#153 読書日記27 知のイノベーション
『経済発展の理論』J・A・シュンペーター
八木紀一郎・荒木詳二 (翻訳)
いろんな分野の人の話を聞いたり読書して、新しい知識が頭の中にどんどん入ってくると、ある時、自分の中にある知識と合体して横につながったり重層化していく感覚に至ることがある。
「ああ、そういうことなんだ!!」と思う瞬間だ。
経済学部の教授から借りた本を読んでみた。
大学で社会科学系を専攻すれば少しは学ぶであろうシュンペータ-(1885~1950年)。
日本人に理解できる適切な翻訳本がなかったと言われながらもロングセラーになっている。
経済の研究者ではない私は、古典を読むより最新理論を学ぶべきだろうと考えていたが、原点に遡って根本理念や原理を知ることが必要だと感じた。
いくつかの本を読んでいるうちに、シュンペーターの理論にも当たっておくべきだと思った次第。
「経済も企業も創造的破壊を起こし続けなければ、生き残ることができない」とし、イノベーションの重要性が説かれている。
学外活動として所属しているNPO法人の活動が停滞期を迎えた。
アメリカのStartup Genome(スタートアップゲノム)という研究機関が、成功するスタートアップと、失敗するスタートアップについて統計を取り、分析・研究している。
スタートアップした個人や組織の10%が成功して90%が失敗しているという。
最近は、企業や自治体、投資家が起業を支援する例が増えている。
小中学生や高校生、大学生がクラウドファンディングで活動資金を募って組織を運営し、利益を生み出す活動事例が増え、起業家育成教育が活発化している。
イノベーションは既成概念の破壊と新価値の創出であるとつくづく思うのだが、言うは易し、行うは・・・・・・
読後、改めて思った。
自分の知が不足しているがゆえの「思考の偏り」を感じる。
何かで埋め合わせなければならない。
読書もそのひとつだ。
科学的に解明できないことはあきらめて放置するというのではなく、今はあらゆる物事を科学的に捉え考え検証するということが必要な時代だ。
科学ではどんな問いも許される。
問うことが、科学を進化させ磨き上げてきたと言ってよいだろう。
シュンペーターは、イノベーションのことを「新結合」と呼んだ。
きっと、知の結合もまたイノベーションなのだろう。
単体では何てことのない知識でも、それをいくつも組み合わせていくと新しいものが生まれる。
既知+既知によって未知であったことが総合知となって新たな価値を生み出していく。
教師になって以来、いつも反省していることがある。
つまらない授業をやれば生徒はついてこない。
いい授業をやったつもりでもそれは自己満足に過ぎない。
教師の力量は知識量だけでは測れない。
人としてどんな振る舞いをしているか、生徒は教師をよく観察している。
だから、人としての「あり方」「生き方」を探究しなければならない。
学べば学ぶほど知らない世界が見えてくる。
学部・学科の枠組みを超えて、各分野のプロフェッショナルと話していると勉強になる。
そう、これがまさに知のイノベーションなのだろう。
視野を広げることによって世界が広くなった感覚になるが、何か深い沼にハマっていくような感覚でもある。
「横のつながり(横の知)」とは、例えば経済学専攻でも法学学専攻の領域の知を駆使して考えなければならないことはいくらでもある。
探究すればするほど自分の無知を実感する。
マーケティングやマネジメントだろうが、教育原理や教育心理だろうが、一分野で完結できるものはない。
データサイエンスの時代、数学も必要だ。
多方面に広がっていく知は、宇宙の膨張に似ている。
果てしなく膨張を続ける知は偉大である。
私の脳は縮小しているかもしれない・・・・
「なおもっと学べ!」と自らに鞭を打つこともある。
「ゴールはあそこかな?近いぞ!」と見当をつけてみても、それは砂漠の蜃気楼のように追いかけても追いかけても遠ざかっていく。
それでも、地道に続けていれば自分なりのものの見方や考え方の筋道が見えてくると信じている。
道筋が見える前に「飽きる」「諦める」を繰り返してきたことが何度あったことか。
私は学生に、あの有名な「あおいくま」を唱えるよう薦めている。
チャレンジする内容やレベルにもよるが、失敗や挫折する者が7~8割程度発生するのは自然界の法則で、2~3割の人が上手くいけば社会は回るという言い方をする人もいる。
最初から「ムリ!」と嘆く学生は必ずいる。
叱咤激励するのも教師の役割。
発想の転換で心持ちを変えることが大切だとは思うが、学生には行動を起こし汗を流すなかで感じてもらおうと考えている。
創造のための破壊、新結合、
なおもっと知のイノベーションを探究したい。