見出し画像

ふつうの日をいい日だと言えるのなら


久し振りのnote。おひっこしをしていました。念願のおひっこし。そして今はこうして新しいお部屋でパチパチと書いています。一度おやすみするとあれだね、書くのも腰が重くなるね。


朝起きると、きれいな青い空。いいお天気。天気予報は雨だったのに。せんたくものもよく乾きそうだし、いい天気でうれしい。今日は特別うれしい。

朝から焦らずゆっくり動くことができて、お皿を洗うのも、せんたくものを干すのも、ひとつひとつがきもちいい。水の冷たさだったり、泡が流れてきれいになってく様子だったり、ベランダに吹いてくる風だったり、ひとつひとつがきもちいい。そういうひとつひとつのきもちよさに、気付けること、感じられること。それがうれしい。おなじことをしていても、気付けないで、感じられないでただ作業だけが進んでいく日もあるから。


旅行に行くとか、おでかけするとか、そういう特別なことはなにもない、ふつうの日。家のことをして、こどもとおさんぽに行って、おうちでおひるごはんを食べる。そんなふつうの日。

そんなふつうの日なのに、「いい日だな」と思えることがうれしい。

特別だからいい日なのだとしたら、特別じゃない日はいい日ではなくなってしまう。特別をいっぱいつくらないと、いい日はなかなか来ない。

今日みたいに、ふつうの日をいい日だと思えるなら、365日にいい日のチャンスがあるってことだ。


いい天気で、おさんぽも気持ち良くて、なのにさっき思い切りこどもに怒ってしまった。大事にしていた資料をぐっちゃぐちゃにされてしまったのだ。しっかり段ボールにしまって押し入れに入れておいたのに。押し入れに入って段ボールを開けて更にその奥に入った紙袋の中の資料だけ引っ張り出すなんて、なんて確率なの(涙)

大きな声で怒って、こどもも泣いて、私も涙が出てきて。あぁ、とは思ったけど。

でも、それでも、いい日には変わりないな、とこどもを寝かしつけながら思う。

いい日だからって、いいことばっかりじゃない。いいことだって、悪いことだってある。それが日常だ。それをまるまるひっくるめて「いい日」と思える。それもまたすごいことだ。悪いことがあってもいい日だと言えるのなら、更にいい日になる確率は上がるよね。


今日がとってもいい日なのは、今日が誕生日だからじゃないの。365日のうちのたった1日だからいい日なんじゃないの。ふつうにあるただの1日がとってもいい日で、それがたまたま今日、誕生日だっただけ。

だから明日もきっといい日。嬉しいことがあっても、悲しいことがあっても、いい日になるから。

朝の空気に混ざる木の匂いや、野菜を洗う水の冷たさのここちよさに気付ける私でいられることができれば。感じられる私でいられれば。

「いい日」の「いい」は、特別の中じゃなくて、そういうものの中にある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?