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命の終わりと始まりを知ったとき-すずころ日和 出産とタロー-

「誕生日、おめでとう」
22日の朝一番に、やっと起きた娘に行った言葉です。
今年で12歳になりました。

「お母さん、12年ってあっという間だった?」
昨日、娘に聞かれてうーんと考えてしまった。早かったとも思うし、そうでなかったような気もする。

1 産前の激痛。突然、歩けなくなる。

毎年、誕生日になると思い出すのは彼女の生まれる時。
出産の1ヶ月前に、謎の激痛で急に歩けなくなり、私の待ちに待った産前8週間の育休計画は吹っ飛びました。

痛みをひきづって壁伝いに診察室へ行く私に「えっ、陣痛?」と看護師さんに言われました。まだです。。
赤ちゃんがまだ出てこないのに、通常よりも下におりすぎて骨盤に痛みがはしているのではないか。そういうような診断で、とりあえず当時病院ですすめられた「とこちゃんベルト」を購入し、グッと骨盤に巻くと少し痛みが軽減し、だましだましトイレなどにもぞもぞ動く生活。
よく、出産前は健やかな出産のために歩きましょうって言われますよね。
「その赤ちゃんに歩くのを阻まれる」
なんてことだ。歩けなくなるなんて。
8ヶ月までは逆子だったのがやっと治ったところだったのに、このまま痛みが続くなら帝王切開かな、という先生。

出産でさえ怖いのに、あんなでっかいものが下から出てくるとか今だに信じきれないのに、物理的にお腹を切るのも怖すぎる。
出産はなんだかんだ言っても、自分の母をはじめ周りの母と呼ばれるご婦人方はみんな生きてる。ということは、恐怖だけど、人体の不思議で乗り切れるのだろう。そう思っていた。どれだけ怖くても、お腹に宿った以上は出さなければ、逃れる術はないのだから。
でも、お腹を切るのは怖い。リアルに怖い。

幸い出産二週間前には痛みがだいぶましになり、「通常でいきますか」との先生。
ただし、がついての診断だった。なんでも、おそらく私の症状は「恥骨結合離開」といって、出産に向けて緩くなる骨盤が離れてしまう症状。ごく稀に出産時にそのまま分離してしまい、そうなると母体は救急で外科に2ヶ月入院して寝たきりとなる、との説明だった。
怖っ!!!

当時ネットでも色々調べてみたけれど、確かにそういうことはあるらしい。
ちなみに私の周りには、誰もそう言う経験の人はいなかったし、今もいない。母も、聞いたことがない、と不思議そうだったが、きっとネットがない時に私と同じ症状になった妊婦さんの多くは不安と痛みでたまらなかっただろう、と思う。

2 出産。生命が世にでてくるとき。

21日が予定日だったが、陣痛は来ず。検診日でもあったので、午前中に受診したらその時にすでに子宮口が2センチほど開いているとのことだった。
「陣痛きてない?」と言われて、助産師さんにぐりぐりと触られる。
「今刺激したから、帰宅してもすぐに病院に帰ってくるかもね」
と笑いながら、送り出された。
そうか、ついに来るのか。子宮口が開いているって、もしトイレで力んだら出たりしないのか?
出産を経験したら、そんなことあるわけない。と笑い飛ばせるようなことも真面目に考えていた。
焼肉を食べると陣痛がくるというジンクスにあやかり、出産したらしばらく行けないであろう焼肉を、母と一緒にランチに食べに行った。

陣痛は一向にこなかった。

お腹が大きくてただでさえ眠りの浅い妊婦後期。いつ、陣痛がくるのか。と思うとドキドキして、いくら寝た方がいいと思っても夜になっても寝られない。
日付が周って22日の午前2時頃、あれ、痛い。うん、痛い。
しばらくは時計と睨めっこ。
そう思っていると下からどばっと何か出てきた。
「あ、これが破水か?!」と、バスタオルで下部を押さえながら、急いで主人に連絡して(産前に動けなくなったので早めに実家に帰っていました)病院に連絡をいれた。午前4時頃。

病院のカルテに「子宮口が2〜3センチ開いている」と書いてくれていたため、夜勤の助産師さんはしぶしぶ病院に来るのを認めてくれ、そのまま分娩室に入った。
「確かにちょっともう開いていますね。この分なら早いかな」
という彼女の言葉を信じたのに、私が出産したのはそれから約18時間後。

隣の分娩室からは私の後から入った人の産声が聞こえてくる、つらく長い時間。
食べろ、と言われも何も食べられず、私用にでてきたお昼も夕食も旦那さんが食べた。
その背中を、痛みでひたすら八つ当たりで叩いていた。
痛い。痛い。なんなんだ。もう、いい。陣痛を舐めていた。
「母体と赤ちゃんが危ないから、緊急帝王切開にしましょう」
そう、先生が言いにきて欲しい。と切に願った。
なめていた。陣痛、味わったことのない激痛が小さな間隔で20時間ほど私を襲う。
「人類はなんてバカなんだ」
「2千年もの間、進化して生きてきたのなら、なんで種の保存にこんな激痛を与えるんだ。馬鹿じゃないの。母体を痛みつけて、何の意味があるの」
「出産なんて、2度としない。何人も産んでいる人は何考えているの」
人体への罵詈雑言が頭の中でずっと渦巻いていた。痛みでのたうちまわっている時なので、実際に緊急帝王切開になって不快に思った方も許して欲しい。そのくらい、陣痛が長く痛みが想像以上だった。

