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希代のフェミニスト「夏目漱石」の大衆論 日本を代表する文豪たるその理由

日本を代表する文豪といえば、間違いなく夏目漱石だろう。

意識調査や人気アンケート調査をすると文句なしにいつも大体1位に輝く。

なぜ日本人はそんなに「夏目漱石」を好きなのだろうか?

別に芥川龍之介でも村上春樹でも司馬遼太郎でもいいではないか?とも思う。

流行りモノ好きな経済に長けている人の中には、文芸作品や歴史モノを極端に嫌う傾向が実はあるようだ。私はどちらでもたいして気にしないのだが、コスチュームものと現代モノへの認識は結構違う。時事ネタが通用しなくなるパラドックスが成り立つので、一理ある。因みに、いまは古典となっている「五重塔」を執筆した(やはりの)文豪「幸田露伴」ですら「新しくないと意味がない!古いものなんていらない!」くらいのことは、当時やっぱり言っていたらしい。

しかーしっ!

歴史を学ばないと、アップデートは不可能と言っていいだろう。名前は忘れてしまったのだが、どこぞの著名人が書いておられた。「前衛」と呼ばれる人たちは、過去をよく学んで理解出来たからこそ(革新としての)「前衛」として評価されるのだ」

物事の道理問題として。突然、突拍子もなく革新的なモノが生まれるわけではない暗黙知が何となくはあるのである。それは「自分たちが人間であり、脈々長い歴史を持つ人類である」という事実は曲げられないというジレンマに近いのかもしれない・・。

と。マーケッターやプランナーをしていると、最大公約数をとれる技に俄然興味が湧いてくる。(※注: 私鈴きのは、生粋の(そしてただの)マスコミマンが本業です。)

だんだん国民作家について、テーマを絞ってみたくなった。

2月は、バレンタインシーズンということで「ロマンチックな恋愛モノにしよう!きゃはっ!」とミーハーにも思い、恋愛ネタの多い作家を選んでみたのだが・・「そういえば夏目漱石の作品って、結構ドロドロしたラブストーリーだった・・」というオチがあった。ちょっと申し訳ない・・悪しからず。

さてさて。ある日、ワタクシ鈴きのは地元のスナックへ。

「なぜ日本人は夏目漱石を好きなのか?」という素朴な疑問を美人お姉さまに、ふと聞いてみた。「それはやっぱりいい男だからじゃない? 写真が素敵! あと女性にすごく優しいから!」女性に優しいフェミニスト漱石は昔からおモテになるようで・・。

「ナルホドー!」

有名文豪クラスは作品の注釈として、肖像写真を紹介される事が多い。

夏目漱石の英国紳士風スーツを着こなす俳優のような気品あるビジュアル効果の高さ。また老若男女に優しい作風の好感度の高さから、その国民的作家の地位を確立したと推察出来るだろうか?まさに大衆の心を掴む王者と言えるのだろう。

夏目漱石の大衆に寄り添う作品作りの工夫や人生観は随所に現れている

教科書にも載る「こころ」を中心に、夏目漱石流「大衆論」を紐解いてみよう。

夏目漱石こと、本名「夏目金之助」は、東京に生まれた。

漢詩に夢中になっていた青年は東京帝国大学(東大)に入学。

当時、東京で建築が始まっていたニコライ堂に感銘を受け、将来は建築家になりたかったそうだ。

仲のいい学友は、いまの日本で大きな建物を建築するのは無理だから文学を志すよう勧めた。それが転機になり、人好き人たらしたる由縁の漱石はあっさり作家への転向を決心する。(因みに。漱石は経済的にも大成功を収めた大作家となった。友人は時代をみる目があったのだろう。友達のアドバイスは聞くものである。なんて・・!ついつい。。)

大英帝国文化の影響が色濃い時代。専攻には「英語」「英米文学」を選んだ。

大学生時代の漱石は友人に恵まれ、寄席を観に行ったり、割と遊び放題。研究一本というよりは、のびのびとした大学生活を送ったようだ。

プライベートの恋愛では、友人と一人の女性を巡った恋のさやあてに破れてしまい、多少落ち込む事件はあったようだが、人付き合いのいい切符の良さは相変わらずだった。

大学卒業後の就職先に四国 松山を選び、英語教師をしながら、英米文学の研究を続けた。(@松山は小説「坊ちゃん」のモデルとなった。)

