感じた。
 3.おわりに
 今回ニュースパークに取材に行き、今まで知らなかった社会の問題を知ることができた。誰もが生きやすい世の中で、多様性に生きるためにはどのような考え方をすれば良いのか考えるきっかけになった。特に印象に残った展示は、「多様性とは何か」を1冊のノートにしている展示だ。沢山の人の自分が思う多様性を知ることができた。

◆横浜市内にあるとてもユニークな博物館、ニュースパーク(日本新聞博物館)へ訪れた。訪れる前は、ただ色々な新聞が紹介されているだけだろうとあまり浮かない気持ちで訪れたが、中に入るとそのユニークな空間にとても驚ろかされた。
まず、過去から現在までの新聞の歴史を多くの展示品や動画を見ながら学ぶことが出来る。特に、実際に新聞作りをしていた歴代の機械を間近で見られることが印象的だった。現在は情報を知りたいとき、指先で画面に触れるだけで情報を知れるという便利な時代である。だが、昔はキーボードのようなボタンが沢山ついていて、何がどう動くのか見ただけでは分からないような大きな機械から新聞を作っていたことを知り、情報伝達のスピードが現代よりも遅く、時代の違いがはっきりと分かる良い資料だと感じた。
また、この博物館には、今までにあった社会問題を書いた新聞も数多く展示している。中でも懐かしく思った社会問題が、メッセージ機能を使う若者間で発生したチェーンメールについての新聞である。友人などから嘘の内容が書かれているメールが送られ、このメールを10人以上の誰かに送らないと呪われるなどといった心理的ないたずらである。このチェーンメールから分かるように、世間に出回っている情報が全て正しいわけではないことを改めて感じさせる新聞だった。この新聞の隣にあった壁に情報の扱い方のポイントが書いてあり、とても重要に感じたため紹介しようと思う。1、「情報を受け取ったら、まず立ち止まること」2、「情報源を確かめること」3、「いろんな視点の情報を探して、比べること」4、「情報を発信するときは慎重にすること」これらを頭の片隅に入れておくことで誤った情報の扱い方を防止することに繋がるのではないか。したがって、この4つのポイントをもっと多くの人に伝えるために教育機関に向けてポスターを作るのはどうだろうか。また、メディアでも強調をして情報を広げる取り組みが大切であると感じた。

◆みなさんはエコーチェンバーという言葉を聞いたことがありますか?
エコーチェンバーとはソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたものです。エコーチェンバー現象」の問題点は、常に同じ意見を見聞きしていることによって、それ以外の認識が間違っていると思えてくることです。 これは、認知心理学・社会心理学の用語である「確証バイアス」と似ています。現代の子供たちは、物心がついたころからインターネットを通じて日々たくさんの情報に触れています。そのためエコーチェンバーという現象が起きる危険性をはらんでいます。しかし今の時代、多様性が大事にされています。例えばジェンダーに関してだと性の多様性です。さいきんではタレントのryuchellが自殺で亡くなりました。「『本当の自分』と、『本当の自分を隠すryuchell』との間に、少しずつ溝ができてしまい、『夫』であることは正真正銘の『男』でないといけないと。父親であることは心の底から誇りに思えるのに、自分で自分を縛りつけてしまっていたせいで、『夫』であることには、つらさを感じてしまうようになりました」とのことでした。ryuchellは性別に縛られないジェンダーレスな容姿が話題であり、LGBTQなど性の多様性について発信したり、自身の性に関する悩みを明かしたりして注目を集める一方で、ネット上では私生活に踏み込んだ書き込み等、無数の誹謗中傷に晒されていました。
誹謗中傷は人をこんなにも苦しめることがわかります。インターネットの普及によって便利になった面、よくない問題が多発しています。いろんな考えを尊重して、他人を理解しようとする心構えをして、決してインターネットの情報や、自分の考え方だけに縛られず広い視野で物事を考えられるようにするべきです。インターネットに触れるにあったって気をつけることをしっかりを教育し、学んで、努力することが大切です。

◆私は7月26日にニュースパークに足をはこびました。自分は過去に一度行ったことがあり、前回伺ったのは中学生の頃だったので懐かしかったです。今回のテーマである「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」について、見学を通して気が付いたことや、自分の意見も踏まえて書きます。まず、ニュースパークを見学して感じたことは歴史を感じる機器や、それらと結びつく記事がきれいに展示されていて見学しやすかったです。また、映像を使った体験や横浜をモデルにした模型もありました。なので、大人から子供まで学びやすいような工夫がある空間でした。そして、企画展に関わる方達の意見や考えが伝わる資料が展示されていました。そこには多様性についての考えや情報やメディアが私たちにもたらす影響が詳しく書かれていました。自分が考える多様性とは性別や人種、文化や言語を理解しあうための考えだと思います。そして、それらを人に伝えるのがメディアであると考えます。メディアが時代の流れによって進化していくことは必然的であり時代の流れと共に情報機器や情報そのものが進化していき、人が様々な情報を理解しやすく伝える媒体がメディアです。メディアが意識することは見出しやその記事などを読む層です。どのターゲットを狙うのかによってそれらは変化します。そして、気を付けないといけないことはプライバシーへの配慮でありこれは近年では最も気を付けなければならない点であると考えます。そしてこれらは多様性について関係していると言えます。なので、多様性自体も時代と共に進化していると思いました。そして、ニュースパークはメディアの媒体の歴史や、機器の進化を感じられるとともに、それらを伝える数少ない貴重な博物館であると言えます。

メディアが変えたもの
みなさんは、一日の内にメディアに目を向ける機会がどれほどあるでしょうか。若い世代の方は好きなことのニュースや、記事だけであまり世間のことには触れていないのではないでしょうか。私もその一人です。しかし今回ニュースパークの「多様性 メディアが変えたもの」に行き考え方が少し変わりました。その理由として、メディアがいつの時代から社会に大きな影響を与えていたかを述べていきたいと思います。
まず、1985年に男女雇用機会均等法が成立し募集、採用、配置、昇進についての均等な取り扱いが事務業主の努力義務として、メディア界でも女性の総合職的な採用が始まりました。しかし新聞、通信社の女性の割合が4割を超えたのは最近と知ってまだ管理職や、役員の割合が低いのは現状に残っているそうです。
そのなかで、ダイバーシティ推進と働き方改革を組織として進めてきたNHKの活動があります。その組織としての共有されてきた多様な価値観がメディアの表現内容やサービスにつながていると知って2020年に「ジェンダー平等宣言」が発表されているのが昔から今につながっているインターネットの普及、グローバル化などメディアを外から変えた力のように感じました。
そして、私が考察として考えたことはこれからもっとインターネット社会が
進むにつれて女性の存在は重要だと思い「男性」「女性」と区別して考えるだけでは単純に価値観が偏りメディアに発信できることが半分です。今回このニュースパークに足を運んで40年間女性が社会に出ることが難しかったかを知ったうえでどうジェンダーレスが進んでいくのかは私たち自身が日々目を向けて知っておくべきだと歴史を無駄にしないために大切だと思いました。
これまで、メディアが変えてきたものを述べいつの時代からメディアが変化しようとしていたのか、どうこれから変わりそうにあるかが伝わったでしょうか。自分もいつか社会にでるという立場で考えると知っておくべきことではないでしょうか。良ければ多様なニュースに目を向けてください。

◆ メディアは時代とともに進化してきました。最初のメディアは、口承文化でした。人々は物語や情報を言葉で伝え、知識を受け継いできました。しかし、文明の発達により、情報が記録され伝達される手段が大きく変わりました。文字を用いた書物の発明は知識の普及に大きく貢献し、文明の進化に寄与しました。
 その後印刷技術の発展がメディアの世界を変える重要な要素となりました。15世紀に活版印刷が発明されると情報の生産と配布が劇的に進化しました。書籍、新聞、雑誌などの大量生産が可能になり、多くの人に情報が届けられるようになりました。
 19世紀には電信、ラジオ、映画、などの新たなメディアが登場しました。電信によって遠く離れた地域のコミュニケーションが可能となり、ラジオは音声を通じて情報をひろく伝える手段となりました。映画は視覚を通じて物語を伝え、エンターテイメント産業を築きました。
 そして20世紀末から21世紀初頭にかけて、インターネットの普及が大きな変化をもたらしました。インターネットは情報をリアルタイムで共有し、世界中の人々が安易にコミュニケーションできるようになりました。ウェブサイト、ソーシャルメディア、動画共有のプラットフォームなどが生まれ、情報発信と受信の方法が一変しました。
 これにより市民ジャーナリズムやブログなどの形式が台頭し個人が情報を発信することも可能になりました。同時にフェイクニュースやデジタル情報の過剰供給といった新たな問題も浮き彫りになりました。
 さらにモバイルテクノロジーの進化によって情報のアクセスがますます簡単になりました。スマートフォンやタブレットを介していつでもどこでも情報を入手できるようになりました。メディアの変化は社会に大きな影響を与えてきました。情報の伝達が早くなり、世界より連結される一方で、マスメディアの役割と責任も変化しています。
 総じてメディアは人間の文明と共に発展してきました。未来では更なる技術の進化と新たなメディアの出現が予想されます。これらの変化に適応しメディアをより良い社会のために活用してくださいことが重要です。

