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【小説】#34 怪奇探偵 白澤探偵事務所|入れ替わりの鏡

あらすじ:蔵の整頓をする中で見つけた鏡台を事務所に持ち帰った白澤と野田。何かが視えるという野田に、この鏡に何があるのか確認しようとするが――。

シリーズ1話はこちら!


 花が咲いたと思えば散り、気付けば緑が眩しい季節になっている。日差しの強さはもうすぐに夏が来ることを教えてくれているが、それでもさわやかな風が心地よく十分過ごしやすくもある。過ごしやすくて心地よい瞬間の短さに、もう少し続いてくれはしないものかとぼんやり思う。
 春先は、白澤探偵事務所でも数少ない閑散期である。年中どこかから依頼はあるものだが、この季節はあまり大きな依頼が来ることは少ない。遠方から送られてきた荷物を鑑定したり、突然やってきた丸井さんの話し相手をしているくらいのものだ。
 忙しくない時期にやることといえば、三階の倉庫の整理である。
 白澤探偵事務所の三階は倉庫になっている。鑑定物を一時的に保管していたり、商人であるエチゴさんに買い取ってもらうものをまとめておいたり、常に何かしらの荷物が置いてある。
 しかし、今は例年に比べて明らかに物の数が多い。先日の依頼で訪れた蔵の中から見つかったものをいくらか引き取ってきたからだ。
 蔵の整理には三日ほどかかった。蔵から出てきた荷物の一部はご親戚が引き取り、残りの荷物はすべてエチゴさんが買い取っていった。どうやらレトロな家財は一部で人気があるらしく、ほくほく顔をしていたと白澤さんが言っていた。
 依頼主は長年放ったらかしにしていた蔵が片付いてほっとしたようだった。この依頼は円満に終わったと言えるだろう。
 しかし、蔵の中にはいくつか気になるものがあり、それらは事務所の倉庫で未だに眠っている。ツルさんに託された箱の中身についても調べなければならないが、その前に持ち帰ってきたものを片付ける必要がありそうだ。倉庫にあるものはほとんどが手のひらに納まるような雑貨だったが、ひとつ大きなものがあった。
 それが鏡台である。大切に保存されていたのか鏡は割れておらず、使い込まれた様子が逆に鏡台を格調高く見せていた。エチゴさんがもの欲しそうにしていたが、何となく嫌な光が視えたから鑑定してから引き渡すことになっている。
「白澤さん、例の鏡台をこれから視ようと思ってるんですけど……今お時間大丈夫ですか?」
「今日は時間もあるし、構わないよ。私も様子を見たいと思ってたんだ」
 都合が合うならちょうどいい。早速、白澤さんと共に三階の倉庫へ向かった。

