見出し画像

クリエイター必見!ゴダール入門!超難解作を3つのポイントでカンタン確認 ! #映画レビュー「女と男のいる舗道」



イかれてる!!

でもセンセーショナル!

60年以上前のフランスから誕を発したヌーベルヴァーグの天才監督ジャン=リュック・ゴダールの魅力をひとことで言ってしまうならばこんな感じ。

ヌーベルヴァーグとは一体何なのだろう?

1950年代後半に始まったフランスにおける映画運動。フランス語で「新しい波」を意味する。映画評論誌「カイエ」誌から発端。助監督などの下積みを得ない若い監督たちが、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出など共通性のある作家、作品を目指した。監督では、ジャンリュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロルが有名。


ハリウッド映画・文化に対する憧憬とアンチテーゼが、フランス映画運動の発足の理由の一つであるようだ。当時の世界は米露冷戦に突入。資本主義と社会主義の対立が世界を席巻していた。



ええーっ!? イカれてるってどういうこと!?世界の巨匠監督なのにその感想って・・?

ゴダール監督はフランス ソルボンヌ大学人類学部の出身。カイエ誌で映画評論を始めて、映画監督になった知性派エリートである。

ゴダール監督はエリート出身なのにい!

映画は、道徳的な話で決してない!!

(「何かを学べるとは思わないけど。新しい何かは見つかるねー!」と、ゴダールは自分の作品について語っている。)

鮮やかな原色。

やたらさっぱりとした画面構成。

ファッションフォトを意識しているかのようなカメラアングル。

(どうしてこんなに鮮烈なのだろうと、ひと目で画面に釘付けになる。いまでも決して色あせる事はないだろう。)

出てくる存在物、また登場人物の発言、行動が・・やたら意味深・・。

こうでこうでこういう意味があるのでは?

謎かけだらけ!!」のようなストーリー展開と設定。


正直言って!超難しいーっ!!何回観ても解読出来なーいっっ!!

いや。むしろ?それさえも通り越してる??クレイジー過ぎて、もう芸術がもう爆発しちゃってる感じ?岡本太郎記念館に行ったみたい?ぶっ飛んでる!!ワケが分からないっす!!

しかし!

表現者の登竜門であるといえるだろうか?何かを表現、クリエイティブする人達には、一般常識となり得る入門書になるに違いない。

過去の資料をみていたら、ハル・ハートリーとか、日本ならば岡崎京子さんや高城剛さんとか好きだったそうである。ゴダールをリスペクトしているクリエイターは数知れず。世界の芸術表現の教養、基本常識としても有名である。

ファッション誌「VOGUE」や「ELLE」では未だに繰り返し、ゴダール特集が組まれている。(「フレンチカルチャーの元祖」と言っても過言ではない。)

「おフランスっていえば。アムール(愛)の国だよなー。不倫、浮気、ワンナイトラブとか何でもオッケイなんでしょ?」とギョーカイ人の端くれを自認するワタクシ鈴きのの周りのイチ部のギョーカイ人達は、こぞってこんな勘違い発言をしてくれそうなのだが、「ちょっと違ーう!」フランスとは思考(哲学)を重視した友愛の国なのである。

いつもウィットに富み無粋なことは言わないという国民性なのであるからなのであって・・ぶつぶつ・・。


さてさて。ここから本題。難解で有名!なゴダール作品の魅力を軽くおさらいしちゃいましょ!!


※本当はデビュー作の「勝手にしやがれ」をセレクトしたかったのだが、TSUTAYAでレンタルされていたので(生活感溢れるお話でスミません。それくらいゴダールはいまでも人気がある!って言いたかったのさ!)、ならばいっそのこと。「なかなかシブいね!だね!」と褒めて貰えそうな「VIVRE SA VIE 女と男のいる舗道」のレビューをベースに綴ってみた。

「VIVRE SA VIE 女と男のいる舗道」に関して

(※以下ネタバレとなる。ご注意を。)