「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」
多様性をテーマとし、ニュースパークへ取材をしに行きました。今日、多様性を推進しようとする取り組みが進んでいて社会の中の差別や完全に無くならない女性差別について、メディアが変えてきたもの、メディアを変えてきたものを時代の変化と共に振り返り未来へ繋げていく取り組みが進んでいます。
多様性とは公平性、包み込む、受け入れるなどの意味を持ちますが時代と共に見ていく中で昔と比べて現在は改善されたようにも思えますがそうでない部分もあります。
昔に比べて男女雇用機会均等法の先取り世代として女性記者は増えたものの周りは男性ばかりでニュースに登場する女性たちにも、美人何とかとか女性の全裸死体とか、愛人とかという言葉が平気で使われていました。女性記者の数が増え一見、それぞれがジャーナリストとして競い合えるようになったかに見えますがいまだに取材現場ではセクハラ、パワハラがあとを絶ちませんでした。そこには圧倒的に取材される側に男性が多いことや、日本の記者クラブ制度の閉鎖性がありました。多様性をなかなか認めない社会を変えるには、性別に関係なくおかしなことはおかしいと声を上げ続けることが重要で、マスコミにはその役割が期待されています。その後女性たちが批判の声をあげメディアにおいて反感を買うようになりましたその期間の日本社会においてジェンダーに基づく格差や不平等、マイノリティーへの差別や排除が改善されることはありませんでした。
このような問題点は解決するべきであるし、その解決によって多様性に繋がっていくのではないかと考えました。多様性といっても性、年齢、民族、障害、病気など様々な観点がありますがそれをひとつずつ解決していくことで初めて多様性といえることができると思います。昔から現在まで様々な変化があったからこそメディアは色んなものを変えてきて、逆に色んなものがメディアを変えてしまったのだと思いました。

◆ 私はニュースパーク(日本新聞博物館)を訪問し、企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」の展示をみてきた。館内はとても静かで人が少なく落ち着いてゆっくりとみることができた。展示は主に「1 近代日本と女性」「2 近代日本と格差」「3 メディアの中の多様性」「4 いま、メディアが伝える多様性」「5 次世代のメディアと多様性」の5つのテーマに沿って、そのテーマに関連する様々な資料が展示されていた。
 1 近代日本と女性の展示では女性の社会進出への流れやいままでの婦人向け雑誌や新聞の紙面が展示されていた。個人的には今でも本屋などでよく見かける婦人之友社が明治時代からあることが驚きだった。2の近代日本と格差の展示スペースには一番昔の新聞などが多く展示されているような印象を受けた。特に戦時中の記事や、水俣病に関する記事が多かった。その時代の戦時中の民の格差や水俣病に関する差別など新聞がこのような状況をどのように報道してきたのかが分かった。明治時代ごろの新聞は少し本文より大きめの見出しと本文が綴られているだけであったが、昭和ごろになってくると様々な本や生活雑貨の広告、そして報道に関連する写真が大きく出されていたなどの新聞の時代ごとの違いも見えた。多様性に関連する教育率が47都道府県ごとに見ることのできるインターネットサイトが見られるタブレット端末や実際の点字で書かれた本が置いてあり、実際に自分で触れて、調べて確認することができた。3のメディアの中の多様性では1の近代日本と女性と繋がるような展示もありつつ、多様性がメディアの中で進む過程を垣間見られるような展示だった。映像展示もあり、より当時の空気を感じられる展示だった。4 いま、メディアが伝える多様性は現代で考えられている多様性、LGBTQやジェンダー平等や社会的に今まで少数で差別や偏見を持たれるような人々を様々な視点から考えるような報道が主に展示されており、5の次世代のメディアと多様性と合わせて見ると、現代に生きる私たちにとってとても考えさせられる展示であった。

◆ 日本は、ジェンダーギャップというものが存在している。ジェンダーギャップとは、男女の違いにより、生じてしまう男女格差のことだ。これは、無くしていくべきだと考える。 しかし、ジェンダーギャップの平等は意外にも知られていないことが多い。そんなジェンダーギャップの例としては、家事などの家庭的なことは、女性がやる。子育ては、女性がやるものだ。外で働くのは、男性だ。お金を稼ぐのは、男性だ。などだ。これらの習慣的に作られた、こういった考えは、すべてジェンダーに該当する。ジェンダーギャップ指数は、男女格差指数とも呼ばれ、日本は、先進国のなかでも非常に低い。
 ジェンダーギャップが問題視されている日本では、ジェンダーギャップを解消するための、様々な取り組みが行われている。ジェンダーの平等実現は、今話題のSDGsの目標の一つでもある。取り組みの一つとして、あげられるのが、企業などの、雇用条件や待遇などの見直しだ。男女で雇用条件や待遇に格差があるのは差別とされ、無くしていく必要がある。また、女性が不利にならないためにも、就労継続や、昇進など、環境整備が求められている。女性は、子供を妊娠などによって退職した場合、出産後の復帰がとても難しいとされている。それをなくすために、短時間勤務制度や育児休業制度などを利用して、女性の離職防止につながるように、就業の継続において不利にならないための環境づくりなどが、企業の取り組みとして行われている。
 ジェンダーギャップについての問題は、年代、環境などによって違いがあると思う。それを理解し、人々が生きやすくしたり、働きやすくするためには私たち自身が意識したり、工夫をするなど、対策を進んで行っていくことが重要になっていくのではないかと考える。

◆ 私は今回ニュースパークの企画展示である「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を見学してきた。実際に行ってみて感じたことは、私たちとメディアは共にあり、常にメディアと接してきたのだな、という事だ。メディアと多様性という一見無関係に見えるテーマだが、展示を見たことで多様性について理解を深めるためにはメディアの存在が必要だという事が分かった。また、メディアの見方やメディアへの接し方などがメディアを通して私たちはどのように変わったのかなどを知ることができた。時代によって伝え方や発信も変わっていったメディアの実態を学ぶことができた。
多様性を大事にしようという傾向にある現代において、メディアの存在がなければその実態や多様性を大切にすることはどういうことなのかなど多様性に対する知識を得ることができず、多様性についての理解は深まらなかったと考える。さらに、メディアがなければ今のように多様性が大事にされる社会にはなっていなかったと考える。なぜなら、メディアがなければ多様性について知る機会がなく、そもそもそこまで多様な人がいるという考えにすらなっていなかったかもしれないからだ。また、逆に多様性という言葉や多様性を大切にする今のような社会がなければメディアがここまで浸透することもなかったと考える。なぜなら、メディアを通して多様性について知る機会がほとんどだと感じるからだ。メディアと多様性というのは関係が深くどちらも必要な要素なのではないかと考える。
このように、メディアというのは時代に合った在り方で私たちの生活に役立っている。メディアがなければ今のような自由で理解のある社会にはなっていなかったかもしれない。今回の展示ではメディアの存在と私たちの生活の移り変わりなどを知ることができる。今回の展示を見に行くことで、メディアによって変化してきた私たちの暮らしをぜひその目で見てみてほしい。

