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#77 こちら側とあちら側の理解の仕方と、わかりあえなさ

『対岸の彼女』 角田光代(05年直木賞受賞作)

本棚を整理していたら目にとまった。
元々、女流作家の作品はあまり読まない。
妻が所有する本だ。

読んだのだが内容はうろ覚えだった。
表紙に付いている帯の文を読むと・・・・

女の人を区別するのは女の人。
既婚と未婚。
働く女と家事する女。
子どもがいる女と子どものいない女。
それだけで女同士なぜわかりあえなくなるのだろう。

ああ、そうだそうだ!
少しだけ記憶がよみがえった。

女性の対立がテーマだった。

「女だから、男だから」「男のくせに、女のくせに」という物言いをしてしまうことがある。

現在のジェンダー教育は、すべての人の人権を尊重することを重視している。
ジェンダー論を超えて、人間というものはつくづく複雑で厄介なものだ。

心の深淵を覗き込むと、男とか女とか、LBGTQ+とかXとか、そういった分類は、ある意味、雑な括り方になってしまうことがある。

自分自身、性的マイノリティーの個人や団体を支援している。

個々の状況を微分するなり因数分解する必要があると思い、さまざまな年齢のマイノリティと対話してきた。

そういう支援団体に足を運ぶとマイノリティがたくさんいるので、マジョリティの集団になる。

その場では私がマイノリティのような感覚に陥る。
でも、みんな一緒。
人間だもの。

実際に話してみると、性差の問題以前に、当事者とその周囲を取り巻く人々との関係性や環境による影響が大きいと感じる。

当事者のことを受容する家族、配慮・支援できる大人が身近なところにいればよかったのに‥‥と思うことはよくある。

人が心の内に抱える問題や生きづらさは「関係性の問題」が大半を占めるといわれている。

教育心理学でもこうした問題は取り扱われるが、私は心理学の専門家ではないから確かなことは言えない。

数学的にとらえて「変数」か「定数」かという考え方がある。

USJをV字回復させた森岡 毅氏(実業家)の考え方だ。

定数(変えられないもの)と向き合って、変えようと努力してもしょうがないと言う。

それよりも、変数(変えられるもの)としっかり向き合って変えるための策を講じる頭の使い方をしましょうという考え方だ。

「0,1」思考とは思わないが、人心に関しては2項対立で片付けようとしても思考停止に陥ることがある。

翻って、男の世界にも “ 対岸の彼 ” がいるのではないだろうか。
“わかりあえない川”の向こう岸の “ あいつ ”
対岸は、自分の映し鏡かもしれない(鏡の法則)

心の中で嫌悪している自分の姿だから、その映し鏡である “ あいつ ” を見ることで余計に嫌悪するのか。

高齢になると、いい意味で開き直れることもあるし、自分のご機嫌の取り方も身に付いてくる。

世の中はクレーマーと化す年寄りが増えている。
高齢化社会はいろんな問題をはらんでいるな・・・・・(>_<)

私は、割と短時間で気持ちを切り替えられるタイプだと思う。

そんな自分だから、人の心の内にあるものを見たり聞いたりしたとき、あるいは配偶者の感情を知ったとき
「何もそんなことくらいで・・・・」
と思うことがあっても、単純に捉えすぎてはいけないと思い直し、言葉を飲み込むのである。

「わかりあえなさ」を「わかりあえる」につなぐ方法はどこにあるような気がするのだが。

言語化すればいいのか?
学生たちに投げかけてみることにする。