赴任中、文部省から国費で英国視察留学の指令が下る。ところが、留学のテーマは「英語研究」で「英米文学研究」ではなかった為、引き受ける事をためらったらしい。周囲の説得に応じ何とかイギリス ロンドンへ向かった。

当時のロンドンは、コナン・ドイルが連載していたシャーロック・ホームズが大流行。劇作家シェイクスピアの作品は市民権を得ており、いつでも観劇出来た。英国発の「自然主義」は当時、世界を牽引する思想として注目を浴びていた。大英帝国は世界随一の流行中心都市だったのだ。

英語研究であるならば、オックスフォードケンブリッジへ行くべきなのだろうが、漱石はロンドンに定住することを決める。(ロンドンが旬の都市と感じたのだろう。)少ない滞在費の中でもやりくりし、英語の原書を買い漁って読み耽った。ロンドンではあまりにも一人でストイックな研究生活を過ごした為に神経衰弱を患ってしまったのは、有名なエピソードである。

自然主義に関する文学といえば、人物の心理描写や事物の森羅万象的描写を試みる傾向が強い。淡々と動きの少ない作品も多い。イギリス純文学は当時、ワーズワースオースティンブロンテなどの大衆文学が主流だった。女流作家が多いのは、エリザベス女王のお国柄なのか?暴力のない秩序ある平和な民主主義確立の自信からなのか?(歴史的に、女流文学が流行するのは、戦争の起こらない平和な時代に多いそうだ。日本でいえば平安時代の「源氏物語 WrittenBy: 紫式部」などが当てはまる。)

帝国大学出身のエリートである漱石には、英国文学は多少物足りなく感じたのか?国費留学生の責任からか?漱石は、科学書にも夢中になっていたようだ。

英国人であるダーウィンの「種の起源」が世界中で流行っていたことも関係しているだろう。(※「進化論」で有名な生物学書。)

この時期に漱石が執筆したのが「文学論」である。化学的数字的解釈を文学にも求めた意欲作である。「 F + f 」知的観念と情緒的観念から文学構造を組み立てる工夫を凝らしたのだとか。

漱石は神経衰弱を患ったため、予定より早い帰国となった。日本帰国後は、帝国大学の教師となり、英語や英米文学の授業を受け持った。シェイクスピアを中心とした漱石の授業は、生徒に大変な人気があったそうだ。この時期、高浜虚子に「ホトトギス」への執筆参加を依頼された。

しかし、神経衰弱はなかなか回復せず、しょっ中癇癪を起こしたり、ステッキで殴りかかったりと、周囲や家族を震撼させてしまう。病気治療の気分転換のため、自分の家にいつのまに居候してご飯を食べるようになった飼い猫をモデルに書いた「我輩は猫である」が大当たり。一躍国民的大衆作家へ名実ともに認められるようになる。

猫からの目線で「夏目家」を観察するエッセイ風のこの作品。仰々しくもあり、バカバカしくもあり、ユーモラスでもあり。思わずクスッと笑ってしまう。

漱石41歳のとき、朝日新聞主筆「池辺三山」に誘われ、朝日新聞に入社した。新聞作家としての道を歩み始める。実は、朝日より先に申し出のあった読売新聞との交渉は決裂してしまっていた。(読売新聞は、東京帝国大の1年先輩である「尾崎紅葉」が入社。「金色夜叉」が大流行した過去があった。)

漱石は三山に初めて出会ったとき、とてもホッとしたという。

身体が予想より大きくとてもホッとした

ん?身体の大きさ?見かけの問題なのだろうか?と訝しげな気持ちにもなるが・・。(実は私鈴きのも多少(ちょっとだけ)神経衰弱持ちだった過去があるので烏滸がましくはあるが、他人事にも思えなくもなるこのエピソード。漱石のこの安堵した理由・・実は分からなくもない。単にフィーリングで片付けられる問題なのかもしれないが、漱石の描く理想に近づけると直感出来たのだろう。)

三山はパリに留学経験があり、既に著作は有名だった。熊本県出身の大らかな人柄の良さや、ヨーロッパを渡り歩いた経験を持つ同士の気質が、漱石の性格と合ったのだろう。「漱石 × 三山」とのタッグにより、朝日新聞は発行部数を飛躍的に伸ばした。