多様性 メディアが変えたもの ~放送ライブラリーを取材して~
今回放送ライブラリーに取材をしに行って分かったことは、メディアが多様性についていくつかの影響をもたらしているということだ。具体的にどのような影響をもたらしているのかというと、メディアが様々な人々や文化を紹介することで、理解を深めます。それにより違う視点から物事を見れるようになった。そして、社会的な変化や包括性が進む可能性が高まってきている。またメディア自体も変わってきている。デジタルメディアの影響により情報のアクセスが容易になった。それにより、あらたな視点からメディアのコンテンツをとりあげられるようになった。私たちはその幅広いジャンルや文化的なコンテンツから自分が興味のあることを容易に知れるようになった。なので、メディアが変えたものとしてあげられるのは、多様性を重視した情報の提供や異文化の理解の促進、さらには個人の情報の発信やコンテンツの多様性などがあげられる。また若い人たちの新しい意識や価値観もメディアによって変えられつつある。昔までの男尊女卑の考えを変えるような取り組みがなされていることが分かり、それにより女性の社会進出が増えてきているということが分かった。また教科書なども多様性について書くようになり、ジェンダー平等、性の多様性、インクルーシブとうの視点から学びがどのように行われているのかを重視し、また学校運営側もそういったような性の多様性の視点が取り組まれていることが分かった。とくに高校の中での多様性教育が発足しており、新聞を活用した教育がなされている。以下のことを踏まえ、紙であれデジタルであれ、メディアがもたらす多様性の影響は時代が進むにつれますます当たり前になってくるだろうと思った。

◆企画展に行く前、自分は企画展のことを少し疑っていました。最近はよく多様性についての問題がよく取り沙汰されていて多くの人がそれを知っているだろうし、その手の問題に自分は充分な理解を持っているから大丈夫だと考えていました。
この企画展では多様性の観点から多くの新聞や資料、大学教授などの人のコメントが展示されています。文量は少し多いですが、考えさせられるものが多くありました。
例えば、今は多様性やジェンダー差別に関する話題は確かに増えているが、意識の方はしっかりついてきているのだろうかという問いを投げかけるコメントに、自分はぐうの音も出ませんでした。高校生の時にはなんとなく関わりにくいから女性との関わりを避けていたりしてしまっていて、自分は多様性について意識をしていなかったことが分かりました。
他にも、報道がそういった差別を無くすために使われていたということも今回初めて知りました。自分の中で報道と聞くと、戦争で国民を扇動してしまっていたことやパパラッチみたいに有名人を追いかけまわす印象があって良いイメージを持っていなかったけど、障がい者差別や育児問題、貧困問題、更には記者自身の会社を例にして女性差別問題に切り込んだ記事など、社会問題を指摘する記事が多く並んでいて、新聞が社会に与えた影響を実感できました。
日本は他の国と比べて差別の文化が色濃く残ってしまっていることは有名ですが、今回の企画展の資料に、1990年から2010年の間には女性の社会参画について言うのはもはや時代遅れだという風潮があったと書いてあるものがありました。社会が差別のある状態で停滞してしまっては、自分だけが理解していても意味がありません。
大切なのは、理解することだけでなく、今の自分と照らし合わせて本当に大丈夫なのかを確認すること、また、無理をしない程度に周りに働きかけて少しでも良い環境を作ることだと考えます。
先述の通り文章量や資料も多く、正直に言うと行くには少し勇気がいる場所だと思います。しかし、その分差別について知れることも多くあり、流して見るだけでも価値がある場所だと考えます。

「多様性から生じる生きづらさ」
私は、ニュースパークの企画展を取材して多様性が進んでいる中での生き方を取り上げている記事が印象強く残っている。なぜなら、今まで多様性について考えることはあったが深くまで掘り下げることがなかった。しかし、企画展を拝見すると、多様性からから生じる認識の違いや生きづらさについて細かく記事にしているものが多く興味を示したからだ。例えば、私が印象に残った記事は「男性もジェンダー問題の当事者」という大妻女子大学准教授、田中俊之さんの記事である。この記事の内容は、この世の中は、女性だけではなく、男性も男性らしさに抑圧され生きづらくなってしまっていることを追求した文が書かれていた。確かに、女性の職場が少ないことや家事を押し付けられることなどを社会問題に上げていることはよく目にするが、男性の事情について問題となって取り上げているものは目にしない。学問には、男性学というものがある。これは、男性が男性だからこそ抱えてしまう悩みや葛藤を対象にした学問であり、日本では女性学から影響を受けて1980年代半ば以降に登場した学問である。記事には、「これまで男性学は、長時間労働、自殺、あるいは地域や家庭での居場所のなさといった問題を扱ってきた」という文がある。この記事から私も男性問題について調べたところ、男性は何歳まで働くのが正しいのかといったものを取り上げているものを見つけた。そこから、男性は大学を卒業したら就職をして、結婚をして、定年まで働くことが「普通」というのが定義のようになってしまっていると考えた。しかし、実際にはフリーターの人や結婚していない人もいる。ここから、「普通」とするものと現実との実態が離れていると感じた。深く考えると、就職や結婚ができなかった男性は、自分は「普通」にさえ手が届かなかった人間だと認識してしまうのではないかと思う。そして、このようなことが男性の生きづらさの原因となってくるのだ。このように男性もジェンダー問題で苦しんでいることが分かった。そして、男性も生きやすい世の中にするために、性別にとらわれない多様な生き方の見直しが必要だと考えるのである。このようなことから、多様性から生じる問題について細かく書きおろしてある記事に興味関心を持った。

◆ 私はニュースパークの企画展である「多様性 メディア変えたもの」を実際に観に行き、ある一つのテーマに注目した。それは「次世代のメディアと可能性」である。「次世代」を担う私たち若者が、メディアにとってどのような可能性を秘めているのか、とても興味が湧いたのだ。
 今現在の日本のメディアでは多様性の視点からさまざまなことに敏感になってきてるという。ジェンダー平等や性に関する多様性など、一昔前では注目されなかったトピックが注目されている。そのような、"今"だからこそ注目され、多くの人に関心を注ぐことに社会は視点を置き、私たちの暮らしにスポットライトを照らしているのだ。
 「次世代のメディアの可能性」とは、私たち若者が今までになかった視点に目を置き、メディアを通して発信することで、多くの人の生活を豊かにすることである。今までは声を上げることができなかった人たちがメディアを通して、不特定多数の人に情報を伝えることが、今後社会への可能性の投資となるのだ。多様性がさまざまな観点から注目されている現在だからこそ、メディアは幅広い視点から私たちに情報を伝える。そうして私たちはさまざまな問題や課題を発見することができる。そうして「可能性」として私たちの生活に影響を与えるのだ。つまり私たちが未来の社会を担う「次世代」として、その「可能性」を高めていくことができる世の中になってきたのだ。
 私たち「次世代」は社会が望むメディアの可能性を高められるのか。実際、メディアを通して将来の社会にどう影響を与えているかはわからない。しかし、ジェンダー平等や性に関する多様性に興味を示すことだけでも可能性は広がるだろう。そして、1人でも多くの人に伝えていくのだ。「メディアが変えたもの」。それは、私たち一人一人がメディア媒体となり、「未来の社会」を変えていたことではないだろうか。
 今回の展示会を通して、多くの人はメディアと多様性の関わりについて学ぶことができただろう。そこから学んだことを通して、これからの生活に投資していくことが、未来への可能性として繋がり、私たち「次世代」が世の中を変えていくのだ。

◆ 横浜にある情報・新聞の体験型ミュージアムのニュースパーク(日本新聞博物館)は、新聞に関する歴史や情報を展示する博物館のことで、訪れる人々に、新聞が社会に果たしてきた役割や影響、報道の重要性などについて学ぶ機会を提供している。実際に、以下のような展示やアクティビティが行われていた。
一.近代日本と女性: 新聞の歴史的な展示物や資料を通じて、明治から昭和初期までの女性の教育、労働、生活ぶりについて、新聞がどのように発展してきたかや、時代ごとの報道の変遷など、社会を映し出す記事が掲載され、各時代の女性の様子を伝えていた。
二.近代日本と格差、人権: 明治から昭和戦前期、民族、障害、疾病を理由にした差別、労働や教育と貧困・格差をめぐる状況について、時代の空気が色濃く反映された新聞をもとに、当時の人々が人権をどう捉えていたのか、どのように日々の情報を提供しているかを伝えていた。
三.メディアの中の多様性は:新聞だけでなく、テレビやインターネットメディア、広告、海外メディアなども展示されていた。時代を変えようとしてきた関係者と、メディア内部で奮戦してきた記者たちの足跡、組織の変化について当時の報道と現在のコメントなどを通じて紹介していた。
四.いま、メディアが伝える「多様性」: ジェンダー平等のほか、男性らしさ、子供、病気や障害を持つ人、性的少数者(LGBTQ等)、外国人労働者など様々な「多様性」の視点の報道を紹介していた。
五.次世代の「メディアと多様性」: 新聞の記事の書き方や報道倫理、メディアリテラシーに関するワークショップやイベントが開催されることがある。メディア内外の若い世代の声を、多様性についての教育現場の取り組みも交えて紹介していた。新学習指導要領が完全実施され、高校でも多様性を重視した教科書が使われ始めているそうだ。