ナナという美しい1人の若い女性が自分探しを繰り広げながら、自我に目覚めていく過程をドキュメンタリータッチで追っていく。

静謐さを讃えた美しい詩情的情緒の漂う作品である。

この映画はモノクロ(白黒)で撮影されているフイルムノワールである。


ざっとストーリーを要約すると。

主人公ナナ(アンナ・カリーナ)は娼婦となる。新しい恋人と出会い、人生の再出発を始めようとするが、哀れにもポン引きに売られ、最期には銃で打たれてしまう。

映画では、ドライヤー監督へのオマージュジャンヌ・ダルクが主人公の「裁かるるジャンヌ」)や哲学者ブリス・パランとの会話シーンが展開される。劇作家ブレヒトを倣って12章で構成。主人公ナナはエミール・ゾラの小説「ナナ」から名付けられているのだとか。

この映画って。暗いのか明るいのか?

ストーリーがあるようでないし。

そもそも「娼婦」という職業ってこうなの? とゆう疑問も持つ。

(しかしテーマの割には、下世話感は全く感じない。「気品」さが印象に残る。)

SF的解釈・架空のパリという設定であるのだろう。


下記のポイントを押さえて観て頂くと、きっと面白さ倍増!

【ゴダール作品の魅力】

アンデュートゥロワ! (1、2、3) 

UN! DEUX! TROIS!

①ゴダール作品は「演劇」である!

ゴダールはドキュメンタリーからフイクションを思いつくという。映画というよりも、俳優たちが朗読をし、画面(ファッションフォト)があとから付いてくる感じ。言葉が先に引き立つよう工夫されているという。


俳優たちがカメラにお尻向けて喋り続けたり・・。

ハリボテのセットが出てきたり・・。(ん?何だ?これは?まるで舞台をみているみたいな感覚に陥る。)俳優たちが、視聴者(というよりも観客として扱われる)に向けて、話しかけてきたり。


即興でカメラを回すことで有名だそうで。

最近、日本でもノーカット!で撮る「カメラを止めるな」が流行りましたが。

いついかなるときも気がおけない、ノンストップ生放送!まるで自分も参加してる?臨場感!??(こういうゲリラ的手法視聴者にリアリティを与えてくれるのだろうか?)

ゴダール監督は、わざと俳優に適確な指示を出さなかったり。カットのあとでもこっそりカメラを回したり。ゴダール夫人でもある主演女優「アンナ・カリーナ」でさえ怒っちゃった事があるくらい予測不可能なのだとか。(「オレって天才だからさー。黙ってついてこーい!」よってスタッフたちは、監督に振り回されることになるわけである。)


VIVRE SA VIE 女と男のいる舗道」の撮影手法はユニークであったよう。

なるべく自然光での撮影を敢行。(その方が自然の味わいが出るそう。いついかなるときも成り立つカメラマンの道理?) 映画で多々利用される明るいライトも使用出来ず、わざわざ写真用の高感度フイルムで撮影されたシーンもあったそう。写真用のフィルムは長尺が撮影出来ないため、細切れ撮影することになってしまう苦労があったのだとか。(撮影監督のラウル・クタールはこう語っていた。

商業映画ハリウッドへの憧れとアンチテーゼの交錯する映画制作であったといえよう。


基本は。手持ちカメラでゲリラ的に撮影。明日の撮影なんて誰にも分からない。街の騒音や雑音がカットせずにそのまま利用されている。


②ゴダール作品は「哲学へのリスペクト」である!

言葉は思考である。言葉と思考を切り離して考えることは出来ない。言葉を発するが由縁が人間という生物である。。

小説を文章でなく映像・映画映像制作によって発表する」ことを新しいクリエイティブ活動として選んだ意図がどうもゴダール監督にはあるようだ。

映像文化が始まってから、文章だけで完結するクリエイティブ活動が少なくなってきたからとも言えるのだろうか?(WEB時代が到来しても、そのアイデアは廃れない。)

いま世界中でポピュリズムが猛威を奮っているという話もよく聞くが、いま一度、過去の歴史を振り返ると。

思考をやめること(言葉で説明することをやめる)によって、争いや戦争が生まれることになるのではないか?という歴史の事例に、改めて気づかされるだろう。

ナチズムを筆頭とした悪例と言えば理解しやすいか? 端的なナショナリズム ムーブメントにならないよう警鐘が鳴らされているわけだ。

(※因みに、後期ゴダール監督の作風はどんどん政治哲学へ傾倒していくことになる。)


