見出し画像

進撃の巨人 最終巻感想 ~進撃の巨人と進み続けた学生時代の話~

※ネタバレを含みます。

本日、2021年6月9日は漫画「進撃の巨人」の最終巻である34巻の発売日です。様々な作品に触れてきた私にとっても、進撃の巨人は特別な作品でした。その完結には嬉しさと寂しさが渾然一体となって、なんとも言いようのない余韻が続いています。

最終巻の感想を語る前に、進撃の巨人の思い出の話を。

進撃の巨人と進み続けた学生時代の話

私と進撃の巨人との出会いは2013年の4月。TVアニメシーズン1の放送で進撃の巨人が社会現象となった時でした。当時の進撃ブームは凄まじく、街には超大型巨人の巨大広告が張られ、ニュースでも連日取り上げられ、男子校だった私の通う学校ではクラスのあちこちで進撃の巨人の話をしていました。

当時の私は中学3年生。隣に初めてクラスが一緒になった絵の上手い奴がいました。そいつがミカサのイラストを描いて私に見せてきたことが進撃の巨人との出会いでした。

なんのアニメ?と尋ねると、進撃の巨人だよ!知らないのか?っと大きな声で言われたのを覚えています。

進撃の巨人の名前を出すと近くにいた何人かが集まってきて、進撃談義が開かれ、心臓をささげる敬礼をしたり、蒸かした芋のシーンのモノマネをしたりして、異様な盛り上がりを見せました。

そんなことがあって、乗るしかないこのビックウェーブにとなってしまった私は進撃の巨人を持っている友達に既刊を借りて家で読み進めました。当時はまだ単行本10巻とかだったと思います。あまりの面白さに震え、続きが気になりすぎて、当時の進撃の巨人展開予想や考察を読み漁っていました。

アニメは放送開始直後でまだ6話か7話で、ちょうどエレンが巨人のうなじからでてくるあたりだったと思います。

TVアニメシーズン1は最後まで最高のクオリティで制作され、すぐにシーズン2の制作が期待されましたが、TVアニメシーズン2は4年待たなければなりませんでした。

その間の進撃の巨人は、実写版が大コケし、原作も王政編に入って内容が地味目になってしまい、進撃ブームはいつのまにか覚めてしまったような印象です。

王政編は今読むとめちゃくちゃ面白いですが、当時はマーレとか地ならしとかが伏せられているのでなんとなく掴みにくい感じがありました。

シーズン2が放送するまでの4年の間、私も進撃の巨人の熱は冷めてしまっていたように思います。

2017年4月、TVアニメシーズン2が放送開始。私は受験と卒業を終えて大学生1年生となっていました。原作はどうなっているのかと止まっていたところから読み始めると、シガンシナ区奪還作戦からの地下室の謎、そしてマーレ編突入で、再び進撃の巨人熱が再燃しました。

この頃から電子書籍で単行本を発売日の12時に買うようになりました。

TVアニメはシーズン2以降はおおよそ1年に1クールのペースで制作されていきました。

2019年4月、TVアニメシーズン3パート2が放送。私は大学3年生でした。シガンシナ区奪還作戦編のクオリティーがとんでもなかったのをよく覚えています。アニメはすっかりサブスクを契約してスマホで観ていた私が、およそ高校生以来の毎週テレビでのリアルタイム視聴をしていました。

そして1年ほど前、エレンが地鳴りしを発動し、壁外人類の虐殺を開始してから別冊少年マガジンを毎月買うようになりました。

2021年3月、来月完結と大々的に宣伝され、進撃の巨人がいよいよ完結するとなっている中、私は就職した会社の新人研修の準備を進めていました。

2021年4月、私は会社が用意した1Kのアパートにいました。会社の新人研修が想像以上にハードで研修が始まって1週間ほどで完全に精神をやられていました。そんな絶望の日々で、進撃の巨人だけが私の唯一の救いでした。

仕事の休み時間では電子書籍で進撃の巨人を読み、仕事から帰ってきたら、食事をしながらテレビアニメの好きな回を観て過ごしました。

2021年4月9日12時、研修期間中は精神的にやられている自覚があったので、できるだけ早く寝るように努めていましたが、この日だけは12時まで待って電子書籍で別冊少年マガジンを購入しました。

