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なんのために写真を撮ってきたのかもう少しでわかるような気がする


写真を160枚くらいプリントサービスに依頼してみた。そのうち2Lサイズの印画紙がたくさん家に届く予定だ。すごく楽しみにしている。
それらの写真はどれも僕が「いいな」と思ってシャッターを切った写真だ。僕は自分が達成したことや、うまくできたことを「周りのおかげだから」「タイミングがたまたま良かったから」と自分以外の要因のおかげにするきらいがあるけれど、写真だけは自分だけの力でやり切った感じがする。上手くは言えないけれど。カメラの性能や写真の編集のおかげ、という理屈もあるのだけれど、それらのチョイスも含めてやはり自分の裁量だ。お気に入りのシャツは、そのシャツを作ったのは違う人だとしても、それを選んで着ているのは自分なのだから、やはり自分のセンスなのだ。

写真を撮るたびに僕は自分のことを知ることができる気がする。そういう実感を伴って僕は写真を撮っているし、ある意味それによって救われてもいる。自分の興味のあるもの、ついつい見てしまうもの、素敵だと思うもの。結局なんだか得体の知れない自分という人間の性質は、カメラという箱を通してみることができるのかも知れない。









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