◆日本新聞博物館にて現在開催されている企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を取材してきました。
明治から昭和初期までの新聞紙を中心に、第1章で女性、第2章で疾病・障害や民族、貧困等がどのように取り上げられてきたかを紹介されています。第3章は、昭和以降、1985年の男女雇用機会均等法の成立後、メディアの中の多様性がどのように進んできたのかがテーマです。第4章は、ジェンダー平等、男性らしさ、子供、病気や障害がある人、性的少数者、犯罪被害者、外国人、少数民族など、今も続く課題を取り上げた新聞紙面等を展示してありました。第5章はこれからの「メディアと多様性」。メディア内外の若者の声を、多様性教育の現場の取り組みも交えて紹介されていました。
私は第4章に展示されている いま、メディアが伝える「多様性」に興味を持ちました。
ジェンダー平等のほか、男性らしさ、子供、病気や障害を持つ人、性的少数者(LGBTQ等)、累犯障害者、犯罪被害者、外国人労働者、少数民族・言葉(沖縄、アイヌ)、被差別部落、在日コリアン、中国残留邦人など様々な「多様性」の視点の報道を紹介されています。
多様性と一口に言っても、「性」「年齢」「民族」「障害」「病気」等様々な観点が存在します。
その中でも、第4章に展示されていた大妻女子大学准教授の田中俊之さんの「男性もジェンダー平等の当事者」という記事に興味を持ちました。
日本では、女性学から影響を受けて1980年代半ば以降に登場した。「女らしさ」だけではなく、「男らしさ」もまた社会的・文化的に形成されており、「男らしさ」による抑圧は男性に生きづらさをもたらしている。これまで男性学は、長時間労働、自殺、あるいは 地域や家庭での居場所のなさといった問題を扱ってきた。女性学と男性学は、「性別にとらわれない多 様な生き方の実現」と「男女平等の達成」という二つの目標を共有する。男性が女性の足を踏んでいる側であるという認識を持ちつつ、男性がジェンダー問題の当事者として自覚できるような報道が増えることを期待したい。という記事でした。
メディアが変えたものの1つに多様性は含まれると私は考えますが、もっと広い目で多様性について考えなければいけないと実感した記事でした。

◆私はニュースパーク(日本新聞博物館)で行われた「多様性~メディアが変えたもの メディアを変えたもの」という企画展に足を運んだ。そこで私は、私たちの生活には今も昔もメディアが必要不可欠だということを改めて感じた。メディアが私たちに何を与え、どんな影響をもたらしているのかを深く考えるきっかけとなった。
この企画展に行ったことでメディアを通して私たちは自分の知らない世界を見たり、様々な考えに触れたりしてきたことに気が付いた。メディアは私たちがこれから成長し続けていく上で大きな役割を担っていると感じ多くのことを学ぶことができた。
今もまだ男尊女卑の考えを持つ人が多いが昔は今の倍以上に女性が働くことが難しかったことを知ることができた。私は女性がメディアの仕事(記者、リポーター、編集者など)に就くことが難しかったことが男尊女卑の考えを浸透させた1つの要因であったのではないかと考える。その時代にもっと女性の持つ考えや価値観を女性自ら発信できる場所があると状況は少し変わっていたと思う。また戦争を経験したことのない私たちが戦争という大きな間違いを起こさないようにするには、戦争の恐ろしさをメディアから学び続ける必要がある。その問題は多くの人の命を奪ってまでしなくてはいけないことなのかを考えると、人の命より優先しなければいけない問題はないと考えることができる。
「ペンは剣よりも強し」この企画展の中にあった著名人達の言葉の中にこんな言葉があった。これはイギリス人、ブルワー・リットンの戯曲『リシュリュー』が原典であるといわれている。私はこの言葉に私たちが自由に強く生きていくために必要なことのすべてが詰まっていると感じた。誰もがペンを持ち思いのままに発信する自由があること、思いを言葉にすることは剣を持って戦うことよりも意味のあることだと考える。
したがって私はこの企画展を通してメディアは昔の人々の間違った行為や悲惨な出来事を二度と起こさないようにするために必要であり、全員が考えを発信できる場所として大切なものであると学ぶことができた。

メディアが変えたもの メディアを変えたもの
現在の日本では、様々な分野で「多様性(ダイバーシティー)」を推進しようとする取り組み「DE&I」が進んでいます。新聞・放送・通信社は、社会の中の差別などを問題提起し、その撤廃を報道や事業活動を通じて訴えてきました。制度整備につながった事例なども多くあります。
一方で、メディアの中の多様性は、なかなか進んでいないと内社からの指摘があります。
それでも、女性記者(社員さん)の増加や若い世代への意識の変化などによって、新しい視点での活動は増えています。
SDGsの機運が高まり、Z世代をはじめ、新しい学習指導要領で多様性教育を受ける世代が社会に出ていくいま、「多様性」をキーワードにしていくことで、「メディアが変えたもの」や、「メディアを変えたもの」を視点にしていくことで、今現在の日本におこっていることが分かりやすくなります。
今の日本では、SDGsの中にもあるジェンダー平等のほかにも、男性らしさ、子供、病気や障害を持つ人、性的少数者(LGBTQ等)、累計障がい者、犯罪被害者、外国人労働者、少数民族・言葉(沖縄、アイヌ)、被差別部落、在日コリアン、中国残留邦人などさまざまな「多様性」が存在していることから、メディアから取り入れることができるし、メディアとして取り上げることができます。
そして、Z世代である私たちの世代は、中学生や高校生のころから、「SDGs」について取り上げた授業や、「多様性」を基にした授業に取り組んだりしてきました。
「教科書も一つのメディア」という所から、自分たちがこの世代に生まれてきて、学んだことをもっと周りに広めていかなければいけないと感じています。
今回のキーワードである「多様性」をもとに、さまざまなメディアから広まっていけばいいなと思います。様々な人々がメディアを通して新しい生き方や、相手について受け入れる考え方が広まるように、メディアから発信できたらいいと思います。

◆メディアが変えたものの中には若者の意識や価値観がある。ジェンダー平等、性の多様性、インクルーシブ 等の認識を大きく変えた。テレビや映画において、女性やLGBTの多様なストーリーが描かれるようになっ た。広告業界でも、多様な人種、性的アイデンティティを含む広告が増え、より包括的なイメージが広がっ た。多様性と言っても、様々な観点がある。「病気」「障害」などを抱える人は、マイノリティとして扱わ れることがある。身体的な健康や能力に制約があるため、偏見や差別に直面することがある。マイノリティ が重なり合うことで過酷な状況となる。社会的な不平等や差別をなくすため、その権利や声を守るためにさ まざまな取り組みが行われている。包括的な社会を実現するためには、病気や障害を持つ人々の権利を保護 し、その人たちに必要な配慮、合わせた支援やアクセスを提供することが重要である。また、意識の啓発や 教育を通じて、多様な背景や状況を理解し、差別のない社会を促進する必要がある。 デジタル化、グローバル化により変わったものはインターネットとデバイスの普及により、情報へのアクセ スが簡単になり、コミュニケーションをとる手間が省けた。これにより、遠方へのコミュニケーションが安 易になり、文化や知識が国境を越え共有され、異なる考え方の人々とも関わる機会が増えた。デジタル革命 により、ビジネスや教育の方法が変わり、新しい産業や雇用の機会が生まれた。国境を越えた交流と経済的 つながりが増えました。これにより、文化やアイデンティティの交流が盛んになり、世界的な問題に対する 協力が必要とされるようになった。ですが、デジタル化とグローバル化は新たな課題をもたらした。情報の 過剰供給による情報過多やデジタル格差、環境への負荷増加などが挙げられます。また、グローバルな経済 の変動が一国の安定に与える影響や、文化の均質化が地域の多様性を脅かす可能性もある。