虞美人草」を皮切りに「三四郎」「それから」「」「こころ」・・等々。常に注目されながら、ヒットを飛ばしていく。

漱石は優れた「人気作家」であるとともに優れた「編集者」としての役割をこなした。のちに大人気国民作家となる「芥川龍之介」の発掘に貢献したり、挿絵画家を探したり、朝日新聞本紙の編集にも携わった。建築家志望だった漱石は文章だけを書いていたわけではなく、ヨーロッパのアール・ヌーヴォーに傾倒したり、絵画評論や自身も趣味で絵を習った。当時の明治時代の最先端カルチャーを牽引するべく日々精進。「ビジュアル戦略」にも長けていた作家といっていいだろう。

漱石作品は、朝日新聞の読者を想定ターゲットとしていた。「山手に住むイマドキのエリートたち」のイメージを体現している。ビジュアル戦略を徹底したことにより、文字だけの堅苦しさは感じさせなかった。(漢字には必ずルビ(ひらがな)が振ってあったという。大衆作家としての責任だったのかもしれない。)

ビジュアル戦略を重視し、主役の語り手を猫にしたりと柔らかくまとめることで、女性や子供の読者にも注目を浴びるようになる。(「吾が輩を猫である」を読んでみると、猫が淡々とニーチェの話を聞いていたりする。余程のエリートかインテリでないと、わからない話が書かれているのに・・かなり身近な話題に・・なかなかシュールである・・。一見小難しい話がデフォルメされた結果、幅広いターゲット層を獲得出来た好例だろう。)

経済波及効果もかなりのインパクトがあった。「虞美人草」連載の際は、三越デパートで関連商品の着物が売れたり、「我輩は猫である」流行中は、猫グッズが売れたりと・・。ビジネスマンとしてもなかなかの目利きを感じさせる。

一方。肝心の文学的作品の内容に言及してみると・・漱石文学では、実に幾つもの暗喩が散りばめられている。

今回のテーマ「こころ」のあらすじを追ってみよう。

主人公が敬愛する「先生」は嫉妬心から友人「K」の想い人である女性を、Kから略奪し結婚。結果、Kは自殺してしまう。その罪悪感を苦痛に思い悩み続け、先生自身も自殺という道を選ぶ。

「こころ」に登場する「K」。実は、史実上で伊東博文を暗殺した中国人「安重根」であり、先生の「奥さん」は「韓国」(韓国併合のこと)を表しているという。「先生」自身は「明治時代」そのものであるのだとか。先生の死によって、明治時代の終焉を表現しているという説が有名だ。

世界的な大戦に突入。英国と離反し、孤立を進めていく日本という帝国の憤りや、やるせなさを知識人を代表して、陰ながら訴えているのだとか。

また「ヒトとして最低!」な行為を悶々と悩むエリート知識人の苦悩が描かれるヒューマニズム小説であると言っていい。

ヒトとして最低なことをしでかしてしまった主人公」というテーマは、かの世界的文豪ロシアが誇るドストエフスキーと似たテーマ?であるといえるだろうか?

2人の活躍した時代も近いということで、自然主義を媒介に世界思想や文学の流れとして到達したモダニズム文学が、そういったヒューマニズムの本質描写 という結論は、世界的なブームでありトレンドだったのだろう。

エリート知識層(インテリジェンス)の考え方や振る舞い方、思想(帝王教育にも弱冠近いか?)を、打ち出していく一方で、漱石は、女子供に優しいかなりのフェミニストを意識していた。

(ちょっと面白いのだが、実際の史実に沿って、漱石の好みの女性像を、現代女性に分かりやすくプロファイリングしてみると・・まるで天海祐希さんみたいなイメージになると言えるだろうか!?男勝りってゆうかなんてゆうか?時代を先駆けるキャリアウーマンイメージだったのかっ?)

漱石は実際、知的な女性によく振り回されてしまうし、作品にもそういう活発な女性がよく登場する。

お見合いで結婚した「夏目鏡子」夫人はちゃきちゃきの江戸っ子で、よく「鬼嫁」とあだ名されていた。

※最近@NHKでドラマにもなった。

「早起きの苦手な新妻役」尾野真千子さんと「気難しい高慢ちきな亭主役」長谷川博己さんの好演が懐かしい。


鏡子夫人は子宝に恵まれ、国民作家漱石をよく支え、弟子の面倒もよくみた。(「木曜会」という毎週木曜15時〜夏目邸で開催されるサロン経営は好評だった。後継となる著名人が多数輩出された。(※現存する手紙からも伺える。仲間とのやりとりが本当毎日楽しそう。)夏目家は、印税収入の他に、出版社や宝飾店の株券を購入して投資したりと、時代の先駆者の一派でもあった。

