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#125 生徒指導と生徒支援

今学期最後の仕上げとして小論文を課した。

教職課程を専攻する学生たちに、生徒指導や教育心理、カウンセリングマインドの視点を持ってもらおうと考えて授業をおこなってきた。

彼らは、幼・保から始まり小・中・高・大にわたって教育を眺めてきているので彼らなりの教育観やイメージを持っている。
それと併せて社会に流布される学校や教師に対する批判ばかりに目を向けていると、どうしてもステレオタイプの意見になってしまう。

物事には主観と客観があり、それを組み合わせて自分なりの解釈を創造することで自己の価値観が形成される。

大学4年生で体験する教育実習は、学校・教師の舞台裏を垣間見て、感動、憧憬、失望、不安を肌で感じながら新たな教育観を醸成させていくわけである。

そして分岐点に立つ。
「初志貫徹、この世界でがんばる!」
「教師の仕事、無理かも・・・」


小論文は、いくつかのキーワードを提示し、それを用いて論じる方法にした。

【生徒指導の観点の例】
発達支持的生徒指導、課題予防的生徒指導、困難課題対応的生徒指導、発達障がい、いじめ、不登校、インクルーシブ(包摂)、ダイバーシティ(多様性)、合理的な配慮、ソーシャル・スキル・トレーニング、ソーシャル・エモーショナル・ラーニング、常態的・先行的(プロアクティブ)活動、即応的・継続的(リアクティブ)活動、教育相談(カウンセリング)

『生徒指導提要』文部科学省 より一部抜粋

用語の羅列に戸惑う学生もいる。
すべて授業の中で解説したりグループワークしてきたものだ。

授業では網の目のように複雑に張り巡らされた包摂図が示されて
「ワケわかんない!」
と感じた学生もいるだろうと思い、できるだけ単純に示した。

私もわからないことが多い・・・・と言うより、
概念は理解できていても実践では “ しくじり先生 ” になることがある。

人のこころは繊細だ。

教科指導生徒指導との相互作用も忘れてはいけない。

児童生徒の「こころ」と向き合うこと、寄り添うことが大切なのは、学生たちは百も承知。

現在、心理の分野も、精神分析のような一対一の個人療法から多職種連携モデルに移行する例が増えている。

医師や看護師、保健師、公認心理師、認定心理士だけでなく、社会福祉士や精神保健福祉士、教育アドバイザー等、教育に直接的・間接的に関わり得る専門家が、専門性を活かしながらひとつのチームを形成し取り組んでいくというスタイルだ。

あるいは、「子育て支援」などのコミュニティが直接、学校と関わることに期待が寄せられている。

児童生徒の情報について秘匿報・連・相が徹底されれば、教師にはない視点で児童生徒の変化を緻密に多面的に捉えることが可能となり、対応方法の選択肢も広がるはずだ。

伝統的な一対一の個別診療や臨床が不要というわけではない。

こころの謎に迫る研究・臨床、実践は、それはそれで大切にしていかなければならない。

最近、指摘されている問題は、医師や臨床心理等の専門家による個別診療でケアされなければいけない人々が、インターネットを通じて似非えせ科学・にせ科学に振り回されたり、自らの症状や心の闇をWebで開示したり(個人情報の漏洩)、専門家でない一般の人から助言をもらって問題をこじらせている例が増えていることだ。

専門家へつなげるべきかどうかの判断や線引きは難しい。

貧困や虐待、いじめ、ひきこもり、不登校、ヤングケアラーで苦しんでいる子どもと保護者がいる。

発達障がい、精神疾患、LGBT+Q、HSP(高感受性・敏感気質)に心を痛めたり、事故・災害に起因するPTSD(心的外傷:トラウマ)で苦しんでいる子どもと保護者がいる。

私が対応してきたケースで最も難儀したのは、明らかに問題があるのに当事者自身が自己の「困り感」を認識できず、問題の発見が遅れてしまうことだ。

教師の“ 気付き ” のセンサーの精度を上げることも大事だが、子どものこころにアクセスできる人を、一人よりは二人、二人よりは三人・・・・と、いろいろなタイプの人を集めてチームをつくることが望ましい。

今こそ、アウトリーチ(外の手)を。

例えば、知的に問題のない児童生徒に対してだと、言語を通じて理解を促したり、時には情に訴えながら信頼を獲得し改善の方向へ向かわせることができる。

精神的に幼い子に対しては、言語による説得よりも、先ずは遊びや自由連想の延長線上にあるプレイセラピー(遊戯療法)を用いることで信頼を獲得し改善の方向へ向かわせることができる。

いろいろなアクセス方法を試み、濃密な関係性を築くことが課題となる。

心を病んで職を退く教師もいる時代だ。
「助けて!」と言えない環境、雰囲気をなくすためにも陰ながらお手伝いを続けたい。