◆私は一緒にマス・コミュニケーションの授業を受けている友達と7/31にニュースパークを訪れた。しかしなぜだかわからないが入ることができなかった。営業時間外でもなく定休日という情報も得られなかった。入ることができないならどこかしらに掲載してほしいと思った。入ることはできなかったが、入り口の外から見える範囲で情報を集めた。見ることができたのは壁に貼られている新聞やポスターだけだが、それを見て余計に入ることができなかったのは悲しかった。なぜならいろんな種類の新聞やポスターが貼られていて、それぞれ個性が豊かで目を惹かれるものばかりだからだ。関東大震災についての新聞は見えた中では計4枚あったが同じデザインのものは1つもなかった。1つは背景が真っ黒で前面に白字で関東大震災~原点は100年前~と大きく縦書きで書いてあった。フォントは柔らかい書き方の字体であるがきっちりとした印象を受けた。単調な言葉であるがその字体から昔っぽいと感じた。横には小さく英語で関東大震災と書いてあり日付も書いてあった。その新聞1枚を見ただけで私たちは関東大震災について学べるイベントがあると分かる。そしてデザインから緊張感のようなものを感じ取れる。新聞やポスターには情報を伝える以上のすごいパワーがあると思った。2枚目は1枚目とは全然違ったデザインで告知されていた。家が崩壊していて、周りには崩れた木が散乱している。そしてその家族の父らしき人が木を持ち上げているイラストが描かれていた。紙の上3分の2ほどで描かれていて、残りの下には日付などの情報が書かれている。そして青文字で大きく大災害を生き抜いてと書かれていた。この新聞からは緊張感は感じられず、大災害を強く生き抜いた人たちの前向きな印象を受けた。同じ情報でもデザインを変えると印象も変わるので新聞は奥深いと思った。

◆私はニュースパークの企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を取材して、疾病や民族、貧困、ジェンダー平等、子供の病気や障害など様座な分野の内容を学んだ。「メディアと多様性」について深く考える機会が全くなかったためこの課題が出て良かった。いろんな内容の中でも私が最も関心を持ったものは男女雇用機会均等法についてだ。
なぜなら、女性という性別で生まれただけなのにやりたい仕事に就けない人もいるという事実があったから。
この法律が成立してからは、育児休業法や、パートタイム労働法、次世代育成支援対策維進法、女性活躍維進法が成立し、女性の働きやすい社会になっていった。
均等法により女性の総合的職な採用も始まった。
そこから少しずつではあるがメディアが変えていったものはいくつかあると考えた。
まずメディアが男女雇用機会均等法に関するニュース等を取り上げ法律の認識度を高めていったこと。メディアが情報を提供することで人から人へも繋げていくことができ、それぞれの法律の意識をあげることができる。そして雇用において男女の差別や不平等な状況は取り上げ、男女差別の問題を公にする。こうすることによって、社会問題への意識が高まり、改善しようという意識や働きかけが生まれる。
さらに社会において成功している女性を取り上げ、女性の活躍を称賛し女性がキャリアにおいて成功するということをメディアによって拡散する。これにより、若い女性などにとってのロールモデルになり、他の女性へ自信づけをすることができる。
朝日新聞が「ジェンダー平等宣言」を掲げ、女性の起用についての具体的な数値目標を掲げているということを初めて知った。私が思っていた以上にメディアが変えたことが大きかった。多様性をめぐる社会の意識が、メディアの認識以上に、大きく変化していた。
これらのことから、今まで社会の勉強で単語だけ覚えていた「男女雇用機会均等法」であったが、様々な資料を見たり自分で考えたりすることをして、日本の法律についても少し関心が深まった。これからの社会においてメディアとの関連は必要不可欠なものだと感じた。

◆6月21日、世界経済フォーラムが2023年版の「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」1) を公表しました。日本は146か国中125位と、前年の116位を更に下回る結果となりました。2006年に調査が始まって以来、過去最低の水準です。ジェンダー・ギャップ解消のペースが今のままでは、男女平等の実現には131年かかるという試算も出されました。皆さんはこの現実や結果をどのように受け止めますか?私は、様々な分野で「多様性(ダイバーシティー)」を推進しようとする取り組み「DE&I」やメディアの課題について実際に企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」訪れて学んでいきたいと思いました。ジェンダー平等やマイノリティーへの差別禁止など多様性を尊重しようという世界的な潮流の中で、新聞、放送、通信社は問題を提起し、社会変革の一助を担ってきました。その一方でメディア内部の多様性は推進されていないという指摘もあります。構成は展示は5章で構成。明治から昭和初期までの女性の教育や労働のほか、障害、病気、貧困を巡る差別の報じ方の歴史をたどっています。私が印象に残っている展示は「第1章 近代日本と女性」です。明治20年代以降、新聞各紙で新設された家庭欄の編集担当として女性が採用されるケースも多くなっていました。記事を読んだとき女性記者が増えつつあることを「珍現象」として男性記者が捉えていた、当時の時代の空気がひしひしと伝わってきます。しかし時代が進むごとに日本は女性にとってだいぶ働きやすい社会になっているように感じました。新聞やテレビ、通信社は、報道を通じて差別や人権侵害に関する問題を見せて、社会制度そのものの改善を働きかける役割を担ってきました。一方で、社会のさまざまな分野で多様性が重視されるようになるなか、メディアの中の多様性は進んでいないのではないかという指摘もあります。SDGsの機運が高まり、Z世代を中心とした若い世代が多様性教育を受けるなかで、世代間で意識の差が生まれていることも否めません。そんな今だからこそ「多様性」をキーワードに、「メディアが変えてきたもの」と「メディアを変えてきたもの」を時代の変化とともに振り返ろうというのが、今回の企画展なのではないでしょうか。今回この展示を通して学べることが沢山ありました。今後も理解を深められるように頑張りたいと思います。

◆企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を訪れ、多様性を取り巻く累積した課題もまた時間を重ね多様になったと感じた。何十年も前から、メディアがジェンダー平等や子ども、障害、病気といった問題を取り上げてきたことを展示内容から知ることが出来た。その内容をテーマ・時代ごとに読んでいくと、現在取りざたされている課題というものが昔から続く、連続性のある非常に根深い問題なのだと実感することが出来た。特に印象的だったのは子どもに関する問題である。40年以上前のことだが、ベビーホテル問題はメディアが取り上げたことで、世間が大きな関心を向けるようになり、影響を受けた多くの女性記者がこの問題を取材したという。その後、沢山の人が声を上げて、体制の見直しがされた。現在でもベビーホテルを名乗らないとはいえ、認可外保育所でのベビーホテルのような悲惨な実態は無くならないが、大衆の意識をメディアが変えたことがこの一件から分かる。このように、メディアが最も大きく変えたものは、大衆の意識だと思う。新聞やテレビからインターネットへと時代の変遷に合わせて媒体こそ変われど、日々、メディアを通して多様性について考える機会が与えられることで、各人が問題に向き合うようになり、我々の意識の中にも多様性が進んでいるのではないか。メディアを変えたのも我々かもしれない。メディアが社会問題を報じ続けることで、私たちの中にダイバーシティを推進していくべきだという意識が芽生え、その高まりがメディアが取り上げる内容をより深いものへと推し進めているのかも知れない。メディアの影響力は大きい。インターネットの普及が進んだことで尚更強い影響力を持つようになった。しかし情報の送信側も受信側も相互にその情報がダイバーシティに迎合しているかチェックする必要のある現代の暮らしはなかなかに窮屈である。この企画展を通じ、多様性に向き合ったことで、本来の意味での多様性が進んでほしいという思いが強くなった。

新聞マニアが集う場所
ニュースパーク(新聞博物館)はいろいろな人の記事が載っています。過去に合った記事も載っていておじさんやおばさんや子供幅広い年代で楽しめる場所である。実際に取材に行ったときまず大きな階段や展示物がある。古い新聞記事や道具などはガラスのショーケースに保管されておりガラスに触れなければ近くで見ることも可能だ。写真も撮ることができるだろう。主に二階のフロアは大量の新聞記事が展示されている。古い記事や新しそうな記事までしっかり掲載されてある。なかには壁に直接貼ってある記事もあって「多様性」と「ケア」はジャーナリズムのキーワードといった記事や、多様な「物語」発信を、少数者・弱者の問題への理解と共感を生み出す、といった様々な多用などに触れている記事青億ある場所だ。3階のフロアには展示物が多くあって2階とは違う楽しみのある場所となっている。主に三階には、昔の記事を作る機械やさまざまな大きな機械などが置いてあって興味深く観察できる。実際に関内の街を一望できるような模型物もあって小さい子供でも楽しめるようになっている。自転車みたいなやつに乗って映像とともに街自体をはしることもかのうである。そういった部分で2階は高齢者や新聞マニアが楽しめるような場所になっていて、3階では小さい子供たちが楽しめるフロアになっているのだ。実際に私が取材に行ったときは団体客として小学生たちがきていた。もちろん小学生たちは三階のフロアではしゃいでいた。なので私の意見からいうと、中学生~大学生には向いている場所ではないと思った。

