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#178 ゼロからイチへ、無から有へ

コンピュータの世界はきわめてシンプルだ。

電気信号が流れていればイチ
流れていなければゼロ

スイッチのON/OFFだ。

だから10進数より高速で処理できる。

私たち人間が10本指を使って「ひー、ふー、みー、よー・・・・」と数えている間に、コンピュータは2本指を使って電気信号の速度で「イチ、イチ、ゼロ、イチ‥‥」と数えている。

IT系の資格試験では、「10進数⇔2進数」の変換や加減計算する出題もあるが(他にも8進数、16進数もある)、別にそんなものは解けなくても情報処理はできるのだけど、一応、授業でも扱っている。

データサイエンスの授業で最初にそんな話をしようと考えているうちに雑念が生じてしまった。

人の思考をコンピュータの処理になぞらえて、「ゼロイチ思考」になるのは多様性を否定することになるから、けしからん!と批判する人がいる。

実のところ、「0、1」で割り切って思考している人なんていないだろう。

人間の場合、「良い」「悪い」「好き」「嫌い」といった感情がはたらく。

出発点は二者択一でも、そこには中間の「少し良い」「少し悪い」や「すごく好き」「すごく嫌い」といった選択肢があるから思考や心が揺らぐのである。

白だって、200色あんねんで・・・・

困難な課題の場合だと、微細な選択肢になり揺らぎも大きくなり迷うことになる。

そこで多様な選択肢(多様性)の存在に気付くのである。

東洋には「無が有を生む」という概念がある。

ゼロと無、空と無、無限は、数学的、物理的、宗教的、哲学的な命題だ。

愛や永遠、神秘といったものをちゃんと言葉で説明できるかというと、なかなかできない。

しかし、この世はすべて数で表現できるというのが数学や物理の考え方である。

5000年前にインドで誕生したといわれるゼロは、へんてこな存在だが、ゼロの概念を発明したことによって、地球や天体、宇宙を計測するこができ、天文学的な数を表現することが可能になったのだ。

ゼロは偉大である。

私たちは「ゼロ」や「無」にこだわり、可視化されない現象に対しても意味を求め、言語化するために探究し哲学するのである。