鏡子夫人は、前述の漱石が絶賛した英国の人気女流作家「ジェーン・オースティン」に出てくる主人公に、どことなく似ている。

勿論、知的層を鼓舞する啓蒙的、小難しいエリート向けの文学作品が多いのは世の常である。

漱石を筆頭に、エリートのおっさん達がこぞって絶賛してレコメンドした田舎の女性作家、オースティン。(オースティンは中流家庭に育ち、学校教育とはほぼ無縁だった。牧師である父の蔵書を独学で学び作家となった。当時、ダーウィンが流行していた為、オースティンが暮らしていたイギリスの田舎「湖水地方」という地域自体も、ダーウィンのネタ元として脚光を浴びたのだろうか?)

オースティンのテーマは、いつもだいたいドタバタ結婚喜劇である。最後は必ずハッピーエンド。「高慢と偏見」という作品が一番有名だ。いけ好かない高慢な金持ちと思っていた青年の初対面の印象がガラリと変わって尊敬するようになり、すったもんだの末、結ばれる。

オースティンはいつも小さなメモ紙を持ち歩いており、見聞きしたことをメモしていたという。(因みに、警戒されないよう決して人前ではメモをとらなかったとか・・。)

話の筋らしいものは一切ない。戦争系の時事ネタも一切拾わない。(学がないからわざと避けたのでは?という意見と、全く扱わなかったことにより、普遍的なテーマとしてのオリジナル作風の強調に成功したのでは?という真っ二つの意見が研究家から出ている。)

ひたすら、イギリス人という民族の美徳、謙虚さ、知性、礼儀を踏まえた心理描写を淡々と追い続ける。何も事件が起こらないのに、心理描写の洞察だけでページが進む。勿論あっというまに読み切るように読者を惹きつける事に成功しているのが、オースティンという作家の才能である。学校教育とは無縁だったにも関わらず、後転的な努力により知識人へと成長。大成した作家オースティン。人間としての知性そのものの素晴らしさを讃えている。(読後感として。毎日の何でもない風景が明るく楽しいモノへと変化していく意識を持てるだろう。)

→ 

「高慢と偏見」の映画の1シーン。

姉妹、母娘の仲つむまじい間柄でも、ちょっとしたイニシアチブ争いは起きるようで・・。

しかし各々が各々の課題を克服するべく。置かれた花で咲こうと努力を続ける平和な家族像である。(女性の人数の多さは夏目家をも彷彿とさせる・・。)


一見弱き者や、インテリジェンスとは無縁の者にも、知的教育の対象となるよう手を差し伸べた国民作家「夏目漱石」先生の行動思想、その姿勢。私はとても美談だと思う。

老若男女愛されてきた(「胃弱先生の愛称を持つ」漱石先生は「学校の先生のかくあるべき姿(東京大学のお手本となるべき先生像)」という永久欠番であり続けるに違いない。

ときどき夏目漱石が注目されるのは「国費を投じられるエリートだからじゃない?」と揶揄する意見も出そうだが、それはそれで夏目漱石の持ち味。ご愛嬌と言っておこうか?

ー  昭和、平成を終え、もうすぐ新しい時代を日本は迎える。

これからどんな大作家?国民作家?がまた新しく生まれるのか楽しみである。

ああそうか。いまは作家ではなくて、クリエイター?と言うのかな?映像作家とか?

型にはまる事なんてないのだ。

かくいう怠け者レッテルをよく貼られる私鈴きのも、それなりに努力して、それなりに若い才能に気付く目利きのイケテル?大人でありたいと願っている・・。

◆◆◆

だいぶ横に外れて連々書き綴ってしまったが。

最後の締めくくりとして。

ぜひ近代日本人の思想のベースを作った国民作家「夏目漱石」先生大衆論の集大成「こころ」。

一度はじっくり読んでみるといい。

面白い発見があるかもしれない。


 -The End-

参考文献:

「闊歩する漱石」 丸谷才一  / 講談社

「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」 江戸東京博物館 東北大学編  / 朝日新聞出版

「夏目漱石論」 蓮實重彦  / 青土社

「英米文学者 夏目漱石」亀井俊介   / 松柏社       

・・・・・etc

映画「プライドと偏見(PRIDE&JUSTIE)」2005年 英国製作    / 監督:ジョー・ライト / 主演:キーラ・ナイトレイ

Text By: Ayako Suzukino

編集:円(えん)→

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