◆関内にあるニュースパーク(日本新聞博物館)で開催されている企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」では主に5つに分けて展示がされていた。どれも自分の考え方が合っているのかと考えさせられる内容であった。その中でも私が1番関心を持った展示「第2章 近代日本と格差、人権」を紹介する。ここでは明治時代から昭和戦前期の日本社会で民族、障碍、病気を理由にした差別、労働、教育の状況を新聞がどのように伝えていたのかについて展示されていた。特に印象的だったのはハンセン病についての新聞記事だった。私は別の授業でハンセン病が取り上げられるまで名前すら聞いたことがなかった。この展示では当時の新聞が残されていたがハンセン病を患うと家族と共に生活することが出来なくなり隔離施設に送られた後は2度と元の生活には戻れない。私はたかが病気で人権侵害されるようなことなのかと疑問を感じていた。だが2020年に大流行した新型コロナウイルス感染症でも同じように差別が行われていた。また集団感染してしまった団体に対してインターネットという不確かな情報元を頼りに昔のハンセン病のように近所で噂されるのとは比較できない程の誹謗中傷が繰り返されていた。いつまでたっても人はこんなにも他人を下げる生き物なのかと悲しくなった。ここではハンセン病について取り上げたが他にも水俣病、民族ではアイヌ民族など今ではあまり取り上げられる機会の少ない差別や人権の状態などを知ることが出来た。また差別だけではなく誰もが使いやすく工夫してある物の展示もあった。例えば視覚障碍者向けの点字新聞や聴覚障碍者向けの手話CGだ。災害が起こった時などは私たちでさえ不安なのだから障碍を持っている方々はより一層不安だろう。そんなときに頼れるものがあるだけで安心感が違う。
私はこの企画展に行くことはあまり乗り気ではなかった。しかし実際に行ってみると考え方が変わった。私たちの目の前で行われている差別や人権侵害は時代とともに対象を変えながら昔から続いていると知ることが出来た。メディアは時代に合わせた方法あるいは新聞という形が変わらないものでその実態を伝え続けているのである。

◆ 私がニュースパーク(日本新聞博物館)の企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を取材して感じたこと・考えたことはいくつかあります。
まず訪れて驚きました。その理由としては、新聞博物館というだけはありたくさんの展示物がありました。私はニュースパーク(日本新聞博物館)のように都会の真ん中にある博物館に訪れたことがなかったので、ビルなどでやっているテーマ展のようなものであると思っていました。しかし、いい意味で期待を裏切られました。そこには新聞の歴史が詰まっていました。昔使用されていた印刷機や輪転機それにまつわる歴史の解説がたくさん展示されていました。私は特に展示部分で印象に残ったことは新聞を作るにあたっての忘れてはならないことの言葉です。具体的には「自由と責任」「正確と公正」「独立と寛容」「人権の尊重」「品格と節度」というものです。これらの言葉の意味は直接自分の目で見てもらいたいです。なぜこの言葉が印象に残ったというと、私たちが何気なく毎日読んでいる新聞は制作者たちのこのような新聞を製造する姿勢によって最新の情報を届けてもらっていると感じたからです。
また、歴史を視覚だけでなく他の感覚を使用してみることもできます。情報タイムトンネルというものがあり人類の情報化の歴史を、映像と音で体感していただける部分があります。現代に近づくにつれて、情報の量が爆発的に増えており、私たちが大量の情報のなかで暮らしていることがよく分かります。そして、体を使って歴史や仕事を体験することのできるブースもありました。そこでは、朝早くから働いている新聞配達員の仕事を催した新聞配達タイムレースやハンドルを時間内どれくらいのスピードで回すことでどれくらい印刷できるのかという体験ができます。ここで私は新聞やメディアの歴史を視覚・聴覚・触覚全部で感じることができました。

◆あなたは同性婚という言葉を聞いてすぐに受け入れることができるだろうか。
昔は、男女で結婚することが当たり前となっていたが、LGBTQが取り上げられ、今では同性婚の存在を受け入れるべき時代になってきている。しかし、昔からの考えでなかなか同性婚が受け入れられない人も存在している。それがよく示されているのが、「法に定められている」という現状である。ニュースパークでの企画展に訪れた際、「同性婚」というテーマが目に留まった。私は「同性婚」について否定的な認識をもっていないため、受け入れられていない人も多いのだと驚いた。その記事には同性婚が認められないということは「不合理的な差別」だと大きく取り上げられており、「同性愛者と異性愛者では性的思考が異なるだけであり同性婚だけが結婚した利益を受け入れられないのは差別である。当事者は“特別”な権利ではなく、異性愛者と“平等”に選択できる権利を求めているだけだ。」と主張し、憲法が保障する婚姻の自由に反するとして、同性カップル3組が国に損害賠償を求め訴訟を起こした。その結果、2021年3月17日札幌地裁が違憲とされた。
しかし、大阪地裁判決では、“賠償請求棄却”の結果となった。札幌地裁とは異なる判決となり、大阪地裁は、「不平等な状態は解消されつつあり、保護の在り方は議論上の途上にある」という決断に。同性カップルを対象とした法的承認制度を創設することは可能だと主張。大阪地裁では男女が子供を産み育てる関係を保護するという合意的な目的で24条は作成されたため、反対に同性婚を憲法に加えることが違憲とされるであろうと書かれていた。
異性愛者にとっては、何事もない話だが、同性愛者にとっては、好きなものを好きと言えず、周りの目を気にしてしまうのは、その人にとって心身的負担にならないのだろうか。その後民法改正案を野党3党は衆院に提案したが審議せずに廃案になったそう。なぜそこまで前向きに検討していただけないのか。確かに婚姻制度とは異なるが同性カップルを婚姻に相当する関係と認める「パートナーシップ制度」は存在する。しかし、異性婚と違い相続や配偶者控除などの法的権利は認められない。そのため、同性婚訴訟の原告らは「安定した家族生活には不十分」と語った。
同性婚が認められないことにより、同性を好きになる性的思考ゆえに差別を受け、将来の不安から自死を選ぶ人もいるということから早急な対応が必要になるだろう。

メディアの歴史
私は先日横浜市の関内駅近くにある、ニュースパーク(日本新聞博物館)の企画展「多様性、メディアが変えたものメディアを変えたもの」に訪れました。ニュースパーク(日本新聞博物館)では昔の巨大な印刷機械が入口にあり出迎えてくれます。中に入ると現在行われている企画展の「多様性、メディアが変えたものメディアを変えたもの」の展示がった。展示には、メディアの歴史から主に女性の社会のかかわり方についての変化についての記事が多かったです。年功序列や男女差別はどうなのか、これを行っていることで社会の前進は遅れているのはないかという記事が一番印象に残りました。また、情報タイムトンネルというものがあり、中に入ると初期の新聞は粘土板を使っていたり伝書バトの模型があったり、マリノニ型輪転機という日本の新聞社に初めて導入された輪転機は1890年(明治23年)に毎日新聞社が導入したこのフランスマリノニ型輪転機の展示がありました。それまでの印刷機が4ページの新聞を1時間に1500部しか印刷できなかったのに対し、4ページの新聞を1時間に最高24,00部印刷できるようになった画期的な機会が展示されていました。他にも東日本大震災の時の取材班の本音が書かれていたものが展示されていて、やはり「なんでこんなにも危ない状況なのに自分たちがわざわざ東京から出て取材を行いに行かなければならなかったのか」という普段絶対に聞くことが出来ないような本音が記載された新聞もありました。他にも、昔の街並みの風景の映像が流れてくるモニターの前に設置されている自転車をこぐことで、昔の町で新聞配達をしているような気分が味わえる体験施設や、自分で新聞を添削したりハンコを押せたりする体験ができる場所がありました。このようにニュースパーク(日本新聞博物館)では貴重な展示だけではなく体験施設もあり楽しめるので是非一度足を運ぶことをお勧めします。

