歳を取れば取るほど、馬鹿になっていく気がする

風呂上がり、パックをしながらそんなことを考えた。わたしの頭が一番よかったのは多分十八歳の頃で、言わずもがな受験勉強をしていたので頭がよかったはずだ。大学に合格し、高校を卒業し、同じ部活の子たちと卒業旅行の計画を立てた十八の春。

東日本大震災が起きた。

同じ部活の親友が一人死に、わたしは彼女と遺体安置所で再会することとなった。その経験により、わたしの精神はひどくダメージを受けて、立ち直れなくなって大学を中退した。

そこからいままでの十年間は、記憶が断片的になっている。家で引きこもりをしていた。アームカットをしたりオーバードーズをしたりしていた。専門学校に入り、中退し、また別の専門学校を卒業した。県外で仕事を始め、精神を病んで自殺未遂をし、退職した。引きこもりをもう一度やった。就労移行の施設に通った。障害者手帳を取った。云々。よく覚えていない。

いま、アラサーにして、二つ目の勤め先でまた精神の調子を崩し、休職が明けるところだ。「いままでの十年間はなんだったんだろう?」と最近よく考えるようになった。受験勉強であんなに必死に頭に詰め込んだ知識も、高校時代の楽しかった思い出も、十年間の暗黒で全て無になってしまったような気がしている。

たぶん、人生でいまが一番馬鹿だと思う。頭の中がすっからかんになってしまったように思う。ここ二ヶ月の休職の記憶すら曖昧だ。歳を取れば取るほど忘れっぽくなっていく気がしている。

だからどうした! と開き直れるほど楽観的な人間ではないし、大学に入り直すぞ! と息巻くほどのやる気もない。いまは、ただ復職が不安なだけだ。

何をこのnoteで書こうとしていたかも忘れてしまった。

こんな馬鹿なわたしでも、一応死なずに生きているよ的な、そんなオチをつけるしかない。

頭がすっからかんなので、本を読むのが楽しいのかもしれない。京極夏彦の京極堂シリーズを、この休職期間の後ろの一ヶ月でほぼ読破した。あんなサイコロみたいな分厚い本を何冊も、読めるなんて思っていなかったのに。

わたしは自殺未遂を繰り返した死にたがりの馬鹿で、読書が好きだ。いまはそういう自分を生きている。