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好き嫌いせず、全部食べましょう 【エッセイ】

昨秋、夫と日帰りバスツアーに出かけた。     

大徳寺や実相院などの寺巡りをしながら日本庭園の風情を楽しむ、ちょっと渋めのコースだ。

昼食は「鉄鉢料理(てっぱつりょうり)」だった。鉄鉢(てっぱつ)とは、僧が食物を受けるために用いた鉄製の丸い鉢のことで、その料理屋では鉄鉢(てっぱつ)を形どった丸い器に四季折々の料理を盛り込んだものが振る舞われている。

精進料理のため、肉類魚介類は使われておらず、穀物、豆類、野菜のみを使用した料理だった。
丸い器はそれぞれ大きさが違い、まるでロシアの民芸品マトリョーシカ人形のように次々と重ねていくことができる。一番小さな器のみフタが付いていて、全部食べ終えたら重ねて一つに出来る、とのことだった。

私たちも他の乗客たちも綺麗に盛り付けられた料理を見て写真を撮り楽しく盛り上がっていた。

そんな中、バスツアーのガイドさんがその寺の住職様を伴ってきた。食事前に一言挨拶をしてくださると言う。優しくもしっかりとした威厳を感じさせる住職様は、挨拶の最後に穏やかな顔で、

「皆さま、それぞれ好き嫌いなどあるでしょうが、ここは寺です。今日は修行だと思って、残さず、好き嫌いせず、全部食べましょう」

とおっしゃった。

その途端、乗客全員にピシッと緊張感が走った。何ともいえない一瞬の間。ほんの一瞬だけ静まり返った後、ざわざわとしながらお互いに様子を伺ったり、目配せをし合う。
私も思わず向かいに座る夫と顔を見合わせてしまった。頭の中で先程の住職様の言葉が繰り返される。
「ここは寺です。今日は修行だと思って、残さず、好き嫌いせず、全部食べましょう」
そんなことを言われたのは、おそらく小学校以来である。

かくして、楽しくもお互いにどこか探り合うような、少し緊張感の走る食事の時間が始まった。                    しっかりと出汁の効いた茸ご飯はとても美味しく、季節野菜の天ぷらも汁物もぺろりと平らげられた。問題は、数々の副菜である。夫は苦手なつくだ煮と酢の物に苦戦し、私は胡麻豆腐と戦っていた。あまり好き嫌い自体はないものの、食べるのが遅いのに加え、さらに普段食べなれぬ精進料理。胡麻豆腐はなんとか半分食べ終えたが、まだ右側の謎の和え物が残っている。それは少し苦手な味付けだった。しかも、既に満腹に近い状態となっている。苦しい。
周りからは次々に「御馳走様」という声やカシャカシャと器を重ねていく音が聞こえてくる。それが更に私を焦らせた。どうしよう、早く食べないと。焦りから、汗まで出てきたが、箸は一向に進まない。無理をして詰め込み、この後気分を悪くして吐いたりお腹を壊しては元も子もない。しかし、周りが次々と器を一つに重ねる中で、一人重ねずにいるというのは居心地が悪い。何より、私も器を重ねてみたい。でも、これ以上食べるのは苦しい。どうしよう、どうしようと追い詰められた私は、そのとき、ハッと思いついた。

一番小さな鉢に、どうしても食べきれなかったおかずをこっそりと入れる。そして、ふたをする。後は、空になった器を順に重ねていく。      

ああ、神様、仏様、残してしまってすみません。好き嫌いをしてすみません。ズルをする、悪い大人ですみません。

そんな罪悪感を抱えながら、御馳走様と手を合わせ、私は店を後にした。

夫は一応完食したものの、精進料理の反動からか帰りのパーキングエリアで近江牛の串焼きをむしゃむしゃと食べ、デザートのソフトクリームまで買っていた。立派な人間には程遠い、煩悩だらけの夫婦である。

修行の道は、遙か彼方にあるようだ。

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