『多様性、メディアが変えたもの メディアを変えたもの』取材してみて。
1、多様性と価値観「これから我々が目指す者とは。」
多様性という言葉を私がまず考えてみて、グループの中に、特徴を持つ人や特性を持つ人が居ることと認識している。
企画展の内容として、
1,女性の地位上昇。
2、病気(ハンセン病)や水俣病の差別や歴史。
3、メディアは多様性について
4、ゲストの多様性の記事
・女性の地位上昇について
・新聞記事や書類の多くを見て、昔から、少しずつ女性が地位向上や選挙権獲得のために活動していることを理解した。このエリアでは地位格差を防ぐためには、少しずつでも声を上げていた。
・病気を持つ人達の新聞や写真は物を拝見した。
彼らを差別していた人の多くがその病気のことを何も知らず。
彼らに壁を作り。関わらないことをしていたが、近年は病気や差別の歴史を知り、差別について謝罪や清算活動が行われていた。
・メディアの多様性
近年はメディアの多くがいろいろな価値観を取り扱う中で。
現在もネットに蔓延る差別や問題についての記事を多く展示されていた。
交通事故の被害者や障がい者殺人事件やコロナ差別など多岐に渡った記事だった。
最近の記事から20年前の記事も共通して、問題を理解していて広めようとしていた。
・多様性の記事と企画展を取材してみて。
記事の半分が多様という言葉を扱い本文を形成していた。
多様とはどういうことなのか。
私は価値観を知ってもらうことが重要だと考えた。
企画展の新聞記事全部が誰かの意見で書かれたものである。
それぞれの事柄に自由に関心を持ち記事として、取材をしていた。
記事にすることで、価値観として人に共有している。
それらを我々は見て。そのことについて考え。価値観の一つにすることで
社会の一員になれると考えた。
最後に、意見コーナーに立ち寄った。
私自身も目を通す中で、「意見を尊重」「個性を生かす」「認める」という言葉が多く記入されていた。
この文章を考える上で、意見を守ることを来場者は、大切にしていると考察した。
昔の人やいろいろな立場の人の意見見て、混ぜることで、自分の価値観を考えるきっかけになる。
良い場所であった。

◆私は先日、日本新聞博物館で開かれている「多様性 メディ アが変えたもの メディアを変えたもの」を見てきた。そこで は多様性やメディアについての記事が何個もあった。展示構成 としては第1~5章まである。メディアとは私たちの生活に深 く関係していて、昔の様子もメディアを通して知る機会が多く ある。最初のころは新聞だけだったが、今ではテレビやインタ ーネット、広告、海外メディアなど様々な媒体が活用されてい る。そのメディアが多様性をどのように取り上げてきたのか私 たちは知ることができる。 今の時代では「男女平等」という言葉が当たり前になってき ている。しかし昔はそうではなかった。1981年、男女雇用機 会均等法の先取りとして笹尾さんはテレビ局に入社した。その ときは、右を向いても左を向いても男の人だらけであったと語 る。女性記者が今は増えたものいまだにセクハラ、パワハラが 後を絶たない。情報を発信する側の人たちがそんなことをやっ ていて多様性について語る資格があるのかと私は思った。女性 はしたに見られることが男性よりも多くある。それもおかしな 話だと思った。多様性とは人と違う部分を互いに認め合い生活 していくことだと私は思っている。多様性を認める社会にてい くには性別関係なくおかしいことはおかしいと声をあげること だと笹尾さんは言っている。私は多様性を認めることは難しい ことでそれができない人もいると考えている。みんな1人の人 間でみんな自分の考えや意見を持っている。自分と違う意見を 持っている人を簡単に受け入れることができるならこの世界は 多様性の世界になっていて争うこともないはずだ。しかしそれ が無くなっていないのが現状である。今後は今よりもっと男女 平等という考えが広まっていくと思うからみんなが自分と違う 意見を持っている人でも受け入れられる世界になってほしい。

コラム「過去と未来を伝える紙」
今回はマス・コミュニケーションの授業課題として日本新聞博物館に訪れ、『多様性メディアが変えたものメディアを変えたもの』を取材した。1時間ほどの短い滞在ではあったが、目で見た、感じたものは多く展示されていたので、コラムとして紹介していきたいと思う。
まず中に入って感じたことは今日投函された新聞が展示されている事だ。私が感じる普通は、投函されてからだいぶ時間が経った時に初めて展示される、そういう印象が多かったが、新聞を見なくなった今、入口を入り、まず展示されている新聞の日付を見た瞬間、驚いてしまった。今日の日付が書かれている事だ。新聞は1度書かれた文字は修正が難しいので、本当に今日投函されたものであると感じた。今日投函された新聞を展示するということは、過去ではなく、今起きていることも伝える、そういう意味があるのではないかと感じた。
次に新聞の量だ。新聞は明治時代から一般市民に向けて配られている情報紙だが、日本新聞博物館に展示されている新聞は、想像以上の量があった。中には、戦後間もない時期に発刊された新聞があり、「そんな過去まであったのか」と、学校では学べないことまで書かれていることが多くあった。自分の知らなかったことまで教えてくれる新聞はすごいものだと感じた。
最後に、メディアに携わった人だ。新聞は、ただ刷っているだけでなく、情報や話題を書くことで成り立つ紙である。それを書く人は新聞を製造する人ではなく、情報を持ってきてそれをまとめている人が書くのである。そのまとめている人は記者がほとんどだが、中には大学の教授や映画監督が書いていることである。日本には様々な職業があるが、本業が別の仕事でありながら、メディアに発信するために記者として新聞に情報を書いているということに驚いた。私のイメージは、記者が興味を持ったことに実際に取材に行きこういったコラムなどを作り、それを新聞紙に刷っていると思っていた。別の職業でも携わっている人は数多くいるのだと感じた。
このコラムを通して伝えたいことは新聞は過去だけでなく未来も伝えようとしている事だ。取材したことを書くため、過去に起こった出来事だと思うが、それだけでなく、近い未来も伝えているのだと感じた。新聞はどこにでもあるものだと感じるので、次に新聞を見る時は、そういったことを感じながら、読んでみたいと思う。

◆.私は新聞博物館を訪れて感じたことがいくつかある。まず一つ目に、メディアについて改めて感じた。なにを感じたのかというと、ジェンダーについていろいろ感じたものがある。今でも少なくはないが、女性を男性より下に見たり、女性の雇用率が男性より低かったりなどが挙げられるが、私はこれについてかなり疑問を持っていた。そしてこの新聞博物館を訪れて、とある新聞記事を見つけた。その内容は女の人が男のやっている仕事に食い込んできたという記事である。この記事は明治20年代以降の新聞各紙で新設された家庭欄の編集担当に女性が使われるという場合が増えてきたということで、この女性の記者が増えるということは珍現象であると捉えられていた。今でこそじょせいの記者は数多く存在すると思うが、何年も前ではとても珍しいことなんだと実感した。そしてこの記事を見て世の中の女性に対する対応というのは現代でかなり変わったのだと気づいた。そこでは昔からの新聞の記事が多く飾られていたが、そのなかで女性の雇用法によるものが数多く見受けられた。令和では女性がかなり働きやすくなっている世の中になったが、その働きやすくなった理由というのが男女雇用機会均等法である。そこではどのようにして男女雇用機会均等法を施行することができたのか、施工されるまでに何があったのかが書き綴られていた。これらの記事を見て女性がなぜ地位が低かったのかを改めて考えた。そして私が考えたのは、寿退社などが関係してくると考えている。女性というのは子供を出産して育てるという慣習が根付いていたため、仕事をしていても結局は仕事を辞めてしまうため最初から働くことをせず、家事などを集中的におこなうべきという考え方があったように感じる。私はこれが女性を下に見ているのではなく、同じ高さの目線で言っていたように聞こえるが当時からしたら女性を下に見ているように見えていたのだと感じた。メディアによって世の中は変えていくことができるので、変化を恐れず生活していきたいと感じた。

