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思いやり もったいない

ETV特集のこちら見応えありました。

もちろん西山氏一家の汚名を雪ぐ(この雪ぐ、そそぐ)という言葉も印象に残ります。
ただこの事件の本質は「沖縄返還密約」で米公文書が公開されたにも関わらず、日本政府、最高裁は書類はあるも、その存在(保管)を認めないというバカバカしい自己保身。
もちろんいまだに続く「思いやり予算」の根っ子でもあります。
なんだか「思いやり」という言葉だと、主体はこちら(日本)で相手(米国)にしてあげる、みたいな印象を受けますが、西山氏の汚名でもあるように、日本は沖縄を返してもらいたいのだから金を出すのは当然、ただそれじゃあ世論が許さないので、金の事は隠してあたかも米国が主権を譲渡したように見せかけただけ。これは米公文書や当事者か認めていること。
だから沖縄返還も思いやりも、主体は米国で、そうまとめるように、従の日本が金を貢いでいる、という構図が50年以上続いている。
出発点かそうだから、いまだに米軍はやりたい放題で、日本(外務省)はその呪縛から抜け出せない。

もちろん被爆地の選出議員である彼もこのザマ。

そういったことを誤魔化す、錯誤させる意図で使っているのが、この「思いやり」という言葉でしょう。
ETVの番組でこの事件が「外務省機密漏洩事件」でなく「沖縄返還密約事件」と定義し直した意味を伝えてくれましたが、メディアはこの「思いやり」も政府に阿ることなく、定義し直すべきでしょう。

GW中に読んだのが「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」でしたが、こちらもなかなか考えさせられました。

この中にナチの「先進的な環境保護政策」の一つとしてリサイクルが挙げられていました。それはドイツ人、ナチ凄いではなく、金もなく、また第一次大戦の敗者っすたから海外から物資輸入の制限があり、国内でリサイクル、ユダヤ人や占領地から物資を分取るしかなかったというのが本質とあり、さらに戦時下は国民に対して様々な物資供与がエスカレートしたというものでした。
「先進的な環境保護政策」は美しい言葉ですが、それを国民運動にすり替え、全国民から収奪したのはナチス。

さてこれは我が国も全く同じ経験があります。自主的ていう体裁で、無理やり町内会や婦人会を使って強奪されました。
日本人に「もったいない」という気持ちがないとは言いませんが、昔から資源の乏しく、鎖国をして海外から豊富に輸入ができなかった歴史があるから、リサイクルやリユースをせざるを得なかったのだと思います。
それをあたかも「国民性」に見せかける手段として「もったいない」を使い、国民運動にしようとしている。またSDGsの美名を理由していると思うのです。

優しい言葉、美しい言葉には必ず裏がある、というのを改めて感じた「汚名」でした。

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