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スマホで写真を撮るのじゃダメな理由


どうしてスマホじゃなくてわざわざカメラで写真を撮る必要があるのか、しばらく考えていた。別にスマホでいい気がする。


スマホで写真を撮った方が明らかに合理的だ。僕なんかはRAWなんて使わないし、写真を撮っても結局スマホ上で加工してSNSに投稿するから、やはり
どうしても二度手間という感じがする。


でもなんかな。つまんないんだよなー。

スマホで写真を撮ったときの「これじゃないんだよな」感の正体がいつまでも掴めずにいた。でも、今日なら少し説明できそうな気がするから、チャレンジしてみることにする。




最近は光を撮るのにハマっている。
花もビルも空も撮らず、ひたすら壁とか地面に落ちている光を見つけては夢中になって撮っている。面白い。

「あ!光みっけ!」と思って、カメラを取り出してパチリと撮る。
カメラはオールドコンデジだから、笑っちゃうくらい安っぽい電子シャッター音が聞こえる。楽しい。

その時のシャッターを切る感じは、幼い頃に虫を捕まえて虫籠に入れる時の感覚によく似ている。その時に偶発的に出会った風景を、捕まえて、閉じ込めている。虫籠の中を覗き込むみたいにコンデジの小さい液晶モニターで写真を確認してみる。よしよし。しっかり撮れているぞ。


特にエレベーターの扉にちょろりと落ちている光なんてのは、なかなか一眼レフでは撮れない。そもそもそんな微妙なタイミングで一眼レフを持っていない。会社の始業10分前にたまたま見つけたから撮っただけだ。スマホしか持っていなかったら気にもかけなかっただろう。

でも最近はポケットにいつでもコンデジが入っているから、「何か写真を撮ってやろう」という気概があって、アンテナがしっかりと立っている。立っているからこそ好きなシーンに気づくことができる。
シャッターチャンスがやってくる。



カメラは、写真を閉じ込める装置だ。

対してスマホは写真を閉じ込める装置ではない。SNSに直結しているから、そこには出口がある。出口があるのでそこへ流れていってしまう。だから写真を閉じ込めることはできない。すぐにSNSに投稿しなくたって、写真は常に投稿される可能性に晒されている。それが、閉じ込めていない感じの正体だ。SNSへ投稿して人に見せるという行為が近すぎると自分が好きだと思うかどうかより先に人から評価されるかどうかの意識が勝ってしまう。それゆえに写真撮影を楽しむことができない。スマホは合理的すぎるから。

カメラだけが少なくとも自分は好きだと思える写真を自由に撮って眺める自由を許容してくれる。全員が下手くそだと言ったって、自分が気に入っていればそれでいい。スマホはそれを許さないけれど、カメラは自由だ。

カメラには出口がないので、やはり虫籠として機能している。だから面白みがある。「人に見せる・発表する」危険性に直結していないので、写真を撮るという行為に集中できる。



だから今は本当にのびのびと楽しく写真を撮っている。
それをSNSにあげているけれど、撮っているときはスマホと連結していないので純粋にカメラと写真を楽しんでいる。カメラを買ってよかったと思う。思える。


おしまい

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