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ずっと母が嫌いだった 7

(母への反撃開始) 

 母が好き勝手にしていることをそのままにはしておけなかった。横浜の親戚との縁は元々薄いのでともかくとして、三重の親戚はとても大切な人達だ。

幼少の頃から母に可愛がられた記憶のない私は、母と一緒にお風呂に入った記憶もない。

小学校の長い夏休みは、三重県の祖母の暮らす家にしばらく預けられていた。子どもは三人なのに、預けられるのは大抵私一人だけだった。洋服の仕立て屋だった祖父母。ミシンの音を聞きながら、一日中ただゴロゴロして過ごす。そんな時間が退屈でも好きだった。

そして祖母は、私の髪の毛と身体を洗ってくれた初めての人だ。驚くと同時に、とても嬉しかったことを覚えている。

そんな大切な祖母に誤解をされているのは我慢できなかった。

「私の話を聞いてもらえませんか」

叔父に連絡をした。

叔父との話の中で、私がとんでもない悪人に仕立て上げられていたことがわかった。三重の親戚中に電話をし、母は娘に裏切られたかわいそうな母親を演じていた。

叔父に、相続は母にとって良いように進めようとしていたのだ、と訴えた。更に私の話が嘘ではないという証拠に、兄弟間のラインを送信したところ、すっかり納得してもらえた。

それからの叔父の行動は素早かった。弟、妹に召集を掛け、翌週には実家に、母の元に子ども三人と進行役の叔父が顔を揃えたのである。

ここで叔父は母を叱ってくれた。叔父は母の弟ではあるが、祖母の代理人として母にものが言える、唯一の人だ。

「人の話をちゃんと聞け」

「娘が親戚や実家に足を運べなくなるようなことをするな!」

「おまんもいずれ、人の世話にならんと生きていけなくなるんだぞ。子どもに嫌われることをしてどうする」

こうも言ってくれた。

「義兄さんの意思は尊重しないとあかん。いずれ処分せんとあかんようになったときに、代金をちゃんと遺言の通りに分けたらどうや。そのための念書でも作ったらええんとちゃうか」

母はごにょごにょと言い訳をするばかりで、とうとう謝らなかった。そして自分にいいように行った登記をひっくり返されそうになったことに、動揺を隠せないでいた。

母が行った登記とは、法定通り+占有名義、である。

メインの土地は、母1/2、子がそれぞれ1/6で登記された。そして分筆のままの小さな土地は母の個人名義。この時に委任状がなかったため、権利書の類は母個人しか受け取っておらず、私たち子どもには、土地登記簿の写しのみ。権利書は登記時にしかもらうことができないため、所有を証明するものがない、という問題が残ってしまった。母が依頼していたのが司法書士ではなく行政書士だったことから、正式な手続きを踏む、ということが行われなかったのだ。

叔父の申し出はとても嬉しく有難かったが、母にうんざりを通り越して嫌悪感を抱いていたし、私に「お姉ちゃんのやっていることが迷惑だ」と言った弟にも腹を立てていて、理性と感情のバランスが完全に失われていた私は、下を向き、「これでいい。このままでいい。」と答えた。

叔父に答えてから、母に向かって伝えた。

「私はこれ以降母には関わらない。あなたの面倒は見ないことを宣言する」

続けて主に弟、そして妹を見て言った。

「母の遺産は放棄する」

叔父は驚いていたが、弟と妹は何も言わなかった。

その後は、父の遺した銀行口座の手続き書類に権利放棄のハンコを押してやり、その手続きに必要であろうはずの、私が苦労して揃えた父の出生からの行政書類も渡してやり、母にとって、欲しかったであろうハンコと書類をあげたのだった。

私の心中はこうだった。

「縁を切る前に情けをかけてやる」

三重の親戚の誤解さえ解ければ、もう母に用はないのであった。

母のやったことは、勘弁したとしても、行政書士だけは許さない。

行政書士会へ、訴えた。

つづく



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