読み進めるうちに涙が止まらなくなったのを覚えています。学生時代から進撃の巨人と進み続けた日々が終わろうとしていることに涙が止まりませんでした。

羽ばたいていくエレンにミカサが感謝を伝えるコマで、私も同じように進撃の巨人と諌山先生に何度も感謝しました。

それからの2か月間の研修は本当に辛かったのですが、苦しいときはいつも進撃の巨人のキャラクター達の言葉を思い出して鼓舞していました。

そして本日2021年6月9日、進撃の巨人34巻発売。研修が終わり実家からの通勤が始まって精神的にかなり回復した中で、もう一度進撃の巨人の物語の終わりを隅々まで堪能することができました。

進撃の巨人 最終巻感想

さて、ここからは最終巻の感想を少し。

単行本では始祖ユミルとミカサが会話をするシーンと、エレンが眠る場所のその後のシーンが付け加えられています。

前者の方はより分かりやすく伏線回収を提示する加筆と言えます。始祖ユミルにミカサが感謝を伝えることで、始祖ユミルに救いが与えられているように見えます。しかし、始祖ユミルの顔は満足とも物足りぬとも言えない複雑な表情をしています。彼女の感情がどうであったかははっきりとはわからない塩梅にされています。

後者の方は、別冊マガジン版と結末の印象が若干変化する結末でした。

エレンは8割の人類を死滅させ、世界から巨人の力を消し去ります。巨人の脅威からは解放されたが、エルディアは軍国主義に走り、世界は再び緊張状態へ突入し、ともすればエレンが行った以上の惨劇が起こるかもしれない。悲劇を繰り返さないためにもアルミン達は自分たちが歩んだ物語を伝えることで平和を目指す。マガジン版では最後にミカサがエレンに感謝して物語が終わります。

単行本ではその後のエレンが眠る木が始祖ユミルが有機生物の起源と接触した木と同じくらいの高さまで成長し、その木の前に少年が現れて終わります。

時代としては、進撃の巨人の世界での技術レベルが現代レベルまで発展し、何かしらの戦争、少年の装備からして世界規模の戦争が起こって、ポストアポカリプス的な感じになっていると予想されます。

マガジン版ではエルディアとマーレといった国家の存亡までを未来と捉えていますが、単行本では人類の文明というレベルで未来を捉えています。

二つの結末は異なっているように見えますが、内包されているメッセージは同じだと思います。それは進撃の巨人全体でも常に一貫して提示されている重要なメッセージでもあります。

女型の巨人を捕獲するとき、リヴァイがエレンに伝える言葉に次のようなものがあります。

「俺にはわからない、ずっとそうだ。自分の力を信じても、信頼にたる仲間の判断を信じても、結果は誰にもわからなかった。だから、まぁせいぜい悔いが残らない方を自分で選べ。」

このシーン以外でも、進撃の巨人のキャラクターはみな口々に、何が最善なのかわからない、あるいはわからなかったと様々な場面で語っています。

アルミン達が平和交渉をしてそれが上手くいき、しばらくは大きな戦争がないかもしれない。しかし、アルミン達のいない数十年後、世界は戦争が起き、エルディアのあった場所には何も残っていないかもしれない。

世界や地球という大きな規模で考えれば、ジークの言う通り、ただ増えることを目的にプログラムされた生命がその通りに命令をこなし、地球が耐えられなくなると別のプログラムが生命の数を調整する。生命とはただ踊らされているだけかもしれない。

それでも今生きているこの瞬間と、自分の手の届く未来に悔いを残さず、健やかに生きてみたいと自分の頭で考えて行動すること、これが進撃の巨人が我々に一貫して伝えているメッセージではないかと考えます。

あくまで私個人の解釈なので、そこはご了承ください。

進撃の巨人が終わってとても寂しいですが、しっかりと物語が終わったので、前向きに生きていこうと思います。

これが私が進撃の巨人にささげた心臓の結末のようです。




この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?