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夜のドライブ 【短編小説】

友人が夜のドライブがてら星を観に行こうと言うので、軽い気持ちでいいよ、と答えた。彼は昔から夜空を見上げるのが好きで、僕はそれによく付き合わされていた。
二十一時ちょうどに家まで迎えにきた彼の車に乗り込み、助手席のシートベルトを締める。彼はいつになく上機嫌だった。今日は雲がないので星が綺麗に見えるはずだと笑いかけられる。「ああ」とか「へえ」とか、そんな生返事をした。僕はそれほど星に興味はなかったからだ。
それにしても眼鏡が邪魔だ、本当は裸眼で星を眺めたいんだ、と熱心に語る彼の話に適当な相槌を打つ。

そのうちに車は山道へと入った。
この山には途中に広い駐車場がある。そこに車を止めて夜空を眺めよう、と彼は説明した。あと十分もすれば着くという。
重ねていうが、僕は星にはあまり興味がない。けれど、冷たい夜の空気や、助手席から見える景色や彼との会話は、僕にとって好ましいものだった。
 
暗い山道にライトの光とエンジン音の存在感を強く意識する。軽口を叩きながらしばし山道を走り、僕たちはふと異変に気が付いた。
いつまでたっても目的地の駐車場が見当たらないのだ。もうとっくに十分以上は過ぎている。道なりに上っていけば必ず辿り着くはずの広場を、どうしてか素通りしたらしい。そもそもここはそれほど入り組んだ山ではない。
一本道だというのに、なぜ見逃したのだろう。首を傾げながら、細く傾斜を増していく山道をぐるぐると進んでいく。先に進めば進むほど、おかしい、妙だ、という感覚が確信に変わっていった。
静かすぎるのだ。どうして他の車が一台も見当たらないのだろう。景観のいい場所だから、普段はもっと車の行き来が多いのに。
思い返せば、山中に入ってから一台も他の車の存在を認識しなかった。僕たちはもうずっと暗く細い道をひたすらに上り続けている。
それ自体が変だった。この山は、そんなに高くはない。道だって、こんなに細くはないはずだ。どうしてと考える前に、戻ろう、と声を出していた。
運転席の友人がちらりと僕を見る。彼は首を横に振った。戻りたいが、残念ながらUターンできる場所がない、と言って。
外の暗闇は一段と濃さを増し、車内の温度がぐっと下がった気がした。
開けた場所を求め、僕たちは上り続けるしかなかった。会話をする気にもならず、じっと黙り込む。
いい歳をして迷子のような気分だった。ひどく心細い。ここはどこだろう。
今いる山の名も、自分の名前も、住所も、全部完璧に答えられるのに、状況だけがどうにもおかしい。
 
ひたすらに道なりに上り続けたところで、ふいに友人が突然車を止めた。
どうしたと聞けば、いいから前を見ろと視線で促される。どうやら行き止まりらしい。車のライトに照らされた先を見る。突如、錆びた立て看板のようなものが視界に入った。「立ち入り禁止」。赤黒く、ぼろぼろに歪んだ文字が目に飛び込んでくる。
何度も瞬きをし、僕たちは無言でじっとそれらを眺めた。友人の顔は青ざめていた。きっと僕の顔も青ざめていたと思う。
友人はその場で大きくハンドルを切り、ぎりぎりのスペースで強引にUターンした。無言でアクセルを踏み、山道を下っていく。やはり行きと同じく、他に車の気配はない。「あの看板と文字は何だ」と尋ねると「知らねえよ」と怒ったような声が返ってくる。
それはそうだ。だが、聞かずにはいられなかった。
 
訳も分からぬままに山道を下る途中で、急に視界が開けた。そこには最初の目的地だった大きな駐車場があった。他の車も数台止まっている。
いくつかの灯りに安心し、僕たちは、揃って大きく息を吐いた。
ようやく普通の道へ戻ってきたらしい。そこからは、いつも通りの日常だった。 

後日、友人がお前は大丈夫かと電話をかけてきた。
何のことだと問うと、彼はあの日からずっと金縛りに悩まされているのだという。問題ないことを告げると、そうか、と言って電話は切れた。
あの山、霊山なんだってな、と小さく呟く彼の声を耳に残して。
 
あれから僕は、山中へと続く夜道が、少しだけ怖い。

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