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ごはんの記録。淡々と積み重ねているもの


つい先日、家計簿を買いました。そしたらその家計簿には朝・昼・晩のごはんを記入する欄があって。なんとなく、それをつけるようになりました。

朝は毎日おんなじだから書かない。昼と夜だけ。この一週間はおひるを外で食べることが多かったから、そこはお店の名前だけ。だから「毎食これだけつくってます!」と自慢できるような内容ではないの。

それでも、一週間のごはんが並んで書かれたそのページを見て、「なんかすごいな」って思ったんだ。


ごはんをつくることは、毎日すること。冷蔵庫をのぞいて、メニューを考えて、切ったり焼いたり煮たりして、ごはんをつくる。「ごはんをつくる」と一言で言っても、結構やることがある。

それだけのことを毎日しているのに、いや、毎日しているからこそ「あたりまえのこと」になってしまっていて、「今日したこと」にカウントされなくなってた。洗濯とか、掃除もそう。手を動かしていろいろやっているのに「私、なんにもしてないなぁ」って思ってたの。

「なにかしたな」と思えるのは、洗濯掃除料理とか、そういう毎日やることをした上でのプラスアルファでしたことだけ。あぁそうだ、子育てもそうかもしれない。着替えにおさんぽ、ねかしつけにおふろ…とそれ以外にも細かく細かくいろいろいろいろあるのに、子育ても「したこと」にカウントされないなぁ。


それがね、一週間分のごはんが並んで書かれているのを見て、「あぁ、私、これだけのことをしているんだな」と初めて思えたのです。

ごはんづくりは、何も残らない。むしろ残らないほうがうれしいことで。でもそれは反対に言うと、手を動かした跡が残らないということでもあり。ばたばたと動いていると(ごはんどきっていそがしいよね)並んだごはんを「あぁこんなにつくったなぁ」だなんて眺める余裕なんてない。なんというか「やったなぁ」感が感じられにくいんだよなぁ。

それが、文字になって並ぶと、つくったひとつひとつが形になって目の前に並ぶ。跡が残る。淡々と記録されたそれを見て、毎日淡々と手を動かしてきたその事実が見えるようになる。


「なんにもしてない」なんてこと、ないね。毎日これだけのごはん、つくってる。形には残らないけれど、積み重ねているものが、ここにある。ちゃんとあるよ、と分かりました。買ったのは家計簿だけど、こんなところに思わぬ収穫:)

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