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#177 最適解・納得解を求めて学び続ける


仕事に集中するために、しばらくnoteを放置しようと決意したのに3日坊主で終わり、また書き始めた。

今年度から担当する新科目の講義をどうするか、かなり悩んだけど、自分の根っこにある信念を変えるわけではない。

何とか目処が立ち気が楽になった。

自分のご機嫌の取り方さえ心得ていれば、わりと短期間でトンネルから抜け出せるものだ。

学内をスキップしながら駆け回りたかったのを我慢した。

とは言え、自分のものの見方や考え方が正しいかどうか気になる。
常にチェックは必要だと思う出来事があった。

「ものづくり」している人々を蔑んだ物言いをした県知事が世間の注目を浴び批判の的となったのを見て、改めて言い方には気を付けなければならないと自戒した。

教職をめざす学生たちのガイダンスで「教育は “ ひとづくり ” 」と言ってみたものの、もっとしっくりくる言い方はないだろうかと思った。

聞きようによっては不遜な言い方かもしれない。

「してやっている」
「教えてやっている」
「指導してやっている」
と、ハッキリ言う教師もいるほどだ。

「国家百年の大計、思い描く未来をつくるために教育が果たす役割とは?」
「教師として、人としてどうあるべきか?」

「そんな問いを立て、君と私で共に学んでいこう」と学生たちに話しかけた。

この春から、30人の教え子たちが教職の第一歩を踏み出した。

彼らは、4月1日付けで中学校、高校、特別支援学校に着任し、緊張の毎日を過ごしているのだろう。

来週あたりには入学式で新入生を迎え、始業式で在校生と対面する。
北海道の桜が満開になるのはゴールデンウィーク頃かな。

まだ寒い日が続くけど、背筋をぴんと伸ばして胸を張り、前を向いて教職の道を歩んでほしいと願うばかりだ。

私は変わらず後継者の育成に励む。

そのためには自分自身、「教える」よりも「学ぶ」という姿勢が必要なのだと改めて思った。

子どもたちは大人から「学び方を学ぶ

大人は「学び方を教える

究極は子どもたちが自立的・自律的に学ぶ姿勢を獲得することだ。

学び方は個別最適の時代に入った。

答えはひとつじゃない。

教師自身が身に付けた方法が絶対解とは限らない。

学びの主体である子どもたちが、それぞれに見合った納得解を見つけ出すために、教師はどんな働きかけをすればよいのだろう。
ひいては、大人はどう振る舞うべきなのか。

今後も変化は続く。
ならば、なおもっと探究し続けなければならない。

教育実習を控えている4年生100名にそんな話をした。