へとへとになっている中、助産師さんは交代で3人目となっていた。時間だけが経つのがわかる。
彼女は旦那さんに「昨日のドラマみました?」などと話していて、軽い殺意が芽生える。
この人達は、陣痛で苦しむ妊婦は日常なのだろう。わかっていても、周りに敵意をもってしまう。

そんなウンウン唸ることさらに小一時間。
「一度、見てみますか」
と言われ、分娩台にのる。

「あー。いけるかな」私の子宮口を確認した彼女が言う。
そんな感じなんですか。もう、なんでもいい。
出さないと終わらない。

常に淡々とした助産師さんに従い、いきむ。やめる、を繰り返す。陣痛のタイミングで、またいきむ。
「がんばって!!」
旦那さんはずっと横に、いや時々助産師さんと覗き込んでいる。
もうどうでもよかった。今考えるとどうなんだ、とは思うけれど。
「最後!もう頭ほぼ出てる。がんばれ!!」

22時01分。
にゅるん、とした感触とともに彼女はこの世に生まれた。
数秒の間があって、痛みと安堵が遠のく。
生まれ出た赤ちゃんが泣かない。助産師さんが粘膜なのかなにかとっている。
「ん……ぎゃああ」
弱いけれど、鳴き声にやっとほっとした。
数秒だろうけれど、静寂の間が怖かった。

疲労痕倍。
このときを上回るものはまだ経験したことはない。

淡々していた助産師さんが、初めて笑顔で教えてくれた。
元気な女の子ですよ。

産湯の後、分娩台で抱かせてもらう。初めての抱っこ。

幸い、私は出産後の措置をしてもらった後おそるおそる車椅子に乗せてもらったが無事に立てた。よかった。骨盤は繋がっていてくれた。

出産後、このあと私を待ち受けていたのは一週間で10時間ほどしか寝られなかった悪夢のような日々だった。
生まれた我が子の成長記録用に買ったビデオカメラは、彼女が突如起こす息が止まる発作を撮影するために使うことになる。生後ぱっと見は元気に見える我が子は県内の大病院で精密検査を受け、しばらく通院することとなる。

3 年月の積み重ね

色々あった。
でも、新生時期に心配ばかりした初めての我が子は、無事12歳になった。
最近はだいぶ大人びてきた。

誕生日。色々ある。
私が母になった日。とても不思議だった。
今でも生命の誕生、私が私でない別の人格を宿し、その子どもが生きているという不思議。

何よりも、自分のことよりも大切な存在ができるとは、実際に生むまではわからなかった。
こうして私の一番はタローから子どもになった。

4 「おれが一番」愛犬タロー。命がおわるとき。

タローは「naoの一番はおれ」と思っていたから、私が赤ちゃんを抱いていたらきっとヤキモチをやいただろう。
そうタローが自負するくらい、私は溺愛していた。だから、私がタローがいなくなったらどうなるかわからないから、子どもという命がお腹にできるまで、タローはがんばって生きてくれていたんだと思っている。

2010.7.18の日付 タロー16歳の誕生日


お腹の子が安定期と呼ばれる6ヶ月になるとき、タローは旅立った。16歳11ヶ月だった。17歳まで1ヶ月をきっていた。

私が休みの夜に。結婚してからもできるだけはタローの世話に実家に帰っていた、その時に。あなたのそばにいるときに。
お腹に命を感じはじめた私に、命がこうやって終わっていくんだと教えてくれるように、最後まで見守らせてくれた。
激しい息遣い、カッと開いた目。どれくらい続いたかわからないけど、命が終わろうとしているのがわかった。
ありがとう。ありがとう。大丈夫だよ。
母と2人。涙でぐちゃぐちゃになりながら、ずっと撫でていた。
激しく動いていた胸が静かになり、うっすらと目を細めた。タローは命を全うした。

最後、看取らせてくれて本当にありがとう。
ずっとあなたがいつ亡くなるのか、と怯えていた私。身近な人の死を経験したことないまま、一番に死を経験するのが何より大事なタローになりそうなことに、絶望していた。自分がその時にどうなってしまうのか、と思ってた。

だから、子どもを宿してから旅立ってくれてたんだと思っている。私の一番のまま、でも本当に絶妙なタイミングで。

最後を看取らせてくれたことは、本当にありがたかった。幸運だった、とも思っている。日中仕事をしている時だったら、だれもいない時だったら。歳をとったペットの世話をしている人は皆思うことではないだろうか。

あなたがいなくなって12年。
子どもが2人と、そして今年はワンコが1匹加わって、私のそばにいる。
そう思うと、12年はやはりそれなりの年月の積み重ねだと感じるよ。

子ども3人

最近、あなたがいる霊園がドッグランを作ったと知りました。
今度、タローの妹分のすずを紹介するからね。
すずを飼いだして、いかにあなたが手のかからないワンコだったかを改めて知ったよ。

長文、読んでいただきありがとうございました🐶

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