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「形」の後ろにある、相手を大事に思う気持ち


夫がお礼のお品を郵便で送らないといけないと言うので、「じゃ、それ私やるよ」と引き受けた。平日に動けるし、仕事をしてた時も「送付物の準備」が一番好きな作業だった。むしろ「私がやりたい!」と立候補。

お礼のお品と、それに添える封筒、そして何枚かの写真。確認していてあれ?と思う。「お品をいれる紙袋は?」と探すと、てきとーにそのへんに置かれているのを発見。

先方は届いたお品を配るわけだから、紙袋がいるでしょう?と夫に聞くと、「包装してもらってるんだから、箱をはいって渡せばいいんじゃない?」と。


たしかに、たしかにそうなんだ。今回送って配られるのは先方の家庭内。一緒に住んでない家族だって、すぐ側に住んでいてざっくばらんに「はい」と渡すだろう。確かに必要ない。紙袋は使われないだろうし、捨てられるか他のものを入れるようにしまわれるだけだろう。

でも、でも…なんかむずむずするんだよー。以前いた職場がそういうのをきっちりやる職場だったので、私は「形」をしっかり守りたいタイプ。夫は外部の人に会うことのほとんどないお仕事なので、「実」があればいいんじゃない?というタイプ。いつも私が「え?これちゃんとやんないとじゃない?」と言っては「え?それいらなくない?」と返ってきて、たしかに…でも…となるのです。

今回は折衷案。一緒に住んでる人の分には紙袋をつけず、渡しに行く可能性のある人の分だけ紙袋を送りました。うん、これなら納得。


お品につけてくれる紙袋ってさ、持ち運ぶ時に使っていた紙袋をお渡しする直前に真新しいものに変えられるようになんだよね。「きれいな状態でお渡しできるように」っていう心遣いなんだよ。使って少しくったりした紙袋、新品のパリッと清々しい紙袋、受ける印象が違うよね。もらった人は気付かないかもしれないけれど、そういうところに「大事に扱ってもらったな」と感じる人もいるということ。

そう、この新しい紙袋って「あなたのことを大切に思っていますよ」という気持ちを形にして表したものなんだ。

私はその「気持ち」が形になったものだと思っているから、紙袋をつけないということは「その気持ちを添えない」ということに感じてしまう。だから、もやもやしてしまうんだね。相手を大切にしてない気がしてしまって。


私もその職場に勤め始めたときには、その形を「いろいろとややこしいな」と思っていました。紙袋だけじゃないんだもの。礼儀の形っていろいろあって、電話のしかたでも送付物でも言葉遣いでもそりゃあたくさんあるんですよ。しかもシチュエーションによって変わってきたりもして、覚えるのホントに大変だった。

それは相手が年上で、しかも礼儀を重んじる職種の方で…だったから。心の中でこっそりと「昔の人はめんどくさいなー」なんて思ってましたごめんなさい。

でもそれらをすいすいと使いこなす上司の姿がなんだかとっても上品でエレガントに見えたので、「なんか素敵だな」と形だけ真似するように覚えていきました。必要なことでもあったしね。


そしたらね。使ってみたら分かってきたの。その背景にあるものが。形の後ろにある、その形になった理由が。

それはね、言葉遣いでも、何かをする時のルールでも、すべて後ろにあるものは「あなたを大切に思っていますよ」という気持ち。それを言葉ではなくて、何をするときでもその気持ちが行動や言葉に滲んでくるようにできていたの。

それがわかってから、礼儀の形というのは「やらなくてはいけないめんどくさいもの」じゃなくなって、「大切にしたくて、心がこもってしまうもの」になった。この胸の内にある「ありがとう」とか「助かります」とか「どうかよろしくお願いします」とかの思いが、今している作業で出来る形のどこかで相手に伝わりますようにと願いながら、丁寧に手を動かすようになった。言葉もそう。ただの「敬語」という形ではなくて、この思いが言葉になると敬語になる、というように。


『日々是好日』という本がある。茶道のおけいこに通う中で気付いていくことが書かれたエッセイなのだけど、その中にこんなようなことが書かれていた記憶があって。

『まずは 「形」から。後から「心」が入るもの』(ちょっとうろ覚えです)。

あの本に書かれていたことはこういうことだったんだなって、礼儀の形を使うようになってから思いました。字面だけで、頭ではその「心」を知っているつもりにはなれるかもしれないけれど、それは本当の心ではなくて。「形」を身体にしみこませ、その形を身体が流れるように動くようになって初めて身体の内側から溢れてくる気持ちがあるってこと。その内側から溢れる気持ちというのが「心」で、それは勝手に言葉や動く手に乗って、自然にこめられてしまうものだということ。


だからね、私は「形」が好き。その形をすることで内側から湧いてくる気持ちの感触が好きなのかもしれない。「あなたが大切です」という気持ちの、あたたかで優しい感触が。だから私は「形」をしたい。

夫は「実」が好き。いらないものなら相手を手間取らせないように省いてあげたい。それが夫の「相手を思う気持ち」。

そう、結局は「相手を思う気持ち」はおんなじなんだよね。だから本当はどっちだっていいの。相手によってどっちが伝わりやすいか、というのはあるかもだけどね。


↑『日々是好日』この本です。すごく昔に読んだのだけれど、映画化されていたのね。知らなかった。


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