 倉庫は大小さまざまなものが雑然と置かれている。今は蔵から持ち帰ってきたものたちが詰みあがって小さな山のようになっているが、その中でも目を引くものが一つある。大きな鏡台である。
 扉の閉じた三面鏡と、引き出しのついた比較的大きな鏡台だ。取っ手が残っている引き出しと、残っていない引き出しがある。恐らく蔵の中でネズミに齧られたか、蔵の奥へ奥へと押しやられるうちになくなってしまったのだろう。長い間しまい込んでいたからか、全体的に薄っすらと埃っぽく、汚れが目立つ。
「野田くんが視たとき、鏡台と鏡のどちらに違和感があった?」
「鏡の方です。台のほうは何も視えなかったんですけど、鏡の方は鈍く光っているように見えて……その時は鏡を閉じた状態だったんで、鏡を開いて視たらもうちょっと視えるかなって」
「そうだね……開いてから視てみよう。準備ができたら教えてくれるかな」
 了解の返事をして、鏡台の前に立つ。鏡を見るのは苦手だ。自分の顔にある痕を見なければならないし、それで受けた言葉も何となく思い出してしまう。普段の生活の中ではあまり気にならないが、改めてまじまじと鏡を見つめるのは苦手だった。
 目を瞑る。このところ、目を瞑るとすぐに薄ぼんやりと光が浮かび上がる。少し前までは明確に視界が切り替わった感覚があったのだが、慣れなのか、成長しているのか、俺には判断がつかない。成長だといいのだが、かといって喜べる成長なのかどうかも疑問だ。
「準備できました」
「わかった。鏡を開くよ」
 きい、と乾いた音がする。ぼんやりとしていた光が、音と共に大きくなっていく。蝶番が錆びているのか、鏡が開くまでには擦れるような金属音がした。
 鏡が開き終える頃には、目の前に淡い光が広がっていた。波だろうか。いや、泡のようにも見える。とにかく、光が波打ち、泡立ちながら広がっていく。
 波紋が立つのだとしたら、どこかに原因となる場所があるはずだ。鏡のどこからこの波や泡が来ているのか、鏡の位置を確認しようと薄く目を開くと鏡がちかりと光った気がした。
「白澤さん、鏡が今……」
 鏡越しに白澤さんと目が合った。白澤さんもまた、何かを言ったようだがその声が聞こえない。代わりに、空気が泡立ったような水の音がした。
 違和感に思わず声を上げようとしたが、視界が一瞬で歪む。今見たばかりの光の波が瞼の奥まで押し寄せてきて、まるで水の中にいるみたいにゆらゆらと視界が揺れている。目を開けるのも、閉じるのも難しい。ただ、何かがあったということだけが確かだ。
「野田くん、この鏡は……入れ替えの鏡だったみたいだね」
 俺の声がする。しかし、言葉は白澤さんのそれである。慌てて目を開けると、薄い紫の視界の端に、何だか困ったような顔をしている俺がいた。
 鏡を見る。今まで見たこともないような、困惑した様子の白澤さんが映っていた。
「入れ替えの鏡、というのは……」
 俺が喋ると、鏡に映った白澤さんの唇が動いて、聞きなれた声がした。違和感より前に、混乱が襲ってくる。言われたことをそのまま返すだけになってしまったが、この状態で何がわかるというのか。
「過去に見たケースだと、身分の高い人の家で見つけたことがあるよ。市井の人の様子は知りたいけど、普段の姿のまま出歩くことはできないという身分の人が作らせたものだね」
 最近は見かけることはあまりなかったけど、という白澤さんの声音は普段と変わらない。確かに俺の声なのに、白澤さんが喋るとこんなに落ち着いて聞こえるものなのだろうか。声音に驚いてしまって、内容を理解するのに少し時間がかかった。
「えーと……つまり、お遊びのための道具ってことですよね。てことは、もとに戻るのはそんなに難しくない感じなんすか?」
 自分が喋るたびに違和感が襲ってくる。現実であることは信じられなくて、鏡をちらちらと見てしまうのが少し気恥ずかしい。恐る恐る手を動かして見れば、鏡に映った白澤さんが同じように動いた。夢ではなく、現実にこういうことが起きるだなんて思いもしなかった。
 鏡から視線を外し、振り返ればどこか冷めたような顔をした俺自身が立っている。見ていられなくてそっと視線を外すが、それでは何もできないだろうとやはり視線を戻す。目が合った瞬間、ふと口元が緩んだのがわかった。
「そうだね。ただ二人で鏡を見ればいいだけなら今戻っただろうけど、この鏡はそうじゃない……野田くん、普段はどうやって視てる?」
「どうと言われても、何となく……目を瞑って切り替わるのを待つというか」
「なるほど……じゃあ確かめてみよう。野田くんは鏡が見えない場所に移動して構わないよ」
 了解の返事をして、鏡に映らない場所へ下がる。白澤さんの言う通り、出かけるために使った道具であれば気軽に使えるものだったのだろう。それがなぜあの蔵にあったのかはわからないが、戻るための手段がないのでは気軽に使えもしない。
 白澤さんが目を瞑る。視界を確かめるように瞑ったり開けたりを何度か繰り返し、それから小さく声を上げた。どうやら視えたらしい。今まで何となく視ていたから、まさかどういう風に視ているかなんて聞かれる日が来るとは思わなかった。
「野田くん、さっきはどういう風に視えた?」
「波とか、泡みたいなものが鏡全体に広がっているように視えました」
「うん、同じように視えているね……いや、視えていないものもあるか」
 白澤さんがぶつぶつと何かを呟いている。事務所に来たばかりの頃は薄ぼんやりとした光にしか見えなかったものだが、いつのまにか段々形が視えるようになった。あまり視えてしまいすぎるのもよくない、ということを言われたような記憶もあるが、この目の出自が特殊である以上もう何が起きてもおかしくはない気がしている。
「視るコツみたいなものが何となくわかったけど、これは口で説明するのは難しいね」
 白澤さんが微かに笑う。白澤さんからしても難しいのであれば、俺にできないのも仕方がない。
「仕掛けが鏡全体にあるようだ。だから全部が波打って視えるんだろうね……鏡だけ取り外せばエチゴさんに引き取ってもらっても良さそうかな。野田くん、鏡に映る場所まで戻ってきてくれるかい?」
「元に戻る方法って、もうわかったんですか?」
「多分これでもとに戻ると思う。さっきみたいに視界がぐらつくけれど、そのままで居てね」
 鏡の前に戻る。目を瞑った俺が鏡に映っていて、どこか不安そうな顔の白澤さんが隣に立っている。
 入れ替わっているとはいえ、あまり情けない顔をしているのもよくないのかもしれないとなるべく見慣れた表情になるように努めた。ゆっくり息を吐くと、普段見慣れた白澤さんに近づく。リラックスした表情をよく見ているのかもしれない。
「白澤さん、準備できました」
「わかった。鏡を見るから、野田くんも鏡を見ていて」
 鏡に映る俺が目を開いた。今気が付いたが、何かを視ている最中、もしくは視たあとの俺の目は微かに光っているように見える。俺が普段から視ているような光のような、白澤さんの金色の瞳にも似ている気がする。確かめる間もなく、あっという間に視界が歪む。どこから光の波が視界を浚い、何も見えなくなった。