◆ニュースパークの企画展では、メディアが行ってきた、ダイバーシティを可視化することによって、メディアの歴史、ジェンダー、人権、差別、障害等の社会問題解決に繋がる企画展となっていた。
なぜなら、メディアの中に多様な視点がなぜ必要なのか事例を用いて、細かく説明されていたからだ。
例えば、1つの事例として、ベビーホテル長男窒息死事故が挙げられる。当時のベビーホテルは扱いが雑で児童の事故が絶えなかった。児童福祉法でベビーホテルの扱いを変えることができたが、人々の意識を変えることができず、この事故は8割5分の過失として、預けた親が悪いとされたのだ。
以上のことから、メディアの中に多様な視点があれば、責任の所在が親でないことが理解することができ、メディアが民衆に訴えれば、人々の意識を変えることも可能ではないだろうか。このように、メディアの中に多様な視点が必要であることがわかる。
 こうして、時代が変わり、多様な視点から、誰も抵抗できない差別などをメディアが明らかにすることができるようになった。
 例えば、医学部不正入試問題だ。女性の受験者を不正に不合格にしたこの事件は読売新聞の1本の記事が明らかにしたものである。さらに、産経新聞はフェムケアプロジェクト広告を掲載。無料冊子メトロポリターノが取り組むフェムケアプロジェクト発の新聞広告を発行した。これは、折り線にそって新聞紙面を折ると2人が相互に歩み寄り会話が生まれる仕掛けになっている。生理の話題や女性の健康課題に限らずお互いのことを思い合える社会を願って制作されたものだ。
 このように、抵抗できない差別を明らかにしたりすることや、差別を生みださない正しい情報を読者に与えることによって、理解者を増やすなど、新聞社によって取り組み方が違うが、メディアは民衆に不当な差別や正しい情報を世に明らかにすることで、差別に対して、抵抗することができるのである。
 以上のように、ニュースパークの企画展では、メディアが行ってきた、ダイバーシティを可視化することによって、メディアの歴史、ジェンダー、人権、差別、障害等の社会問題解決に繋がる企画展となっていたのである。

◆ニュースパークに行こうと思ったのですが、毎日部活がありいけませんでした。毎週月曜日がオフで行こうと考えましたが、放送ライブラリーが定休日で行くことができませんでした。その為、放送ライブラリーに行った時の感想を少し書かせていただきたいと思います。
放送ライブラリーに行くことになったとき、まずこのような建物があることに驚きました。昔のテレビ番組やcm、ラジオ番組などは普段なら触れることはできないものです。今では当たり前のテレビなども昔はなかったものでラジオの時代もありました。その昔はどのようにして情報を入手していたのか。時代の流れとともに、多くのことを学べる放送ライブラリーは貴重な財産だと感じました。無料で行けるものなので、もっと多くの人に足を運んで頂きたいと思いました。

◆ 近頃この世の中では、多様性という言葉をよく耳にしますが、ニュースパークの企画展を通して多様性に対する関心がさらに深まったように感じます。
 今の時代ではもう、多様性という言葉が当たり前に存在し、それを認めるべきというような風潮が流れていますが、明治から昭和戦前期までの間は差別世言うのが当たり前でした。女性は家庭にいるのが当たり前であり、男性が社会に出て働くのが当然の時代がありました。明治時代の日本女性は法的無能力者として位置づけられていたこともありました。当たり前というものは、自分が育ってきた環境の中の一部であるためその時代の頃は大きく動こうとする人はいなかったかもしれません。しかし、多様性という言葉が出てきて、互いやその中での違いを認め合うべきであるという考えがうまれ,、私は昔に比べで生きやすい社会になったのではないかと考えています。昔は女性、男性と区別されて見られていた人間という存在が、一人ひとり個人として見られる時代に変わっていったのではないかと感じます。一方、多様性という言葉が浸透していることから、女性らしさ、男性らしさという言葉を使ったり、それを求めただけで偏見ともいわれる時代であるため、社会の中においては生きにくいと感じてしまう人もいるかもしれません。ですがそういった問題がありつつもやはり、自分はこの世にたった一人であり、その自分を何かのとらわれずに前面に出していくことの出来るこの世界は、とても素晴らしいものに変わったのではないかと感じています。
 多様性という言葉は、何十年、何百年もの様々な歴史を通して生まれた言葉であり、生まれたことの素晴らしさのようなものを感じました。そしてこの言葉が生まれたことで、世界が少し鮮やかになったのではないかと感じます。

◆ニュースパークの企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を取材してきて見えたものは、時代は確実に変わっていると言うことです。メディアが変えた社会や、メディアそのものを変えたものがたくさん展示してありました。
男女が不平等であることが当たり前だった時代から、男女平等が謳われる時代へ変化したり、それまで色眼鏡で見られていたLGBTの方々を受け入れる姿勢から、それが当たり前であると言う時代へ変化したり、日本に住む人たちが生きやすく、世界でも通用するような社会にどんどん変化していることが読み取れました。
女性が活躍するなんてありえなかった時代から、女性が活躍すると尊敬の目で見られる時代へ、女性が活躍することは当たり前の時代へ、少しずつ、確実に多様性に近づいています。
同性が恋愛対象であったり、自分の性別は生まれた性別と違ったり、他の人との違いを公表すること、それを隠し通すこと、それによる問題など、私の想像が及ばないような範囲のこともさまざまな新聞や参考文献から知ることができました。
現在さまざまな分野で、ジェンダー、マイノリティーなどの「多様性(ダイバーシティー)」を推進しようとする取り組みが進んでおり、メディアは社会の中の差別などを問題提起し、その撤廃を報道や事業活動を通じて訴えてきました。その一方で、メディアの中の多様性は、なかなか進んでいないと内外から指摘されています。それでも、女性記者(社員)の増加や若い世代の意識の変化などによって、新しい視点での活動は増えています。「多様性」をキーワードに、「メディアが変えてきたもの」と「メディアを変えてきたもの」を時代の変化とともに振り返りながら、未来の議論につなげていく、そのような想いが詰まった展示でした。
いまを生きる私たちには、多様性の社会は当たり前のような気がしてしまいますが、過去に努力した女性や社会的弱者とされた方々の存在によって、こうして生活できているのだと言うことを忘れてはいけないと思いました。

◆私はニュースパークへ行き「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を閲覧しました。そこでは明治から遡り、現在までの日本のメディアが行ってきたことやメディアの報道の変化について綴られていました。全体的にメディアと多様性をかけ合わせたテーマとして展示されており、その中でも私の目に留まった資料が1985年の男女雇用機会均等法成立後にメディアがどう多様性を受け入れ、どう歩みを進めてきたかにフューチャーした展示です。そこでは女性記者の活躍などが綴られていました。実際に女性記者のインタビューも取り入れ展示されており、1985年の男女雇用機会均等法成立前までは、記者という仕事は仕事内容などが過酷な事から男性が占めていました。先程述べた女性記者のインタビューでは「女性=家庭における役割を果たすのが仕事」と1985年までは思われてきました。と書かれており、ですがその考え方が男女雇用機会均等法の成立によりそれまでメディア=男性だった概念が少しずつ変化していき、女性を採用しようとする動きが日本テレビを筆頭に始まりました。確かに記者という仕事は過酷ですが男性ばかりだと報道に偏りが生まれると私は思いますし、女性だからこその目線で記事を書けることも多々あると思います。今現在のメディアクルーはまだ男性の方が多いですが近年ではカメラを持った女性記者をよくテレビで見るようになりましたし、ひと昔前まではメディアの仕事=男性という先入観があったという事が分からないほど女性が活躍しています。日々男女の格差などを報道するメディアだからこそ、先駆けて男女の壁を無くし男女が平等に活躍する場でメディアはあってほしいなと感じました。男女の雇用を均等するという多様性をメディアが報道し、世間を変えメディア内の考え方も変えたのが男女雇用機会均等法だと感じました。以上がニュースパークを訪問し私が感じた事です。

◆メディアの進化は、私たちの生活や社会に大きな変革をもたらしてきました。新聞・放送・通信社は社会の差別問題を問題提起し、その撤廃を報道や事業活動を通じて訴えてきました。こうした取り組みにより、社会における多様性(ダイバーシティ)への理解が広がり、制度整備にもつながっています。
しかし、メディアの中の多様性はまだ十分に進展しているとは言い難いと指摘されています。メディア自体が多様性を取り入れることで、より包括的な視点で社会を伝え、読み手の多様なニーズに応えることができるでしょう。
メディアが変えてきたものとして、女性記者の増加や若い世代の意識の変化による新しい視点の活動が挙げられます。また、社会的な問題に対してメディアが発信する情報は、人々の意識を変える力を持っています。これらの変化を通じて、社会はより包括的で公正な場所へと進化してきました。
一方で、メディアを変えたものとして、SNSやインターネットの普及が挙げられます。これらのメディアの登場により、情報の発信・受信が個人の手によって可能となり、メディアの中心が一極集中から多様な発信者へと変わってきました。これにより、個人の声がより大きな影響力を持つ時代になりました。
さらに、多様性をテーマにした展示やイベントが増えていることも重要です。これらの活動は、多様性に対する理解を深め、社会の多様性を尊重する意識を高める助けとなっています。
今後もメディアは進化し続けるでしょう。私たちが求めるのは、より多様な視点で情報を伝えること、また読み手の多様なニーズに応えることです。それによって、より包括的で公正な社会を築くための大切なステップとなることでしょう。

以上。

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