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ずっと母が嫌いだった 4

 父は、母の浮気に気が付いていたと思う。

私がまだ小学生だった頃、父は単身赴任で家を空けることが多くあった。元来家庭に向いていない母は、子ども達が幼いにも関わらず、家庭に縛り付けられることを嫌い、商売を始めた。

タバコの販売である。

父は、この「母の商売」をやらせたことをずっと後悔していた。初めは自宅の一部を増築し、小規模なコンビニのような店を始めた。その後近所のもっと車通りの多い場所に同じような店ができ、立ち行かなくなりタバコ販売の許可を得ると、タバコ販売専従業者になった。母の社交性はいよいよ発揮され、範囲は拡充していく。この日銭商売という性質が、その後の母の浪費癖へと繋がっていったようだ、と父は語る。

小売店を営むにあたり、母は本当はスナックをやりたかったそうである。しかしそれは当たり前だが父に反対され、お金を出してもらえなった、と後で聞いた。つまり、母は、そうした社交場が大好きなのだ。

時代はまだ愛煙家に優しく、あちらこちらに自動販売機を置かせてもらい、タバコの納品に回る、というのが母の仕事となった。

ある時から、毎週水曜日は決まって帰宅が遅くなっていき、水曜日は子供だけで夜を過ごす、というのが当たり前のようになった。

帰宅がおそくても、誰に怒られるでもない母の夜遊びはしばしば行われるようになり、長女である私はよく、適当におやつやご飯を作り、妹や弟に食べさせたりした。しかしそれとて、母から教わったという記憶はなく、見様見真似であり、本当に適当で、そして、母の得意料理で好きな献立など、思いつかないのであった。

父に問われたことがある。

「お父さんとお母さんがもし、離婚したら、お前はどっちと暮らしたい?」

私は、離婚は嫌だ、と答えたと思う。どうしても、というならお父さんと暮らす、とも。

またある日、急に祖母が来訪した。三重県在住なので滅多にないことだ。小学校から帰宅した私は大好きな祖母がいることに大層喜び、まとわりついたのだった。しかしどうやらそれは、母を叱りに来たようで、母の夜遊びはそれ以降少し落ち着いたように思う。

何故、母が浮気をしていたと思うのか。それは母が告白したからだ。母も父の不在が淋しかったのかもしれないが、小学生の子どもに向かって「お母さんにはお父さんよりも好きな人がいる」などと話すのは、やっぱりかなりおかしな母親だろう。毎週水曜夜の仕事というのは、逢瀬の時間だったに違いない。

そして、この頃の私には、他にももっとしんどいことがあり、これが私の怒りの本質なんじゃないか、と考えてもいる。

つづく


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