 ぎい、と音がして扉の閉まる音がする。はっとして目を開けば、白澤さんが鏡台の鏡を閉じていた。まず、自分の手を見た。見慣れた、自分の手である。もとに戻ったとわかって、ようやく深くため息をついた。
「……どうなることかと思いました」
「驚いたね。私も使ったのは初めてだよ」
 白澤さんはすぐさま鏡台の扉をぐるりとガムテープでまとめてしまった。誰も開かないようにということなのだろうが、目にしてみるとガムテープの巻かれた鏡というのは物々しく見える。いかにも何かが見えてしまいそうな鏡のようだ。
「野田くん、もう一度視てもらってもいいかな?」
「このままですか? 鏡を閉じたままだと、ぼんやりとしか視えなかったんすけど……」
「少し見え方が変わっていると思うんだ。確かめてほしいから、もう一度」
 見え方が変わっている、と言われると気になる。元にもどったことも確かめたかったし丁度いいかもしれない。言われるままに目を瞑った。
 瞼の裏で光が透けて見える。電気の明かりでもなく、外の眩しさでもない。何が変わったのだろうと今までとの違いを探そうとして、ふと気づく。視界が切り替わり、鏡台の内側に小さな光が見えた。今までと違うのは、それが明確に星の形をしていることだ。
「注目しやすいような形を見つけてみたんだけど、どうかな」
「これ……どうやったんすか? 今までこんなの、視えたことないですけど」
「今まで視えていなかったのは仕掛けになる部分を知らなかったからだろう。ここはあまり詳しくなって欲しくないから伝えていなかったのだけど、仕掛けのキーになる部分は共通しているものが多いんだ。それに注目しやすい形を何となく覚えてもらったのだけど、どうかな」
「この部分を取るとか壊すとかすると、入れ替えの機能はなくなるってことですか?」
 目を開く。鏡台にあった仕掛けの部分は、引き出しの奥にあったように見えた。目を瞑って光の場所を確かめながら鏡台の引き出しを引けば、小さな紙のようなものが張り付けてあった。白澤さんにその場所を示せば、引き出しの中を覗き込んで中にあるものを確かめ、小さく頷く。
「……俺が詳しくなると、何か悪いことってあるんすか?」
「情報を欲しがる人というのはどこにでもいるからね。視えるだけでなく仕組みもわかるなんて、とても魅力的な人材だろう?」
 余計なトラブルに巻き込まれないため、ということらしい。大きなトラブルは想像できないが、丸井さんに冗談交じりで聞かれたときにうっかり喋ってしまうなんてこともあり得るかもしれない。俺だけならまだしも、誰かをトラブルに巻き込んでしまうかもしれない可能性はなくしておきたい。
「今でも十分助けられているけれど、スカウトが来たら困るからね」
「そんなの断りますけど……じゃあ、鏡台の件はエチゴさんに連絡しておきます」
「うん、よろしく頼むよ。私はついでに雑貨の鑑定をしてから事務所に戻るから」
 了解の返事をして倉庫から出る。二階を通り抜けるとき、何となく足が向いて脱衣所へ向かった。
 鏡に映る自分を見る。手を動かしてみる。動かした通りに、鏡に映る俺が動いた。
 自分の顔に触ってみる。顔の右側に残る傷跡に何となく指を伸ばして、表情が硬すぎるなと今更思う。仏頂面というか、単純になんの感情もない顔というか。
 大きく息を吸って、吐く。白澤さんのしていたような表情にはならないが、何となくさっきよりはましに見える。とりあえず今はこれでよしとして、鏡の前から離れた。不思議と、鏡を見たあとの苦々しい気持ちがいつもよりずっと軽くなっていた。