言葉で説明することができなくなったら、人間ではないのかもしれない。動物という生命体に陥ってしまう。


また。表現者の責任としての言及も興味深い。表現者はモラリティを体現している。個人の幸せを重視し生きる人間と公共の幸せを最優先に生きる人間の2つの人生を生きている、ともいえる。

感情に流されても。

一方で。理性を失ってはならないという責任感を持ち続けることは、表現者としての絶対的な倫理観である。

映画にゲスト出演する哲学者ジャックパランは、登場シーンで、こういう思想を上述している。

(説明責任とは・・レイシズムの回避にも繋がるのではないか?フェイクニュースに悩まされる世界政治情勢の現在においては、憤懣を生んではならぬー!という教示に思えてならない。)

皆にもぜひゴダール作品を一度はみてもらいたいなあ。

言葉で事象や事物を説明するということ。説明出来るということ」

とても大切なことである。


要は!もしかしてっ? 分かりやすくぶっちゃけ!て言っちゃえばっ!

仕事の提案を通すときに、ロジカルシンキングのスキルが高い!説明上手!プレゼン負け知らず?ってこと!?

うーん。応用するならば・・そう言えるかもしれない・・。

③ゴダール作品は「フレンチファッションの元祖」である!

映画の中で、アンナ・カリーナはずっと膝丈のタイトスカートを着用している。そのアイテムしか着ていない。でも何故かやたらファッショナブルにみえる・・。

膝丈タイトスカートは男性のスーツにも匹敵

あらゆるTPOをクリアした万能ルック!(最近の分かり易い例では、英国妃(キャサリン妃やメーガン妃など)の公の衣装がほぼ膝丈スカートで統一されていることに注目して頂けるだろうか?ミニ丈だとお色気ムンムン過ぎるし、ロング丈だと歩きにくい。)

男性のスーツ着こなし特集に対抗して。女性としての色気や個性を極限まで試される究極のシンプルルックがタイトスカート。(それを問われるのがイヤだったら「パンツスーツを選ぶ」という作戦も、現代女性は勿論ありますがな。)

女性ファッション誌の基本テーマって。実は「万物応用できる膝丈タイトスカートを面白く着こなせるか」を根本テーマと捉える人が実は多いのだ、と思う。西洋文化を牽引するべくキャリアウーマン日常服のアップデートを目指しているのだろう。


歴代「フレンチVOGUE」元編集長で有名なカリーヌ・ロワトフェルドも似たような感想を語っている。(カリーヌは、GUCCIをV字回復させ、GUCCI帝国を作り上げたクリエイティビティを持つデザイナー トム・フォードミューズとしても有名である。)


ゴダールの映像の見せ方として。画角や風景の切り取り方がとても斬新スッキリしているそのスッキリ感が逆に印象に残るのか、大抵は一瞬観かけだけで「なんてオシャレなんだろう!魅力的なんだろう!」と心を奪われる。(俳優たちの魅力も勿論さることながら。)


画面に映る衣装、小物や風景は全て作品の演出として捉えているらしい。撮影の際は画面に映るモノをどんどん排除。舞台のセットのように徹底的に少なくする。ごちゃごちゃするからあれもこれもいらない!!という風に。無駄を省く姿勢が、ファッションフォトインスピレーションを与えるスタイリッシュな映像を生んできたようだ。

ゴダールフリークは繰り返し観る方が多い模様。私も10代のときからずっと何回も観てきた青春のルーツのような映画である。

表現者である基本姿勢を教えてくれる

クリエイター志望の方や関係者は必見だろう。


と。蘊蓄垂れてみましたが。

100人いたら100通りの解釈があるかもしれませんがな。ゴダール監督にきちんとインタビュー取材を行ったコリン・マッケイブによる解説本しか認めたくなーい!と大監督は仰っているらしいので、宜しかったらこちらも参考までに・・。

→解説本


Text By: SuzukinoAyako

編集:円(えん)→

================================

ジャンルも切り口もなんでもアリ、10名以上のライターが平日毎日更新しているマガジンはこちら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?