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'思春期'という言葉でくくるにはもったいない!太宰治『女生徒』感想

私の大好きな作品・太宰治『女生徒』の感想です。まだ読んだことのない方は、これをきっかけに興味を持っていただけたら幸いです。


どのような作品?どのように読む?

作者は昭和の代表的作家・太宰治。『女生徒』は、彼のファンの女性の日記をもとにして書かれた、とある女生徒(14歳ほど)の一日を描いた小説です。
注目すべきなのは、全体としてのストーリーというよりも、細やかな一瞬一瞬の心理描写です。
まずは、あまり難しく考えずに「わかる〜!」「14歳ってこんな感じだったな〜」という感じで読み進めるのがオススメです。

作品全体としての魅力

細やかな心情描写

私がこの作品を一言で表すとすると、砂時計です。
いろいろなものを見聞きすることで生じ、ころころと変化する女生徒の一瞬一瞬の感情や考えが、端折ることなく、どわーと書かれています。

とにかくころころと感情が変わります。
例えば、愛する母を大切にしようと決心したかと思えば、客に対する母の態度を見て「ただの弱い女だ」「卑屈」と心のなかで言うというなかなかの変わりようです。
また、朝は可哀想な犬・カアに対してさらに意地悪をして「早く死ねばいい」とまで思い、そんな自分に嫌気が差していましたが、夜には「あすは、かあいがってあげます」と変化しています。この変化がとても面白いです。

少女の細かな、けれど彼女にとっては大きな、砂粒のような感情や思考のひとつひとつがぎゅっと詰め込まれ、さらさらと流れるように書き連ねられている、そんな作品です。
作中にもそのような描写があります。

結局は、私ひまなもんだから、生活の苦労がないもんだから、毎日、幾百、幾千の見たり聞いたりの感受性の処理が出来なくなって、ポカンとしているうちに、そいつらが、お化けみたいな顔になってポカポカ浮いて来るのではないのかしら。

太宰治『女生徒』角川文庫

大人は少年少女の心の移り変わりを「思春期」「そういうお年頃」という言葉でくくって終わらせてしまいがちですが、この作品はそんなことはせず、丁寧にひとつずつ拾い上げています。きっと、誰しも自分や周りのことについていろいろと考え、感じたことがあるからこそ、『女生徒』は多くの人を今なお惹きつけているのでしょう。

共感したところ

1.世間体に対する疑念

「本当の意味の」とか、「本来の」とかいう形容詞がたくさんあるけれど、「本当の」愛、「本当の」自覚、とは、どんなものか、はっきり手にとるようには書かれていない。

これは、上品ぶっていたり個性のない確実なことを述べていたりする雑誌の文章を読んで、女生徒が感じたことです。大人になるにつれ、自分の個性や言いたい本音を押し殺して生活しなければならない。たとえ真の「本当」を追求する人がいたとしても、世間の掟とずれていれば、軽蔑される。口先だけの「本当」を口論しているうちに、何が「本当」なのかわからなくなる。これは、現代の社会においてもあてはまることがあると思います。
子供と大人の境目にいる主人公は、田舎の帰り道で、淋しくなり、「あなたは、だんだん俗っぽっくなるのね」と誰かに言われたことを思い出し、「私は、たしかに、いけなくなった。くだらなくなった。いけない、いけない。弱い、弱い。」と揺れ動きます。
作品全体を通して、大人と子供、俗と潔癖、見かけ(世間体)と本質、大きいものと小さきものという対比がなされ、その間で揺れ動く女生徒の心境が描かれています。

2.大人の「女」への嫌悪感

肉体が、自分の気持と関係なく、ひとりでに成長して行くのが、たまらなく、困惑する。

ああ、汚い、汚い。女は、いやだ。自分が女だけに、女の中にある不潔さが、よくわかって、歯ぎしりするほど、厭だ。(中略)いっそこのまま、少女のままで死にたくなる。

女。厚化粧、おしゃべり、卑しさ、太った肉体、女のにおい、甲高い声…汚い。まだなりたくない。そういった少女の悲しい叫びが随所に見られます。
私も、14歳のころは、汚い大人になりたくない、出家したいとまで考えていたので、すごく共感しました。(笑)

印象的なフレーズ

美しさに内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。

私自身、美術部だったので「美術とは、芸術とはなにか」ということを考える機会がかなりあったのですが、これには少しばかり納得しました。
自分の思想にこだわってそれを表現する現代アートのようなものは、芸術であって、必ずしも美術ではない。それよりも、なにも考えず出てきた言葉をそのまま書き連ねるとか、無私に、ただ模様やパターンに集中して紡がれるものは純粋で、美しい。そこに意味などないのかもしれません。
それにしても、真の「本当」を追求した先にあるものが無意味だなんて、滑稽というか、皮肉というか、悲しいものですね。

明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。

夢のような幸福はきっと存在しない、来ないとわかっていながらも願ってやまないのが人間なのだと思います。

おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。

これが物語の締めくくりです。今まで愛がどうだ、女がどうだと様々なことを思案していましたが、すべていち少女の内側に秘められた、現れては消える砂粒に過ぎなかったのです。この締めくくりが『女生徒』のはかなさを演出していると感じました。

『女生徒』の楽しみ方

「乙女の本棚」シリーズという、文豪の名作を美しいイラストとともに絵本のように楽しめるシリーズがあるのですが、これが素晴らしかったです。
今井キラ先生の、淡い色味とレトロなロリータ調の作風が『女生徒』にマッチしていて、はかない少女感満載です。

また、ピアノを聴きながら小説を読むのもおすすめです。

型にとらわれない、ふわふわとしたはかなさがあるこの曲ととてもあっていると思いました。

人によっては、思春期の痛々しさが身にしみるようで読めないということもあるかもしれませんが、私は、大好きです。青春な子供、青春の心をひそかに持ち続ける大人のための文学です。


以上、『女生徒』の読書感想文でした。

※引用部分はすべて太宰治「女生徒」角川文庫、2023です。

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